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深夜喫茶をクビになるイチ スウィートバウム少女石化事件9

  セクサティギーから逃げるようにして帰って来たイチを見てミュルガルデとエルビアニカは驚いた。

なにしろイチの格好からしていつもの格好でなく、完全に水商売の女そのものの服を着ており、全身から酒と吐しゃ物の臭いをまき散らしている。

特にミュルガルデは朝のミーティングの事があったためにイチの身を案じ、これから冒険者ギルドで行う打ち合わせを休んではどうかと提案してくれた。

イチは特別に報告できる事もないので、申し訳なく思いつつも前日に決めた方針をそのままにする事だけを決めて冒険者ギルドに向かうミュルガルデを見送り先にシャワーを浴びて身を清める事にした。

部屋着姿になり1階の居間に降りるとエルビアニカが温かい紅茶を淹れてくれていた。

エルビアニカは今日はオフなのだろう。上下で別れたラフな部屋着姿である。


 「で、結局いったい何があったんだい?」


 「実はかくかくしかじか……」


 イチが一部始終を報告するとエルビアニカは呆れた顔を見せた。


 「あんた、何やってるんだい。工作員やってるんじゃないんだから、必要な情報だけ聞き出したらさっさとずらかればいいのに、時間を無駄にして」


 「うぅ……、しかし、タイミングが見つからなくて……」


 「タイミングは作るもんだよ」


 イチはエルビアニカに叱られてがっくりと消沈してしまった。


 「私はエルビアニカみたいに上手く立ち回れないもん」


 「兎に角、時間がないんだろう?次に店に行ったら、顧客のリストを盗むなり同僚のジョキューって子に情報聞き出すなり、何も得られそうにないなら見切りをつけるなり……今のままじゃ店に潜入した意味があるのかないのかすらわからないよ」


 エルビアニカの言う事は1から10まで全て正しく思えた。

イチはエルビアニカの説教を聞きながら紅茶を飲んだ。

味は渋いが優しい温かさだった。



 その日の夜、イチは再びハピネスに出勤した。今日こそ何か情報を得て戻ると強く決意しながら。

開店前にハピネスの扉を開けると、ジョキューが開店の準備をしていた。


 「やあジョキュー、昨日は色々世話になった」


 しかしイチがジョキューに話しかけてもジョキューの表情はどこか暗い。


 「……? どこか悪いのか?」


 「別に……」


 どことなくジョキューの言葉が刺々しい。

昨日のあの親身に話しかけてくれたジョキューとはまるで別人だった。

ジョキューは開店前だと言うのに、ボックス席にどこか不貞腐れたように座っている。


 「なにか、開店準備で手伝う事があれば言ってくれ」


 「別にない。ごめん、今少しイライラしてるから」


 そう言われてイチは戸惑った。

昨日、一時記憶を失うまで酒に酔っていたがその間にジョキューと揉めた事はないはずだ。

出来れば開店前にジョキューと話し、何か情報を引き出せたらとも思っていたのでイチは困ってしまった。

仕方なく店の奥にいるセーゲンに挨拶に行くとセーゲンは「あの子は気分の浮き沈みが激しいから気にしなくて良い」と教えてくれた。

どうやら夜の店で働く女性にはこういう傾向がありがちだという事をイチが知るのはまだ先の話であった。


 「しかし、てっきり飛ぶかと思ってたけどちゃんと来たね」


 そう言ってセーゲンは笑った。

"飛ぶ”とは何も言わずに無断で仕事場に来なくなる事の隠語である。

体験入店の初日で居なくなる従業員はそこそこいるらしい。


 「セーゲンは、なんでこの仕事をしてるんだ?」


 イチはとりあえずセーゲンとコミュニケーションを試みた。

本当は単刀直入に失踪したフェーンの事を聞きたかったが、それではあまりにもあからさますぎるように思えた。


 「なぜって、稼げるからさ。それ以外にないね」


 「けど、私も昨日、危うく宿に連れ込まれそうになった。危険の多い仕事な気がして……」


 「それで……?」


 「最近、夜職の女性が失踪する事件もあるって聞いてる」


 イチの言葉を聞いて心なしかセーゲンの目が鋭く光った気がした。イチは仲間のエルビアニカや、魔法使いのシーナより人の懐に入り込む能力に劣る。


 ____露骨すぎたか?


 内心焦りを感じているイチだったが、良いタイミングでハピネスの客がやって来たのでそこで会話は中断された。

最初、ジョキューとイチで客の対応をする事になったはジョキューは相変わらず不機嫌な様子だった。

客のほうがジョキューの機嫌を取ろうとする始末で、イチが居心地の悪さを感じていたところに意外な人物が客としてやってくる事になる。

ワーコル・クロッチーと呼ばれる蛙人であった。



 「イチちゃんまさかこんなとこでまた会えるなんて思わんかったわ! これは果報やでぇ」


 そう言ってイチの目の前の蛙人はケロケロと笑った。

ワーコル・クロッチー。バルティゴ連邦の西の海を渡った大日国で鳥山明斎に強く影響を受けた画家で、彼の『川に流れるエルフ』の絵は現代では良い家が1軒買えるほどの値がつけられている。


