51.よくもお越しになりましたお帰りください
燕星を伴って、夏の宮に渡る。
一応先ぶれは出したのだが、誰も迎えは来なかった。
帝が渡るとなれば、そしてそれが初めてのおとないとあらば過剰なくらいに歓迎されてしかるべきところだが――夏の宮はそうではないらしい。
もっとも、秋の宮も春の宮も最近は蘭華が来ても「あ、また来たんだ」くらいの反応になっているのでどこも偽物の帝への対応など大差ないのかもしれないが。
夏の宮の御殿。入り口に着いた……のだが。門扉が固く閉ざされている。
蘭華は扉を眺めて呆然とした。
あれ。私行くって言ったよね??
出迎えはさておき、少なくとも扉くらいは開けておくのが普通では。
どうしたものかと戸惑いながら、コンコンと扉を叩いてみる。
ややあって、扉がほんの少しだけ、開いた。
はぁ、よかったよかった、これで「ようこそお越しくださいました、ささお入りください」みたいないつもの会話が――
「よくもお越しになりましたお帰りください」
ばたん。
扉が再び閉ざされた。
うんうん、そうだね、よくもお越しに――え?
蘭華が目を瞬いた。
そして背後の燕星を振り返って、その顔を見る。
「……今、『よくもお越しになりました』って言われました?」
「言われたな」
「『お帰りください』って言われました?」
「言われたな」
燕星が蘭華の言葉を肯定する。
あまりの衝撃にしばし呆然として、閉ざされた扉に向き直る。
扉は見事にぴっちり、隙間なく閉められていた。
「追い返された!? 帝なのに!?!?」
「歴史上初めてだろうな」
「し、紫雲さんに怒られる……!」
あまりに不名誉な状況に、蘭華はがっくりと肩を落とした。
帝ともあろうものが妃に追い返されてすごすごと帰ったとあっては、何と情けない帝だと悪評が立ちかねない。
あの秋の宮の元に足繫く通っているという時点でただでさえ悪食の風評被害に遭っているところを、これ以上妙な噂が立ったら藍皇帝の名誉を穢した者としていよいよ紫雲に消されてしまう。
蘭華が扉をドンドンと叩きながら叫んだ。
「もしも~し、帝ですよ~! この国で一番やんごとないんですけど~?? 開けてくれないと処しますよ~! 処しちゃいますよ~!?」
帝本人の台詞とはとても思えない内容を口に上す蘭華。
すると、叩いていた扉がきぃ、と動いて――ほんの少しだけ開いた。
また閉じられてたまるかと、その隙間に蘭華が足を捻じ込む。
隙間の奥から、声がした。
「……で、でも君、帝じゃない、よね……」
「声ひっく!!」
その声に、蘭華が思わず叫んだ。
何なら燕星よりも低いんじゃないかと言うそれは、どう聞いても女の声ではない。
扉が開く。
立っていたのは、青色の制服を身に着けた妃だった。
紫に次いで身分の高い色。ゆらゆらと癖のある黒髪にも見覚えがある。
夏の宮、その人だ。
座っているところしか見たことがなかったが、とても背が高い。猫背気味で背中を丸めているが、背筋を伸ばしてしゃんと立ったら志勇よりも背が高いかもしれない。鴨居に頭をぶつけそうだ。
垂れ目の下にあるほくろが悩ましく、すらりと通った鼻筋も目を引く。
紫雲が光り輝くような美しさだとすると、夏の宮はしっとりとした、陰のある美しさだ。
美しいことには間違いない……が。
燕星よりも声が低くて、志勇よりも背が高い人間が、女のはずがなく。
「……失礼ですが、男性でいらっしゃる?」
「そ、そういう君は女の子、だよね」
恐る恐る尋ねた蘭華に、夏の宮はほんのちらりとだけ蘭華を見てそう返した。
偽物であるどころか性別まで断定した夏の宮に、蘭華は心の中で紫雲に悪態をつく。
ほら、紫雲さん。見たら分かるんですよ、普通。いくら貧相でも。
蘭華が偽物であることは言わずもがなだが、夏の宮も男である以上、本物の妃ではない。互いに偽物同士であることは明らかだ。
万が一この夏の宮が暗殺者だった場合には――向こうは一人で、こちらには燕星もついている。荒事になっても対応できると判断して、蘭華が頷いた。
それを聞いた夏の宮は、がばっと勢いよく俯いて自分の髪を掴んでいじいじと弄り始める。
「うわ、うわうわ、女の子と話しちゃった、どうしよ、ボクみたいな陰の者が」
「陰?」
「ほ、ほら、陰陽で言うとボクって、『陰』って感じでしょ……?」
「陰陽道の『陰』ってそういう感じなんですか?」
問いかけた蘭華に、夏の宮が頷く。
本当かなぁと蘭華は内心首を傾げたが、今それは本題ではないので深くは追及しなかった。
ちらりと燕星に視線を向けるが、彼は小さく首を横に振る。敵意はない、ということだろうか。
見たところ丸腰だが、いくら十二単よりは簡素な制服にしたと言っても妃の装束には隠すところがごまんとある。
袖から覗く手首などを見ると明らかに不健康そうな体型で、蘭華が蹴っ飛ばすだけでもぽきりと足とか折れそうだが――警戒はしておくに越したことはないだろう。
一旦中に入って話をしようと門をくぐりかけた蘭華に、夏の宮がぎゃっと悲鳴を上げた。
「だ、だめだめだめ、帰って」
「何でですか? 何かやましいことでも?」
「あー、え、えーとぉ」
夏の宮が髪を弄る速度が速くなった。こんなに近距離なのにどうしてこうも目が合わないのかと、蘭華は首を捻る。
怪しい。怪しいにもほどがある。
もしかして本当にこの人、暗殺者だったりする?
「燕星さん。この人怪しいです。暗殺者かも。処します?」
「ち、違うよぉ!!」
冗談半分で言ってみれば、夏の宮が慌てた様子でわたわたと髪と袖を振り乱す。
「父上と母上から、帝をお守りするように、って言われて、屋敷出るのとか本当に無理なのに、担ぎ込まれて仕方なく来ただけ、なのに……」
どんどんと声が小さくなっていく夏の宮。
やがてその大きな体をしおしおと縮こまらせて、膝を抱えて指で地面に梵の字を書き始める。地面に書く文字の選択がおかしい。
「こんな、引きこもりから突然、女の子と陽の者ばっかりのところ連れてこられて、ただでさえ気が滅入っているのに。そんなこと言うなんてあんまりだよ」
じめじめとした空気を纏いながら、すっかり小さくなってしまった夏の宮。鼻を啜る音まで聞こえてく
る。
これはどうも、暗殺どころではなさそうである。




