第5話 土の中の記憶
ルートヴィヒからの手紙は、いつも封が歪んでいる。蝋を溶かすのが下手なのだ。十八歳の青年が、蝋印に四苦八苦している姿を想像すると、口元が緩む。
封を開ける。便箋が三枚。字が大きい。この子の字は、ヴィクトルに似て端正だが、筆圧が私に似ている。血は繋がっていないのに、十三年一緒に暮らすと筆圧まで似るものだろうか。
「母上。ご報告があります」
「馬場を撤去し、旧庭園区画の掘削を続けています。先週、南端の区画で深根樹の主根に到達しました」
主根。
「地上部は完全に枯死していますが、地下八メートルの位置で主根が生きていました。直径は私の腕ほど。樹皮は黒ずんでいましたが、断面を削ると内部は白く、水分を含んでいます。庭師のトビアスと二人で確認しました。間違いありません」
息が詰まった。便箋の端がぼやけて見える。
生きていた。あの庭の最後の深根樹。地上では馬に踏まれ、根元を掘り返され、すべて死んだと思っていた。でも主根は地下深くに退避して、わずかに水脈と繋がって、一年以上を耐えていた。
植物は強い。地上が滅びても、根が生きていれば、そこから始められる。
「トビアスの見立てでは、この主根に新しい苗を接木すれば、浄化システムの核になるかもしれないとのことです。もちろん魔力が必要ですが、母上が教えてくださった基礎理論をもとに、僕なりに考えてみました。添付の図をご確認ください」
四枚目の紙。ルートヴィヒが描いた接木の設計図。粗い。学術的な精度には遠い。でも、発想は正しい。主根を足場にして、新しい深根樹を育てる。ゼロからではなく、残った根を土台にする。
この子は、本当に庭師になれるかもしれない。
いや。なれる、ではなく、もうなっている。自分の手で土を掘り、根を見つけ、設計図を描いた。それは、庭師だ。
◇◇◇
返事を書いた。接木の詳細な手順と、注意すべき魔力の流れについて。専門的な内容だが、噛み砕いて書く。この子はまだ魔力の制御を習得していない。でも知識だけでも渡しておけば、将来誰か魔法師を招いたとき、適切な指示ができる。
追伸を書きかけて、ペンが止まった。
「あなたが見つけた主根を、大切にしてください」
書いた。消した。また書いた。
「あの根は、私が十三年かけて育てたものの最後の一本です。でもそれはもう私のものではなく、あなたのものです」
これも消した。大袈裟だ。
結局、こう書いた。
「根のサンプルを少しだけ送ってください。分析したいので」
技術的な依頼として。感情を隠して。隠したつもりだが、この便箋の端が少し歪んでいることに、息子は気づくだろうか。
◇◇◇
手紙を封じた後、夕方の散歩に出た。
一人で出るつもりだったが、作業場を出たところでエーリヒとかち合った。同じ方向に歩き出して、暗黙のまま並んで歩いている。
荒野の夕暮れ。赤い空。影が長い。二人の影が、地面に並んで伸びていた。
「ルートヴィヒから」
エーリヒが切り出した。手紙のことを聞いたのだろう。この人は直接尋ねることはしない。でも、私が手紙を読んだ後に表情が変わったことには気づいている。
「主根が生きていたそうです。ヴァイスフェルトの庭の」
「……そうか」
「嬉しいはずなのに、妙な気持ちです」
口から出た。言うつもりはなかったのに。
エーリヒは黙って歩いている。聞いている。この人の沈黙は、話を促す沈黙だ。
「私がいなくても、根は生きていた。私が十三年かけて育てた根が、私を必要とせずに生きていた。それが嬉しくて、同時に、少し寂しいんです。おかしな話ですけど」
「おかしくない」
短い返事。でも、声の温度が一段低い。考えながら話している。
「俺も、この荒野に来たとき思った。妻がいなくても領地は回る。回るのに、なぜ俺はここにいる」
足が止まった。エーリヒが立ち止まったからだ。
夕日が横顔を照らしている。この人が亡き妻のことを自分から話すのは、珍しい。数える程しかない。
「でも、回るのと育つのは違う」
「……ええ」
「回るだけなら誰でもできる。育てるのは、そこにいる人間にしかできない」
沈黙。風が砂を運ぶ。
回るのと育つのは違う。そうだ。ヴァイスフェルトの根は生きていた。でも育ってはいなかった。私がいなくなってから、根は退避しただけだ。縮んで、守りに入って、辛うじて命を繋いでいた。育てるには、誰かの手が必要だ。
ルートヴィヒの手が、そこにある。
「手紙の追伸にもう一つ。ハンスが公爵家を辞めたそうです」
「ハンス。家令の」
「はい。ルートヴィヒのところにいるそうです。話したいことがあると」
エーリヒは何も言わなかった。でも、歩きながら少しだけ距離が縮まった。肩が触れそうで触れない、その一枚分の隙間。
もう少し近づきたい。でも、自分からは動けない。十三年間、誰にも触れなかった手が、まだ戸惑っている。
◇◇◇
帰り道、石に足を取られた。
つまずいた瞬間、腕を掴まれた。エーリヒの手。反射的に伸びた手。私の二の腕を、しっかり。
「……大丈夫か」
「大丈夫です」
大丈夫だ。足は何ともない。でも、腕を掴んでいる手が離れない。長い沈黙。掌の温度が袖越しに伝わってくる。
エーリヒが先に離した。
「……道が悪い」
道は悪くない。平坦な荒野だ。石は一つ転がっていただけだ。でも「道が悪い」と言うことで、手を伸ばした自分を正当化している。不器用にもほどがある。
私も不器用だ。「ありがとう」の一言が出るのに、十秒かかった。
館に着くまで、もう何も話さなかった。でも、歩幅が少しだけ合っていた。意識して合わせたのか、自然にそうなったのか。たぶん、どちらでもある。




