63.私は結構居心地いいんですけどね、今。
「ど、どうしましょう……」
「自業自得」
冬の宮からの帰り道。
やってしまったと項垂れる蘭華に、紫雲が正論をお見舞いして傷口を広げていた。
渡るとなれば閨をともにするわけで、その段階で十中八九女だとバレる。
そうなれば紫雲たちのように自分たちも偽物というわけでもない限り、さすがに言い訳は通用しないだろう。
よしんばそれは何とかして乗り切るとしても――最大の懸念は、暗殺者の存在だ。射礼からこっち、暗殺者はすっかりなりを潜めている。
だがそれがかえって不気味であった。
もし蘭華が暗殺者なら、この機会を逃すことはない。自分が勝つか、もしくは自分が寝所に侵入しやすい妃を勝たせるか。どちらかで暗殺の機を狙う。
つまり――危険に晒される可能性が、非常に高いということだ。
どうするかと頭を抱えている蘭華に、ひとつ呆れたように息をついてから、紫雲が言う。
「要するに、オレが勝てばいいんでしょ?」
「え」
蘭華が思わず紫雲の顔を見た。
紫雲はけろりとした顔をしている。
「ありがとうございます紫雲さん、私のことを助けてくれるんですね……!!」
「んなわけないでしょ」
蘭華の言葉を、紫雲がばっさりと切り捨てる。
何でだよ。助けてくれたっていいじゃないか。
呆れたようにじとりと蘭華を睨んで、続けた。
「最終的に暗殺者以外が勝てばいいでしょって話。勝ちに来るやつに注意しとけば誰が暗殺者か炙り出せるかもだし」
「なるほど、それならやる価値はありそうですね」
紫雲の言葉に蘭華がふむふむと頷いた。
先ほどの紫雲の発言も、蘭華のことを囮にしようとしてのことなら納得だった。
「そ。勘違いするなってこと」とか言いながらつんとそっぽを向いている紫雲を横目に、晴暁が微笑を浮かべながら蘭華の顔を覗き込む。
「ふ、ふひひ。ボクもコレ得意、だから、負けない、よ」
「は?」
紫雲が晴暁に詰め寄る。間に挟まれて、蘭華の存在するスペースが圧迫された。
「何。アンタ勝つ気?」
「だ、だって、暗殺者以外が勝てば、いいなら、ボクでも、いいよね?」
「それは、」
晴暁の言葉に「それはそうだ」と蘭華は心の中で頷いた。二人とも暗殺者ではないし、蘭華の正体を知っている。つまりどっちが勝ってくれても、結論は変わらない。
のだが。
「イヤ」
「え」
「オレ、負けるの嫌いなの」
紫雲がふんと偉そうに胸を張る。
その顔を見て、蘭華は思った。「そういうこと言いそうだな、紫雲さん」と。
○ ○ ○
それから、紫雲と晴暁は貝合わせの特訓を開始した。
三百六十個の地貝を並べて、出役が桶から取り出した出貝の対になるものを探して取る、というのが基本の遊び方だ。並べるだけでも一苦労だし出役が必要なので、蘭華も一緒に手伝った。
紫雲はほとんど初めてというところからの練習だったが、飲みこみが早かった。もともとの瞬発力も高いので、覚えたものを取るのはとにかく早い。
晴暁は得意と言うだけあって、覚えるのも見つけるのも素早く正確だった。だがいかんせん身体能力が高くないので、もたついてしまうことがある。
両者一歩も譲らず、どちらも優勝候補なのではないかという仕上がりだった。
一息ついたところで、蘭華は一つの地貝を手に取る。当たり前のように、それは桶から取り出した出貝の対になるものだった。
そのままほいほいと次々に組み合わせを当てていく。
その様子を、二人がぽかんとして見つめていた。
「私これ、得意なんですよね」
蘭華がへらりと笑う。紫雲同様さほど貴族の遊戯に馴染みがあるわけではないが、蘭華には対になる貝を見つけるのは容易いことだった。
「だって値段が同じものを見つければいいだけなので」
「ズルじゃん」
「あはは」
脱力する紫雲に、蘭華はおかしそうに笑った。それを見て紫雲は「何だよそれ」と拗ねたように唇を尖らせる。
「アンタほんとに危機感ないよね」
「ありますよ」
「オレたち二人とも負けて、暗殺されたらどーすんの」
「その時は燕星さんが何とかしてくれますよ」
蘭華が背後の燕星を振り返る。
燕星がそこにいなかった。
「あ、あれ!?」
「もう見捨てられてるじゃん」
「縁起でもないこと言うのやめてください!!」
慌てて燕星を探して廊下に出れば、すぐそこの中庭にその背中を発見する。
ほっと胸を撫でおろしたのもつかの間。何者かが燕星を呼ぶ声がする。
「えんせー、こっちであそぼうよ!!」
「えんせー、早く早く!!」
「危ないだろう、ゆっくり歩け」
燕星が童女に囲まれていた。
腕の中にはあの時取り上げられた赤子だろう乳飲み子を抱いて、見たことのない優しい顔で微笑んでいる。
手に持っていた貝を落っことした蘭華。その音に気が付いて、燕星がこちらを振り向いた。
「え、燕星さん……結婚する気がないって言ってましたけど……まさかそういう……」
「おい待て何の話だ」
「後宮に来ても安心安全の無反応……適材適所ってつまり……」
「怒るぞ」
燕星がドスの聞いた声を出す。もう怒っていた。
その剣幕に負けて、蘭華は「冗談ですよ」と誤魔化すように笑った。
「子どもは正直だからな。何か変わった動きがないか情報を集めているだけだ」
「働き者ですね」
「当然だろう」
茶化した蘭華に、燕星が真面目な声で返事をする。
「早くこんなことは終わりにしたい」
燕星の言葉に、蘭華はぱちぱちと目を瞬いた。
そりゃあ将来有望な官吏である燕星にとっては、こんな仕事、父親と兄の件さえなければ――そして蘭華の兄に弱みを握られていなければ――関わりたくなかっただろう。
だけれど、と蘭華は思う。
飛び石の上に四つ、並んだ小石に視線を落とす。
私は結構居心地いいんですけどね、今。




