69.値打ちがあるのは、どちらでしょうね?
「だけど……そうじゃなかったらいいのにって、思ってました」
「俺は、」
燕星が刀を抜いた。
目の前で刀を構える燕星を見ても、蘭華は動じなかった。
その場に立って、行灯を背にして――自分の胸に手を当てて、燕星と対峙する。
「殺せますか? 私のこと」
「当たり、前だ」
「射礼の時は、出来なかったのに?」
蘭華の言葉に、燕星が押し黙る。
あの時燕星が声を上げなければ、蘭華は死んでいたかもしれない。だが彼はそうしなかった。あれだって暗殺計画の一環であった、はずなのに。
黙ったままの燕星を前にして、蘭華は続ける。
「ああでも私、燕星さんが暗殺者だって知っちゃいましたから。いくら私が偽物だって、女で子どもだからって、殺さないと。じゃないと――大事なものが守れない」
ゆっくりと、噛み砕くように。
ひとつひとつを説明するように、蘭華は静かに話す。
「貴方は私を、殺さないといけません」
燕星がかすかに、息を呑んだ。
そんなことは蘭華に言われるまでもなく、分かっているはずなのに、だ。
「でもね、燕星さん。今の状況だってきっと、兄さんの予想の範囲内ですよ」
蘭華はそっと、池の向こう岸に目を向ける。
暗殺と言っても、燕星が蘭華を切り捨てるのは最後の手段だろうと踏んでいた。
おそらく本命は――射礼の時のように。離れたところから狙撃して、誰が犯人か分からないように実行する方法を選ぶはず。
そうすれば、まだまだ燕星を再利用できるからだ。
「燕星さんには女子供は殺せない。だから兄さんはわざわざ私を遣わせたし――その護衛に燕星さんを選んだ」
話しながら、蘭華は向こう岸に目を凝らす。
ああでもさすがに、こちら側から見て分かるようなへまはしないだろうか。
目を閉じる。息を吸う。
大丈夫。大丈夫だ。
命の危機なんて、何度だって――乗り越えてきた。
「貴方が暗殺者だって、分かった上で」
くるりと振り返って、燕星と向き合う。
「嫌になりますね。全部あの人の、手のひらの上」
眉を下げて笑う蘭華。
これは蘭華の本心だった。全部全部分かった風なことをして――何も私に、相談しないで。
兄のそういうところが、嫌いだった。
「燕星さん」、と。蘭華がまた、燕星の名前を呼ぶ。
「前に言いましたよね。私の腕と、燕星さんの腕。どちらに価値があるかって」
蘭華が行灯を手に取る。
それを胸の前に掲げて、池の向こう岸に向かって立った。
「あれ、もう一度聞いてもいいですか?」
「何を、言っている」
「孤児で、貴族の養子ではあるけど、あの兄さんの妹で――燕星さんにとっては、ただの他人。対する燕星さんはきちんとした貴族の生まれで、妹とその子ども――ひいてはお家の命運を握っている」
「何を言っている」
「私の命と……燕星さんの命」
蘭華の手が、行灯にかかる。
ふっと、火が消えた。
「値打ちがあるのは、どちらでしょうね?」
「蘭華!!」
瞬間。
蘭華の身体が吹っ飛んだ。
燕星の腕の中に抱き込まれて、釣殿の床に叩きつけられる。
その衝撃で一瞬息が詰まって――何故か。
世界が一瞬、止まって見えた。
その止まった視界の中、蘭華は見た。
宙に取り残された行灯が、一本の矢に貫かれるのを。
「あは」
そう声が漏れると、世界の速さが元通りになる。
音を立てて落っこちた行灯が、床を転がっていくのを視界の隅で追いかけた。
視線を上げて、自分に覆いかぶさるようにしている燕星を見上げる。
酷い顔だ。まるで死んだ人間でも見るような顔をしていた。
「ほら、殺せないでしょう」
蘭華はあえて、笑ってみせる。
すべてを、見透かすように。




