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第七話 女子の身だしなみ

夕方。リビングで美咲と二人、テレビを見ていた。

翔太は部活。 恵子は買い物に出ている。

以前は恵子と一緒に買い物へ行くことも多かった。

しかし今の姿では、どう見ても母親と女子中学生だ。

さすがに居心地が悪く、最近は任せきりだった。


ソファに座ってテレビを見ていると、後ろからじっと視線を感じた。

振り返ると、美咲が背もたれ越しにこちらを覗き込んでいた。


「何使ってるの?」

「何のことだ?」

「いや、髪が気になって。シャンプー」

「トニックシャンプーだが」

 美咲が固まった。

「は?」

「だから、トニックシャンプーだ」

「なんで?」

「昔から使っているからな」

美咲は頭を抱えた。

「それおじさん用じゃん!」

「俺はそのおじさんだった」

「今は違うじゃん」

美咲は呆れたように笑った。


「洗い方は?」

「普通だと思うが」

「いや普通じゃない気がする」

「こうだろう」

咲良は両手で頭をわしわしこする仕草をした。

「こう、ごしごしと」

一瞬の沈黙。

美咲が天井を見上げた。

「終わった」

「何がだ」

「髪が」

「洗えているだろう」

「女の子の髪はそうやって洗わないの!」

咲良には意味が分からなかった。

常識は知っているつもりだ。

つもりだが。

女子高生の髪の洗い方は知らなかった。


「もういい」

美咲は立ち上がった。

「今日から私の使ってるやつ使って」


「嫌だ」

「なんで」

「高そうで遠慮する」

「そういう問題じゃない!」

「もったいないだろう」

「お父さんがトニックシャンプーを使いつづける方がもったいないわ!」


ひどい言われようだった。

「トリートメントもちゃんとやって」

「何だそれは」

「そこから!?」

美咲は本気で驚いた。


そんな騒ぎをしているうちに、買い物から帰った恵子も苦笑しながら会話に加わった。

「咲良ちゃん」

「何だ」

「高校行くなら覚えなさい」

「受験科目に無いぞ」

「女の子として生きるなら必修科目よ」

咲良は深くため息を吐いた。

高校へ行く前に、まず女の子としての常識を学ぶところから始めなければならないらしい。


「駄目!」

「何が」

「今夜講習!」

「講習?」

「髪の洗い方講習!」

その日の夜。

咲良は美咲と一緒に脱衣所にいた。


「なんでこんなことになるんだ」

「文句言わない」

美咲が服を脱ぎながら言う。

美咲は気にしていないようだった。


咲良は少し目をそらしながら反論した。

「新聞を読んでる方が有意義だと思うが」

「そういう問題じゃない!」

十分後。二人は風呂場にいた。


「まずシャンプー前にしっかり流して」

「は?」

「お湯だけで一回流すの」

「意味はあるのか?」

「ある!」

「へえ」

「次は……」

咲良は妙に感心していた。

髪を洗うだけでこんな工程があるとは知らなかった。

髪の手入れについては大学生の娘の方が圧倒的に詳しい。

当たり前なのだが、少し悔しかった。


「分かった?」

「まあな」

「復習するよ」

「受験生じゃあるまいし」

「お父さん今受験生じゃない」

それを聞いて、咲良は思わず黙り込んだ。

確かにその通りだった。


講習会とやらは思った以上に長引いた。

シャンプーやトリートメント、ヘアオイルの使い方。

髪の洗い方。

ドライヤーのあて方まで。


咲良は公作時代はほとんど、シャンプーだけだった。

ここ十年は短く刈り揃えていたので、油っぽくなることもなかった。

「髪を洗うだけだろ」

「違う」

「髪を乾かすだけだろ」

「違うわよ!」

「人類はいつからこんな面倒な生き物になった」

「元からだよ」

美咲と一緒に、湯船に肩まで浸かる。

ふう、と息を吐く。

熱い湯が疲れた身体に染みる。

ふと思った。

「そういや」

「なに?」

「お前と風呂入るの、小学生ぶりじゃないか」


美咲が少しだけ目を丸くした。

「あー……そうかも」

幼い頃はよく一緒に入った。

おもちゃを浮かべたり。

数を数えたり。

あの頃は小さかった娘が、今は大学生になっている。

妙に感慨深かった。


「嫌じゃないのか」

「何が?」

「五十二歳のおっさんと風呂なんて」

美咲は少し考えた。

「別に」

「そういうものか」

「だってお父さんだし」


「それに」

美咲は咲良をじっと見た。

「今は美少女だしね」

「は?」

「こっちが役得みたいなもんよ」

「……意味が分からん」

「私の友達に自慢できるレベル」

「やめなさい」

「いやでも本当に」

美咲は納得いかない顔をした。

「なんでお父さんなのよ」

「知らん」

「なんでそんなかわいい顔なのよ」

美咲は咲良のほほを引っ張りながら言う。

「ひらん(知らん)」


美咲は咲良のほほを元に戻して言った。

「神様不公平じゃない?」

「そう思うなら、俺も文句を言いたい」

「ん?」

「だったら神様は、なんで俺を女にしたんだろうな」

美咲が一瞬きょとんとする。

それから吹き出した。

「それは確かに」

「だろう」


やがて美咲は真顔になった。

「ちょっとムカついてきた」

「何故だ」

「私より肌綺麗」

「特になにもしていないぞ」

「髪質もやっぱりいい」

「知らん」

「目も大きい」

「だから知らんって言ってるだろ」

「お父さんなのに」

「だから俺も困ってる」

しばらく睨み合う。


そして、美咲は突然吹き出した。

「ははっ」

「何がおかしい」

「だってさ」

娘は笑いながら言った。

「見た目だけなら完璧女の子なのに、中身お父さんなんだもん」

「お父さんだからな」

「そこが一番面白い」

咲良は少しだけ苦笑した。

見た目は変わった。

人生も変わった。

社会的地位も失った。


だが、こうして娘と馬鹿話をしていると、

やっぱり自分が自分ではなくなったわけではないのだと思えた。

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