 「イチちゃんは相変わらずめんこい! ワテ、イチちゃんのその綺麗な青いおめ目を見るとウットリしてな、なんとも言えん幸せな気持ちになんねんな」


 「あはは……どうも」


 この蛙人はため息が出るほどの女好きで、イチはかつてスウィートバウムで起きた連続下着泥棒事件の際に彼の協力を得た事がある。

今日も大日国の民族衣装である布1枚を帯で留めた着物に身を包んでおり風流に扇子を扇ぐ。


 「そんでな。もうこれ、ダメ元で聞くんやけどな、パンティくれへんか?」


 「ダメだぞ」


 ワーコルには種族や年齢問わず、女性が履いているショーツを集めるという奇特な趣味があった。


 「冗談や冗談! こういうのはタイミングが大切やさかい、いつかその気になった時に貰えればええ」


 「その気になる時があってたまるか!」


 このワーコルという蛙人には変態的な性癖があったが、どこか小粋なところがあり周囲から趣味人と言われる事が多かった。

さて、その小粋な趣味人は歓楽街セクサティギーを中心に事情通でもあったのでイチはそれとなくフェーンの事を聞き出す事ができた。


 「あの子いなくなったんか? えらいこっちゃ」


 ワーコルはゲロっと鳴くと目を剥いた。


 「ワテも仲良うしてもろとったから力になりたいんやけども……」


 どうやら特別核心に近い情報は持っていないようだった。しかしながら何か心当たりがあったのだろう。


 「そうやな、もしかするとテレポクラーベに関係が……」


 「テレポクラーベ?」


 イチはワーコルのために水割りを作りながら突然出てきた単語を聞き返した。しかしながらワーコルはゲロゲロと鳴いて腕を組んで何かを考えこみ、イチが作った水割りを一気に飲み干すと水掻きのついた手を打って立ち上がった。


