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偽物帝の後宮暮らし ~暗殺寸前の帝の影武者になったので、ついでだから後宮改革してみます~  作者: 岡崎マサムネ


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41.せっかく転んだのだ。タダでは起きない。

「逃げられた」


 いつの間にか月の御殿に戻ってきていた燕星が、肩で息をしながらそう言った。


 おそらく反対側の本殿まで走って行って矢を射った犯人を捜したものの、見つからずにそのまま取って返してきたのだろう。

 それにしてはいやに戻ってくるのが早い気もするが――以前横領犯や用心棒をまとめて畳んでしまったときの身体能力を想えば、やってやれないことはないだろう。


 本殿には射礼を見届けようと大勢の貴族や官吏が詰めかけていた。人ごみに紛れて逃げられてしまっても仕方がない。

 燕星の姿を確認して、紫雲が蘭華の身体を離す。


「蘭華」


 燕星が蘭華の名前を呼んだ。

 そして蘭華の背にそっと大きな手のひらを添える。

 その手のひらは、ひどく冷たかった。


「すまない、怖い思いをさせた」

「いえ、あの」

「落ち着け、ゆっくり息を」

「大丈夫です」


 蘭華が答えた。

 その顔を、燕星がじっと見る。

 蘭華は不思議そうに目を瞬いて彼の顔を見返すばかりだ。

 その表情に、燕星が唇を真一文字に結んだ。やがて自分の額を押さえながら、細く長く、ため息を吐く。


「大丈夫じゃない」

「いえ、びっくりはしましたよ。それはもう心臓ばっくばくで。うわ~、死ぬかと思った~、的な」

「…………いいか」


 以前燕星に怒られて面倒だったのを思い出した蘭華。あわてて言いつくろうと、燕星が低く、地を這うような声を出した。

 びくり、と蘭華の肩が跳ねる。またしても怒られそうな気配を察知して、蘭華はしおしおと身を縮めた。


「俺はお前の護衛だ」

「はい」

「護衛が離れてどうする」

「だって燕星さん足早いし」

「ちょっと。オレの足が遅いって?」

「………………」


 途中で割って入ってきた紫雲が蘭華の頭に肘を載せた。そのままぐりぐりと体重をかけられて、蘭華が呻いた。

 いくらなんでも妃として豪華な装束を身に着けている紫雲と、護衛として動きやすいように装飾が最低限の衣服を身に着けている燕星では、もとの足の速さがどうであれ燕星に軍配が上がるだろう。


 やれやれ紫雲さんったら負けず嫌いですね、とか笑って燕星の怒りをやり過ごそうとしたが、燕星は暗い顔をして、蘭華を見つめたままだ。


 その様子に、紫雲が呆れ顔でため息をつく。


「諦めなよ。アンタと違ってこの子お育ちが悪いんだから、いちいち心配してたら身体持たないよ」

「お前に何がわかる」

「おあいにく様。オレもこっち側だもん」

「そうですよ。燕星さんみたいなきちんとしたお家とは育ってきた環境が違うんです」

「それでも、まだ子どもだ」


 燕星がまたいつかのように、「だから嫌だったんだ」と呟く。

 子ども扱いをされると蘭華としてはやはり妙にむずむずしてしまって、居心地が悪い。


「今回は助かったが、やはりもう影武者は」

「そう、何と五体満足、助かりました!」


 燕星の言葉に、蘭華はぱちんと指を鳴らす。

 乗っかっていた紫雲の腕を振り払って立ち上がると、自分が無事であることを見せつけるように両手を力強く握って――そして、燕星に向かってにっと笑って見せる。


「これで百二十万金の儲けですね!!」

「は?」

「死んでたら九十万損してたものが、まるまる手元に残りました!」

「は??」


 燕星を見上げる蘭華の目は、爛々と輝いていた。


 子どもの頃、いつ死んでもおかしくなかった。拾った命だ。

 生きているだけで丸儲けだ。

 手元にあるのは、いつだってそれだけだった。


 だから蘭華はああ助かったと安堵こそすれ――その程度のことで怯えるような、繊細な心は持ち合わせていなかった。

 そんなことよりも、手元に残ったものを数えるべきだ。己の持ち合わせと向き合うべきだ。それが蘭華の信条であった。


「これを元手にまた、賭けができますよ!」


 そう言った蘭華に、燕星の眉間の皺がぎゅっと深くなった。紫雲がやれやれとため息をついて苦笑いする。

 二人の姿を見て、蘭華の身体からわずかに残っていたこわばりが抜ける。


 いつだって、手元にあるのは自分の命だけ。

 だが今は――それ以外にも手に入れたものがある。


「それに燕星さんも、紫雲さんも。本当に危ない時には、私を助けてくれるってことが分かりました。これは値千金……いえ、値三十万金の利益です」


 にっこり笑って告げる。

 燕星も紫雲も、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。その様子に蘭華はますます笑みを深くした。


「…………それは利益と言わない」

「助けて損した」

「またまたぁ。そんなこと言って助けてくれるくせに」


 肘でつんつんと燕星を突っつくと、紫雲に扇で頭を叩かれた。

 痛い痛いとふざけて笑って……そして、蘭華は顔を上げる。

 廂の的を通り越して――反対側の本殿を見据えた。


「大丈夫です」


 大丈夫。

 そう自分に言い聞かせるように言う。

 暗殺の危機がある帝の影武者を引き受けたのだ。このくらいの危険は織り込み済み。


 少し平和ボケして忘れかけていただけで――そんなもの、最初から分かっていた。

 危険で、他の人間が誰も乗らないような勝負だからこそ――大きな利益が得られる。そういう賭けだった。


「もとからそのつもりで来たんですから」


 だから蘭華のすることは、変わらない。

 せっかく転んだのだ。タダでは起きない。


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