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第六話 咲良の進学、翔太の葛藤

咲良の戸籍上の年齢は十五歳だ。

法律上は中学三年生。

実際に学校へ通っていたわけではない。

ただ、戸籍整理の過程で、長期入院していた生徒という扱いになっていたからだ。

近くの中学校には籍だけある。通学実績はない。

そんな状態だった。


ある日の夕食。

「で」

恵子が言った。

「これからどうするの?」

咲良は少し考えてから答えた。

「高校に行く」

全員がそちらを見る。

「本気?」

美咲が聞く。

「ああ」

咲良は頷く。

「勉強するため?」

「いや」

「じゃあ何」

咲良は箸を置いた。

「最近の若いやつについて知りたい」

一瞬沈黙が落ちた。

「まだ言うの?」

美咲が吹き出した。


咲良は真面目だった。

「若者が何を考え、何を面白いと思い、何に悩むのか」

「結局何も分からんままだからな」

五十二年間。

自分もかつては若者だった。でも、価値観は今と昔は大きく変わっている。

その若者の中に入ったことはない。

それでも、今なら、今のこの姿なら分かるかもしれない。

それにこれからは彼らと同じ側、同じ世代として生きる。

ならば知らないままではいられなかった。


話は意外なほどあっさり進んだ。

勉強についても、中学生レベルなら簡単な復習でなんとかなった。

問題は進学先だった。

「翔太と同じ高校がいいんじゃない?」

恵子が言った。

「一番家から近いし」

「それもそうだな」

咲良も頷いた。


その瞬間。

「……は?」

翔太が顔を上げた。

ここ最近では一番大きな声だった。

「嫌だ」

即答だった。

「翔太」

「それは嫌だ」

声が強かった。

「絶対嫌だ」

それだけ言い残し、翔太は立ち上がった。

そうして、そのまま自室へ消えた。

扉が閉まる。家の中が静まり返った。

初めてだった。

翔太があれほど、はっきり拒絶を示したのは。


それから数日、翔太は家族との会話を避けるようになった。

学校へ行く。帰ってくる。夕飯だけ食べる。

部屋へ戻る。そんな生活が続いた。

理由はわかっている。

咲良の、父の進学先が自分の今通っている学校になるかもしれない。そんな不安だった。


ある夜、咲良は翔太の部屋の前に立っていた。

軽く扉を叩く。

「翔太」

返事はない。

「入るぞ」

勝手に入った。

昔からそうだった。

父親としての特権だ。

まあ、今でも使えるかはわからないが。

 

翔太は机の前に座っていた。

学生の本分を果たしているようだった。

「なんだよ」

やはり、不機嫌だった。

「話をしよう」

「話すことなんてない」

「いや、ある」

咲良はベッドに腰掛けた。


しばらく沈黙が続いた。

やがて翔太が口を開く。

「父さんのことは、ちゃんと尊敬している」

咲良は黙って聞く。

「今もしてる」

「そうか」

「仕事もすごかったし、家族のこともちゃんと考えてたし」

「それでも」

 翔太は拳を握った。

「何も分かんねえんだよ」

「……」

「父さんなんだろ」

「そうだ」

「でも今は女の子じゃん」

「そうだな」

「なのに父さんなんだろ」

「そうだ」

「本当に意味分かんねえんだよ」

そういって、翔太は頭を抱えた。

咲良は何も返せなかった。

 

それは正論だった。

そもそも、自分でも意味が分からない。

「怖いんだよ」

翔太が言った。

「怖い?」

いつか父さんが父さんじゃなくなるんじゃないかって」

咲良は息を止めた。

「母さんも姉ちゃんも平気そうだし」

「……」

「俺だけ変みたいだ」

「そんなことはない」

「あとさ」

翔太は視線を逸らした。

「家帰ったら女しかいないんだよ」

「ん?」

「母さん」

指を一本折る。

「姉ちゃん」

もう一本。

「父さん」

三本目。

「全部女じゃん」

咲良は思わず吹き出した。

「笑うなよ!」

「すまん」

「もう、俺だけじゃん」

翔太は本気だった。

「肩身狭いんだよ」

「それもそうだな」

咲良は正直に答えた。

本当に知らなかった。

自分は会社を失った。

名前を失った。

人生を失った。

そのことで頭がいっぱいだった。

しかし、家族もまた困っていた。

妻の恵子も。

娘の美咲も。

そして、息子の翔太も。


それぞれ別の形で。

「悪かった」

咲良は言った。

「え?」

「父さん、自分のことしか見えてなかった」

翔太は黙る。

「……父さんが一番大変だったんだろ」

ぽつりと翔太が言った。

「お前もな」

咲良も言った。

しばらく沈黙が続く。

以前なら気まずかった。

でも今は少しだけ、同じ方向を向いている気がした。


咲良は立ち上がる。

「まあ」

「ん?」

「泣きたくなったら父さんの胸の中で泣いていいぞ」

一瞬、翔太が固まった。


それから。

「別にいいよ」

呆れたように言った。


「そうか」

「あと、その姿で言われても困る」

「父さんは父さんだ」

「分かってる」

翔太は小さく笑った。

久しぶりに見た、息子の自然な笑顔だった。

「高校の話はまた今度な」

「うん」

咲良は部屋を出た。

廊下を歩く。

ふの口癖を思い出した。

最近の若いやつは分からん。

ずっとそう言ってきた。

でも、本当に分かろうとしていなかったのは自分自身かもしれない。


そんな気がした。

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