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偽物帝の後宮暮らし ~暗殺寸前の帝の影武者になったので、ついでだから後宮改革してみます~  作者: 岡崎マサムネ


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55.たぶん牛は参考にならない。

 どたん!!


 静まり返っていた御殿に突然何かが倒れるような音が響いて、蘭華は飛び上がった。

 ばっと晴暁の顔を仰ぎ見る。晴暁も目を見開いていた。


 え。ちょっと。

 あなたも知らない何かが起きてますか、もしかして、今。

 せっかく頼りになる専門家を味方に付けたと思ったのに?


 収まりかけていた鼓動がまた早くなる。蘭華の肩に添えられていた晴暁の腕をぎゅっと握りしめた。


「……けて……たすけて……」

「ひっ」

「だれか……助けて……」


 今度は人の声が聞こえてきた。苦しそうなうめき声と、助けを求めるような声。

 冷汗が噴き出して、握りしめている晴暁の着物がしっとり湿ってくる。


 この結界らしきものの中にいれば、安全? でも、さっきの「何か」が行った先からこの声が聞こえる、ということは。

 誰かが、取りつかれているのかも。


 いや、でも、憑りつくとかそんなの、島国で有名などこぞの御息所でもあるまいし。

 でもじゃあ、さっきのは。


 ぐるぐると思考していた蘭華は、はっと思い出した。結界から出ないように廊下に近づいて、自分が来た方向に向かって叫ぶ。


「燕星さん!! 助けてください!! おばけ!! おばけです!!」


 蘭華の声に反応して、曲がり角から燕星が火を灯した行灯を片手に、こちらを覗き込む。

 すたすたと普通に――本当に、普通に。赤子の手型の上を、無遠慮に――歩いてきた。


 そこで蘭華は察した。燕星さんはマジで幽霊信じてないタイプだ。


「幽霊は信じないとか言っていたくせに」

「実害がある場合は別ですよ!」

「実害?」

「あ、あっちの部屋から、変な音が」


 燕星が「くだらん」と言わんばかりに蘭華を一瞥して、またすたすたと今度は廊下の奥に向かって歩き出す。

 そして一秒の躊躇もなく、蘭華が指さした部屋の戸をがらりと開けた。


 蘭華はその迷いのなさにちょっと引いていた。燕星さん、私以上にお化けに興味ないんですね。

 だが、戸を開けたところで燕星の顔色が変わる。


「おい、大丈夫か!!」


 そう叫びながら燕星が部屋に飛び込んだ。

 咄嗟に背後の晴暁を振り向く。


「お、思ってたのと、違う」


 その呟きを受けて、蘭華も駆け出す。

 燕星に続いて部屋に駆け込むと――一人の妃がうずくまっている。

 燕星がその背を摩り、深く呼吸をするように指示していた。


 その妃の姿を見て、蘭華も気が付いた。

 腹部が膨らんでいて、足元には水たまりがあって、これはつまり。


「晴暁さん!! 誰か人!! 出産経験のある人を!!」

「え、あ」

「回れ右!!」

「う、うん!」

「走る!!」

「分かっ、た!!」


 晴暁がどたばたと走って行く。燕星に代わって、蘭華が妃の――妊婦の身体を支えた。


「湯を持って来る」


 言うが早いが、燕星も部屋を駆け出して行った。


 蘭華は混乱していた。

 帝に嫁ぐために入内した妃が何故身ごもっているのか。

 いや、今はそんなことを言っている場合じゃない。


 ええと、確か陣痛の間隔が開いているうちは、まだいきんじゃダメなんだったはず。とりあえずゆっくりと呼吸するように指示を続けた。

 入内前にすでに妊娠していて、気づかぬままに後宮に入り――言い出せないまま今に至るとか。それくらいしか思いつかない。

 思いつかない、が。

 こんなことになる前に言ってくれた方がお互いのためだったんじゃないだろうか。


 何とかするのに、と蘭華は妊婦の背を摩る。こちらは偽物で、しかも後宮から妃を減らしたくて仕方ない。

 適当に理由をつけて実家に帰してやるとか、少なくともこんなところで取り上げるようなことは避けられたのに。


 というか、産屋。産屋で産むんじゃないのか。いいのかこんなところで。

 故郷に誰か思い人がいたのか。今ここで産んだとて故郷に戻れるのか。知らずに後宮に送り出したとしたら家族にも怒られるのでは。


 そうだ、坊主。坊主も呼ぶべきなのか? いや陰陽師でもいいのか??

 それでいいなら手近にいるが、だが陰陽師はお経をあげるものだったか。


 蘭華の脳内は激しく混乱していた。混沌としていた。

 今考えるべきことからそうでないことまで、さまざまなものが入り乱れて騒がしい。


 自分が死にかけた経験はそれなりにあるが、生命が生まれる方はさすがに経験がない。近所のお見合いおばばから聞いた知識と、牛のお産を見たことがある程度だ。


 たぶん牛は参考にならない。人間は胎盤を食べない。食べないよね?

 ああもう、誰か、誰か有識者!


 大混乱していることを顔に出さないだけで精いっぱいで、無力感に苛まれながら妊婦の背を摩る。

 すると、部屋に燕星が戻ってきた。何人か妃を連れて、桶に入れた湯と布を持っている。


「ああ、何てこと!」


 そう叫んで、やや年嵩の妃が妊婦に駆け寄った。ほっとわずかに力が抜ける。少なくとも蘭華一人よりはマシだ。

 だが、――妃は本来全員処女のはず。出産の経験などないだろう。女官ならあるいは、というところだが、この時間だと何人残っているか。


 破水しているし、陣痛の間隔も短くなっている。あまり悠長なことを言っていられない。

 本当にここで、取り上げるのか?

 素人だらけの、この場所で?


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