31.一億の顔に言われたら仕方ない。
本当にすみません……寝落ちておりました……今日も朝と夜で更新します。どうぞよろしくお願いします。
「これ生地です~」
「そこ置いて」
「これ糸です~」
「こっち」
「これ紙です~」
「運ぶだけじゃなくて手伝えよ!!」
大量の資材を運び込んで「じゃっ!」と去ろうとする蘭華の首根っこを、紫雲が引っ掴んだ。
試作品の型紙を前にため息をつく紫雲。立ち去ろうとしていた蘭華が、渋々戻ってきて腰を下ろした。
「はい、裁断して」
「紫雲さん、帝遣い荒いですねぇ」
「黙って手を動かす」
じゃき、じゃき、と布を切り割く音が響く。
紫雲は切り出した布を仮縫いして組み上げて、袖の形を調整しようとメモを取っていた。
それを横目に、反物に置かれた型紙を見下ろす蘭華。
「紫雲さん紫雲さん」
「何」
「これこっちの向きで生地を取った方が一反から切り出せる人数分が増え」
「却下。柄がズレるでしょうが」
「くっ……」
節約案を却下されて唇を噛む蘭華。どうせ襟元に使うからと言われて、気を取り直して作業を進めることにした。
じゃき、じゃき。じょき。
沈黙に、作業の音だけが響く。
その空気をハサミで割くついでに、蘭華がまた口を開いた。
「紫雲さんは」
「何」
「どうして……妃のフリを?」
また、沈黙。
答える気はないのかもしれない、と思うくらいの間を置いて――紫雲の声が空気を揺らす。
「依頼があったから」
「依頼?」
「オレ、草の者だから」
紫雲がぽつりと答える。
草、という言葉に、蘭華は一度道端に生えているアレを想像して——そしてすぐに打ち消した。
この場合の「草の者」は、「忍びの者」のことだ。貴族が諜報活動や暗殺なんかに使う、専門家。
今回で言えば、後宮に送り込まれているらしい暗殺者もそれに近いのかもしれない。
「口減らしで貴族の家に売られた。そこからずっとそうやって暮らしてる」
「私も」
じゃきん、と布を切り離す。
次の型紙に取り掛かりながら、蘭華も
「孤児なんです。たまたま、貴族のところで、拾ってもらえましたけど」
「は」
蘭華の言葉に、紫雲が口元を歪めて笑った。
妃らしい作り物めいた笑みではなく、こみ上げたかのような笑みだった。
「じゃあ何。帝も妃も庶民ってわけ」
「ですね」
「笑える」
紫雲が糸をぷつりと嚙み切った。試作品を体に当てて、鏡の前でくるりと回る。
美しい黒髪が、さらりと風に舞った。その身のこなしはとても女性らしくたおやかだったが――忍びの者らしく、足音一つしなかった。
「まぁ、オレはこのとおり、とにかく見た目が麗しかったから」
「はぁ」
「そこまで苦労はしなかったけどね。麗しすぎて困ったこともあったけど」
「へぇ」
「聞いてる?」
自分で言うかという台詞を聞き流して、蘭華はまたじゃきじゃきと鋏を走らせる。
型紙を止めていた針を一つ一つ、外していった。
「じゃあ、どうして藍皇帝の信者になったんですか?」
「信者て」
紫雲が不満げにかたちの良い眉を寄せる。
だが蘭華にとってはそう見えているのだから仕方がない。
「どうして、っていうか。元服の儀式の時に、ちょうど任務があって――そこで、見かけて」
ぽっと頬を染める紫雲。
今日は髪を一つに結わえているし、豪奢な女ものの着物も脱いでいる。
普段の妃の服装の時よりも幾分男性らしさを感じるいでたちだが……その様はまるで、恋する乙女のようだった。
「別にすっごく近くで見たわけじゃないし話したわけでもないけど、もうほんと藍様美しくて、衝撃で、髪はさらさらつやつやだし頬はふっくらしているのに顎のあたりはすっきりしていて、目元が涼しくて将来絶対美形、いやもう今見ても美形で、唇のほんのり滲んだ赤みと白い肌と、身長の割に長くてすらりとした手足とか美しすぎてマジで尊くて」
嵐のような物量と勢いで繰り広げられる台詞に、蘭華は途中から聞き取りを諦めた。
すっごく褒めてることが分かってればいいか、もう。
「オレも自分の美貌には自信があったけど……こんなすごい人がいるんだって、圧倒されたっていうか、打ちのめされたっていうか」
「あー、分かる気がします」
「アンタみたいな美意識ない人間に言われてもね」
「言い方!!」
そう蘭華が反論するが、その実蘭華が圧倒されたのはその「値段」なので、紫雲とは趣が異なっていた。
おそらくその話をしたら「藍様に値段をつけるなんてこの不届き者!」と手打ちにされることが分かっているので蘭華もそんなことは言わないが。
「まぁ、オレが美しくて、草だったから。結果的にこうして藍様を守る機会がもらえた。そう思うと悪くない人生だよ」
そう話す紫雲の横顔は、心から「悪くない」と思っているような、すっきりとしたものだった。
その横顔を見て、蘭華も我が身を顧みる。そして、言った。
「私も、ここで白米お腹いっぱい食べられるのは幸せですよ!」
「ちゃんと野菜も取りなさいよ」
紫雲が蘭華の鼻をつまむ。蘭華が「ぶみ」と妙な音を出したのを聞いて、紫雲はからからと笑っていた。
紫雲の見た目は男とも女とも言い切れない中性的なものだが、間違いなく見るものを惹きつける美貌だ。
その顔の横に出ている値打ちが、それを物語っていた。
そしてふと、蘭華が気づく。
「……あれ? でも忍なら、普通に屋根裏とかに潜んでいれば、妃のフリしなくてもいいのでは」
「だって似合うから」
「……」
即答された。
さらりと髪をかきあげる仕草に、ふふんと自信ありげに細められる瞳。
そりゃあ似合っていた。いたが、似合っているという理由だけでこんなことをしていいのか。
しばらくもにょもにょ奥歯にものが挟まったような顔をしていた蘭華だが、やがて諦めた。一億の顔に言われたら仕方ない。うん。




