第十二話 入学式(後編)
一年三組。
教室へ入ると、あちこちで椅子を引く音がする。
話し声も聞こえてくる。
まだ誰も自分の席に慣れていない。
高校生活というものは、思っていた以上に騒がしかった。
「佐々木さん」
ひよりが隣から声をかける。
「何だ」
「緊張してます?」
「少しな」
「えっ」
ひよりが驚いたように言った。
「緊張するんですね」
「誰でもするだろう」
「全然そう見えないです」
「そういう性格なんだ」
本当は少し違う。
会社員としての生活よりも、高校生だらけの教室の方が落ち着かなかった。
その時、教室の扉が開いた。
担任の佐藤だった。
「席着けー」
ざわついていた教室が静かになる。
全員が席に座った。
佐藤は出席簿を開いた。
「まずは自己紹介から初めていこうか」
教室が少しざわつく。
「名前、中学時代のこと、趣味や部活、高校でやりたいこと」
「その辺を適当に喋っていこうか」
担任が言う。
随分大雑把だった。
だがここは高校で、まだ一年生だ。
順番に自己紹介が始まった。担任が名簿を読み上げ、生徒がそれに続く。
「相沢史郎です!〇〇中の野球部でした!野球を続けたいです!」
拍手が響く。
「江藤なぎさです。△△中の吹奏楽部でフルートをしていました。」
こちらも拍手が続く。
「織田かえでです。□□中出身です。友達いっぱい作ります!」
皆楽しそうだった。
「神谷」
ひよりの幼馴染、神谷の番となった。
「神谷悠真です」
人前に出るのは慣れている様子だった。人付き合いは苦手ではないらしい。
「大和中のサッカー部ではオフェンスを担当していました」
「皆さんに友達になってもらえると嬉しいです」
教室から笑いが起きる。
男子達が反応している。女子も彼を見る目は違っていた。
クラスの中心になりそうなタイプだった。
「鈴木」
担任が呼ぶ。ひよりの番になったようだ。
ひよりが立ち上がった。
少し緊張しているようだった。
見れば分かる。
手が少しだけ震えていた。
「鈴木ひよりです」
小さい声だった。
「大和中学校出身です」
「図書委員でした。趣味は読書です」
「皆さん、よろしくお願いします」
それだけだった。
だが教室からは温かい拍手が起きる。
ひよりは安心したような顔で座った。
そして。
「佐々木」
自分の名前が呼ばれた。
咲良は立ち上がる。
一瞬、教室が静かになった。
どうやら自分は目立つらしい。
ありがたくはなかった。
「佐々木咲良だ」
全員の目線がこちらを見る。
女子も。
男子も。
声は自分でもかわいらしい声だと今でも思う。
だが、明らかに自分の口調と合っていないとも思っている。
少し居心地が悪い。
「趣味は自分も読書だな」
そこまでは問題なかった。
「大和北中学校出身だが、病気でほとんど学校には行っていなかった」
沈黙。
教室の空気が少し止まる。
しまった、と思った。
設定であってもこういう場所には相応しくない。
「歴史書を読むのが好きで、考察を少々……」
明らかに高校生、女の子らしくなかった。
「新聞の投書欄や情勢欄についても、見識を深めるために目を通している」
自分が一体何を言っているのかわからなくなってきた。
後ろの方から声が聞こえた。
「渋っ」
教室が笑う。
少し助かった。
あとは、高校でやりたいことか。
何と言うべきだろう。
友達作り?
嘘ではない。
部活?
今のところ入る予定はない。
少し考えて、結局本音が出た。
「若い者達の考えを理解したい」
教室が止まった。
視線の端で担任は吹き出しそうになっているのが見えた。
数秒後、結局誰かが吹き出した。
「何それ!」
「親目線!」
「おじさんみたい!」
あまりのギャップに皆、大爆笑だった。
咲良は静かに座る。
やってしまった。
完全に浮いたと思った。
だが、休み時間になると予想外のことが起きた。
「佐々木」
男子が話しかけてくる。
「歴史好きなの?」
「本当に新聞読んでるの?」
質問が飛んでくる。
ひよりが横で笑っていた。
「人気者ですね」
「どこがだ」
「みんな名前覚えましたよ」
それは確かにそうだった。
クラス全員が覚えただろう。
若い人の考えを理解したい同級生の佐々木として。
それはそうと、みんなが聞きたいことがあるだろう。誰かが言う。
「同じ中学校だったんだけど、聞いたことないよ」
設定上では近隣の中学校に在籍していたことになっている。
正直、遠い学校にしておけばよかった。
「今は、病気の方は大丈夫なの?」
ひよりが聞く。
「大丈夫だ」
「よかった」
それだけだった。
設定自体は考えていたのだが。
誰も病名を聞かない。
理由も聞かない。
詳しい事情も聞かない。
会社なら違ったかもしれない。
もっと詳しく聞かれる。
会社運営上、必要なことだからだ。
だが高校生達は違った。
「今元気ならよくない?」
誰かが言う。
「それはそう」
「中学楽しめなかった分、高校楽しもうぜ」
話題が終わる。
咲良は少し驚いた。
「どうしたんです?」
ひよりが聞く。
「いや」
咲良は教室を見回した。
騒がしい。
落ち着きがない。
話も飛びまくる。
正直、めちゃくちゃだ。
それでも。
「最近の若いやつらは分からん」
思わず呟いた。
「また言った」
ひよりが笑う。
「だが」
咲良も少し笑った。
「案外悪くないかもしれないな」
ひよりも笑った。
会社では専務で会社の大黒柱だった。
家では父親で一家の主だった。
この教室では違う。
誰も佐々木公作を知らない。
知っているのは、高校一年生の佐々木咲良だけだった。
それはやっぱり、少し寂しくて、少しだけ自由だった。
そして咲良の高校生活は、こうして始まった。




