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第三話 検査結果

会社を辞めてから数日後。


公作は役所へ状況を説明し、妻、そして兄の証言を得て一定の理解は得られた。

公作は役所の紹介で、恵子とともに大学病院を訪れていた。


身体が元に戻る気配はなかった。

朝起きても長い黒髪が頬にかかる。

鏡を見れば、そこには相変わらず知らない少女がいる。


一つ、疑問があった。

今の自分の体はどうなっているのか。


今は会社へ行く必要もない。

だからこそ、病院へ行く時間だけはいくらでもあった。

診察室には公作と恵子、それから担当の医師がいた。


机の上には何枚もの検査結果が並んでいる。

血液検査。

画像検査。

遺伝子検査。

公作には見慣れない数字や記号ばかりだった。

医師はしばらく書類を見つめていた。

言葉を選んでいるようだった。

「……結論から申し上げます」


公作は背筋を伸ばした。

会社で悪い報告を受ける時と同じ姿勢だった。

「現在の佐々木さんの身体には、医学的に確認できる異常はあ(・)り(・)ま(・)せ(・)ん(・)」

「異常がない?」

公作は思わず聞き返した。

「この姿でか」

「おっしゃりたいことは分かります。しかし、現在の身体そのものは健康です」

医師は検査結果の一枚を示した。

「臓器や骨格、ホルモンの状態を含め、検査できた範囲では十代半ばの女性として矛盾がありません」


公作は黙った。

隣に座る恵子が尋ねる。

「つまり、この人の身体は、完全に女の子ということですか」

「少なくとも、医学的にはそう判断せざるを得ません」

医師の答えは慎重だった。

しかし、結果は明確だった。

見た目だけではない。

声だけでもない。

身体の中まで変わっている。


公作は自分の手を見た。

細い指。

小さな手のひら。

何度見ても、自分のものだとは思えなかった。

公作は自身の手を見つめながら、尋ねた。

「元に戻る可能性は」


医師はすぐには答えなかった。

その沈黙だけで、公作には分かった。

「現時点では、何とも申し上げられません」

「そうか」

自分でも驚くほど、平静な声が出た。

だが、まだ検査結果は残っていた。

医師は別の書類を取り出す。

「それから、DNA鑑定の結果です」

公作は顔を上げた。

比較に使ったのは、以前の公作が使っていた櫛に残っていた毛根付きの毛髪だった。

さらに確認のため、美咲と翔太からも同意を得て検体を採取している。


「まず、以前の佐々木公作さんの毛髪と、現在の佐々木さんの血液から採取したDNAは」

医師が一度言葉を止める。


「一致しませんでした」


診察室が静まり返った。

公作は黙った。

反論はできない。

医師の口調からして、十分に確認した上での結論なのだろう。


医師はさらに続けた。

「美咲さん、翔太さんとの親子鑑定についても、現在の佐々木さんとの生物学的な親子関係は認められませんでした」

公作はすぐには返事をしなかった。

書類へ視線を落とす。

数字は分からない。

だが結果だけは分かる。

「確認ですが」

ようやく口を開く。

「それは、今の私を二人の父親とする結果は得られなかった、という意味ですか」

「その通りです」

「以前の私との関係ではなく」

「現在の身体について、です」

公作はゆっくり頷いた。

まだ理解が追い付かない。

だが言葉の意味だけは整理する。

「つまり」

唇が少しだけ乾いた。

「今の私は、以前の佐々木公作ではない」

医師は慎重に答えた。

「少なくともDNA上は、別人と判断せざるを得ません」


「……そうか」

親子であることを否定されたわけではない。

記憶も消えていない。

積み重ねた時間もなくなっていない。


だが結果は一致しなかった。

昨日までの自分と。

今の自分は。

生物学的には何一つ繋がっていない。


公作は膝の上で拳を握った。

「では、この身体は一体誰なんだ」

医師からの返事はなかった。

答えられるはずもなかった。

「私は佐々木公作ではないのか」

「公作さん」

恵子がそっと呼ぶ。

「だが」

公作は恵子を見る。

「DNAが違う。子どもとも繋がっていない。身体も全部別人だ」

声が掠れ、眼は潤んでいた。

「だったら、私は誰なんだ」


会社を失った。

肩書を失った。

今度は、自分が自分である証拠まで失おうとしている。

記憶しか残っていない。


目に見えない記憶だけが、自分を佐々木公作だと主張している。

果たして、それだけで自分は自分だと言えるのだろうか。


診察室を出た後も、公作はほとんど口を開かなかった。

病院の待合室には親子連れがいた。

泣いている子ども。

あやしている母親。

受付で書類を書く父親。

どこにでもある光景だった。


公作は自分の小さな手を見つめる。

「美咲も翔太も」

ようやく声が出た。

「今の私が父親だと、証明できないらしい」


「違うわ」

隣に座る恵子が即座に答えた。

「検査ではそう出た」

「検査が何よ」

「だが」

「あなたが美咲と翔太の父親であることに、DNAなんて関係ないでしょう」

公作は恵子を見る。

恵子は真っ直ぐこちらを見ていた。

「でも私は」

「美咲が初めて歩いた時、一番喜んだのは誰?」

「……私だ」

「翔太が小学生の時、亀の名前を勝手に決めたのは?」

「勝手ではない。あいつが決められなかったからだ」

「美咲のレポートに一時間も講義するのは?」

「聞かれたから答えただけだ」

「そういうところよ」

恵子は少し笑った。

「その身体が誰のものだったとしても、そんな面倒臭いことを言うのは公作さんだけよ」

公作は返事ができなかった。


「顔が変わっても」

恵子は続ける。

「声が変わっても」

公作の小さな手を握る。

「DNAが変わっても、あなたが私達と過ごした時間まで変わるわけじゃない」

温かかった。

会社を辞めた夜と同じ手だった。

「それでも不安なら、私が覚えているわ」

「何をだ」

「あなたが佐々木公作だったこと」


公作は俯いた。

泣くつもりはなかった。

だが、視界が滲んだ。

「参ったな」

「何が?」

「最近、泣いてばかりだ」

「身体が若くなったからじゃない?」

「そういう問題か」

「知らない」

恵子は笑った。


「でも、一人じゃないわよ」

以前と同じ言葉だった。

公作は握られた手を、ゆっくり握り返した。

数字の上では、今の身体は佐々木公作ではなかった。

美咲と翔太の父親であることも証明できない。

それでも、過ごしてきた時間まで消えたわけではない。

問題は、その時間を社会がどう扱うかだった。


そして数日後。

公作は弁護士から、戸籍についての説明を受けることになった。

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