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『あの庭は妻の趣味だから潰せ』と仰ったそうですね。  作者: 秋月 もみじ
第2章

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第7話 この人は家族だ


二度目の使者は、武官を伴っていた。


朝、深根樹の根に魔力を注いでいるとき、馬蹄の音が複数聞こえた。二頭ではない。四頭。整列した蹄の音。軍の隊列だ。


作業場に戻ると、エーリヒがすでに館の前に立っていた。腕を組んでいる。背筋がいつもより伸びている。かつて軍人だったときの姿勢だ。身体が覚えている。


「グリューネヴァルト伯爵。王宮水利局より参りました」


先頭の武官が馬を降りた。鎧は着ていないが、腰に剣を帯びている。文官ではなく武官。前回の使者とは格が違う。


「フローラ・ブルーメンタールを王都に同行いただきます」


同行。連行、と言い換えてもいい。


エーリヒの首に筋が浮いた。怒りの兆候。この人は怒ると首から先に硬くなる。


「同行の根拠は」


「学術委員会への出頭命令です。期限が過ぎております」


期限。マティアスが去ってから二週間。その間に返答がなかったことを「拒否」と見なしたのだろう。私は「自分の足で行く」と言った。でもそれは、まだ日程を決めていなかっただけだ。


「出頭は拒否していません。日程の調整を……」


「王命に日程調整の猶予はございません」


武官が一歩前に出た。その一歩が、エーリヒの何かを動かした。


「止まれ」


声が変わった。


今まで聞いたことのない声。低くて、硬くて、響く。荒野の風を切る声。客間で「……ああ」と呟く声とは別人のものだ。


武官が止まった。反射的に。軍人の身体は、命令の声に反応する。


「この人は俺の領地の客人じゃない」


エーリヒが武官の前に立った。半歩の距離。武官の方が背が高い。でもエーリヒの方が重い。体重が。姿勢が。


「家族だ」


言い切った。噛みしめるように。違う。噛みしめてなどいない。溢れたのだ。普段は一語一語を吟味するこの人の口から、吟味する前に零れ落ちた言葉。


武官が固まった。


「伯爵。王命に逆ら」


「逆らわない」


被せた。被せるエーリヒを、私は見たことがない。


「連行はさせない。この人は自分の足で行くと言った。自分の足で。連行じゃなく出頭だ。俺が護衛として同行する。領主として、それを」


言葉が途切れた。組み立てが追いつかなくなっている。法の条文を引こうとして、感情が先に走っている。


「……要求する」


絞り出した。最後だけ低く、硬く。軍人の声に戻した。


武官がたじろいだ。領主権の侵害になることは、武官にもわかっている。


私は声が出なかった。膝の裏が痺れている。この人の声がこんなに大きくなるのを、初めて聞いた。蜂蜜を匙で掬う手と同じ手が、今は拳を握っている。


「……私は、自分の足で行きます」


声が出た。自分の声が、思ったより落ち着いていた。


武官に向き直る。


「学術委員会に出席します。ただし、自分の意志で。グリューネヴァルト伯爵を同行者として。出発は三日後です。準備の時間をいただきます」


武官が私を見た。エーリヒを見た。四人の兵を見た。そして、小さく顎を引いた。


「三日後。遅れないように」


馬に跨がり、隊列が去っていった。蹄の音が遠ざかる。荒野に静寂が戻る。


◇◇◇


武官が去った後、エーリヒの背中が少し丸くなった。緊張が解けたのだ。拳を開く。手のひらに爪の跡が残っている。


「……言いすぎたか」


「いいえ」


「家族、は。まだ、正式には」


「正式かどうかは問題じゃないです」


エーリヒが顔を上げた。首筋まで赤い。怒鳴った直後の興奮と、「家族」と口にした照れが混ざっている。この人は、怒りの後にすぐ照れる。不思議な人だ。


「ありがとうございます」


「礼を言うことじゃない」


「言います。あなたが前に立ってくれたから、私は自分の足で行けるんです」


エーリヒは何も言わなかった。でも、首筋の赤が、さらに濃くなった。


◇◇◇


三日間で準備をする。


アルヴィンに留守を頼んだ。本格区画の着工は延期。試験区画の維持管理はアルヴィンに任せる。魔力の注入は私がいない間できないが、根が十分に伸びていれば二週間は持つ。


リーゼに伝えた。


「お姉さま、おでかけ?」


「王都に行ってきます。少し長いかもしれません」


「おうと。おうとって、おしろ?」


「お城に近いところ。大きな街だよ」


リーゼが考え込んでいる。七歳の頭で、何かを計算している。


「お姉さま、おかえりしてね」


「します。必ず」


「おとうさまもいっしょ?」


「一緒です」


「じゃあだいじょうぶ」


何が大丈夫なのか。たぶん、父と一緒なら大丈夫、という単純な信頼。七歳の信頼は、複雑な大人の事情など知らない。でも、その単純さが一番正しいのかもしれない。


リーゼが私の手を握った。小さくて、少し汚れていて、温かい手。庭の土が爪の間に入っている。この子の手は、私の手に似てきている。


指先がじわりと温かくなった。安心の反応。この子がいるから、ここに帰ってくる理由がある。


◇◇◇


出発の朝。


馬車は二頭立て。エーリヒが御者台に座る。護衛は雇えない。金がないのだ。伯爵が自分で馬車を駆る。滑稽に見えるかもしれない。でもこの人は元軍人で、馬の扱いは護衛より上手い。


荷物は最小限にした。着替えと、資料と、グリューネヴァルト領の土壌サンプル。そして、荒野の土を一袋。


「土を持っていくのか」


「ええ。学術委員会で実演するかもしれません。そのとき、この土地の土で見せたい」


エーリヒが頷いた。土の意味がわかる人に、説明は要らない。


馬車が動き出した。車輪が砂利を踏む。振り返ると、アルヴィンとリーゼが手を振っていた。リーゼの手が大きく揺れている。アルヴィンの手は小さく、でも確実に揺れている。


荒野が流れていく。赤い土。点在する緑。一年前、何もなかった場所に、今は深根樹のシルエットが立っている。


王都まで十日。この十日間、エーリヒと二人きりだ。


そのことに気づいて、急に喉が渇いた。水筒を取ろうとして、手が滑った。エーリヒが横目で見て、何も言わなかった。


言わないでくれてありがとう、と思った。

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