 「ま、今日はケツありやから混み入った話は別の日にでも……」


 ワーコルはそう言うと会計を求めるハンドサインを出した。

イチ達の様子を見ていたのか奥から女店主であるセーゲンがやって来た。

ワーコルはやはり上客なのだろう。


 「もう行っちゃうのかい? 少しはゆっくりしてきゃあいいのに」


 「すんまへんセーゲンはん。待ってる子がいるさかい。これで何か美味いもんでも食べてや」


 ワーコルは「釣りはいらんで」と紙幣を渡し、そしてセーゲンの耳に顔を近づけると「イチちゃんを助けてあげてや。この子、ええ子やさかい」と耳打ちした。


 セーゲンを店の出口まで見送ると、セーゲンはジロリとイチを見た。


 「あんた、ワコちゃんと顔見知りだったのかい?」


 「……いや、まあ」


 「…………ふん。まあ、いいか」


 そう言ってセーゲンは店の奥に戻っていった。



 その後、この日の営業は特に大騒ぎするような客も現れず比較的平和な営業となった。とは言いながらも既に朝日が昇っている。

ジョキューは半ばヤケ酒のように客から強い酒をねだり続けていたので途中で酔いつぶれてしまっていた。

セーゲンは彼女も馴染みの客の酒に長く付き合っていたので完全に潰れてはいなかったものの、カウンターに肘をついて頭を押さえている。


 ____2人はほとんど毎日、こんな朝を迎えているのか。


 酒に自信のないイチにはとてもではないが耐えられない生活である。それでも毎晩、精神力を削りながらカウンターに立つ夜の女達に尊敬の念を感じていた。

イチは動けない2人の代わりに洗物を済ませ先に帰ろうとしたところ、背後から声をかけられる。セーゲンの声だった。


 「あんた、もう店に来なくていいよ」


 「……え?」


 振り返るとセーゲンはグラスに新しい氷を入れて、ウィスキーをそのまま注いだ。この時間からまだ飲もうと言うのだろうか。


 「あんだけ露骨にやられちゃね、あんた、冒険者としてはまだまだだね」


 「いや、私は……その」


 動揺して言葉に詰まるイチを見てクツクツとセーゲンは笑った。

イチは営業中、ワーコル以外の客にもさりげなく失踪した少女に関する情報を聞こうとしていたのだが、セーゲンはその様子をしっかりと見ていたのだろう。


 「セクサティギーの人形通りにテレポクラーべって店がある。そこを紹介してやる」


 素性がバレて動揺していたイチはセーゲンにどう言い訳をしようか必死に頭をひねっていたが、セーゲンは意外な事を言い出した。


 「なぜ?」


 「助けてやるって言うんだよ。黙って聞きな」


 セーゲンは事件解決の核心に近づくヒントをイチに与えたが、それはワーコルの一言が効いたのが本質的なところだろう。


 「フェーンのためか?」


 そう聞くイチにセーゲンはウィスキーを呷って一気に半分ほど飲むと答えた。


 「あんなバカな子でもウチの子さ。どいつがやったか検討もついてる。だけど、店として協力はできない。あんたが失敗しないとも限らんからさ」


 セーゲンはフェーンが失踪した事件について心当たりはあった。あったが、それは店の外で起きた事でありハピネスの店主として首を突っ込むのは大義が立たないとセーゲンは感じていた。それ以上に余計な手出しをする事でフェーン失踪の裏にいる怪しげな存在に変に恨まれる事を恐れていた。

その事情がわからないほどイチは子供ではない。



 「恨まれたら怖いんだろ? 回りくどいが、ヒントをくれただけでも嬉しい」


 そのイチの真っすぐな態度にセーゲンはまたクツクツと笑った。


 「物分かりの良い子だね。男に良いように使われるんじゃないよ」


 セーゲンはそう言って気がついた。

物分かりが良い事で不幸になった少女が何人いるだろうか?

物分かりが良いとは言えず、朧げな自由という環境を望んで自ら不幸になっていった少女のほうがはるかに多いのではないか。

目の前のイチという少女もそのうち男に恋をする事もあるだろう。だがこの真っすぐな目をした少女が、男に騙されセーゲンやジョキューのように苦渋を味わうような姿は想像できなかった。

もしかすると幸せという物は、明るい太陽の下にあるのかもしれなかったなと、セーゲンは朧気に感じた。


 「もしフェーンが見つかったら報告に来る」


 「いや、あんたはもう顔を見せないでくれ。厄介ごとはゴメンだからね」


 「____そうか。すまない」


 セーゲンは瑠璃色の帽子を被り直し出ていこうとするイチを引き留めた。


 「待ちな」


 「……??」


 「給料だよ。服代は引いてあるからね」


 「あ……ありがとう」


 そう言ってセーゲンは紙幣が数枚入った封筒をイチに手渡した。既にイチの顔は冒険者の顔に戻っている。そう思えば、最初自身が「ダサい」と言ったベレー帽もしっかりと似合っているように思えた。

 

 「あんた、不思議な子だね。どんな時も負けんじゃないよ」


 そう言ってセーゲンはイチを抱きしめてから見送ってくれた。イチは香水と酒の臭いが混ざったセーゲンの匂いを感じながらセーゲンの単純ではない優しさを受け取っていた。



 セクサティギーの早朝。

この街の朝はどこか白茶けていて、人の営みの残滓を見ずにはいられない。

酔いつぶれて路上で寝ている若い男。まだ酒が足りないのか連れだって笑い合う男女。そこらに残されたゴミ。生ゴミをついばむ烏の鳴き声。そして悪臭。

イチが灯の消えたガス灯の柱を何本か通り過ぎた時に背後から自分を呼び止める少女の声がした。

それはジョキューだった。


 「ごめんねイチちゃん。今日の私、嫌な奴だったよね。私、自分で自分がダメダメなのに良くなれない時があって」


 ジョキューは走って来たのだろう。元々の体力もないのか肩で息をしていた。


 「キライになったよね。でも、また会おう? また会ってほしい」


 イチはそんなジョキューに歩み寄り、疲れて前かがみになっているその背中をさすってやった。


 「嫌いになんかなってないよ。また会おう」


 しかしこの言葉はなんの約束にもなっていない。ただ口から出てくるに任せた優しいが空虚な言葉だった。


 ジョキューはイチに抱き着くと涙を流しながら胸の中で泣いて何度も「ゴメンね、嫌いにならないで」と繰り返した。

ジョキューはただ一時の感傷でしか涙を流していない。

もし仮にイチがジョキューを拒絶しようと、嫌悪していようとジョキューの人生にとって何も困る事はない。

今涙を流しているジョキューは、1カ月もすればイチの事など綺麗に忘れてしまっているのは容易に想像できた。

それでも、目の前の少女が少しでも幸せになればいいなと思うイチだった。


 「ごめんね。ごめんね。また会おうね。今度は一緒にもっと仲良くしようね」


 「ああ、そうだな。また会おう」


 そう言ってジョキューは瞼を腫らすまで泣いていた。

イチは優しく彼女の背中を叩いてやった。

そしてその後、イチとジョキューが再会する事はなかった。 

冗長になるのを承知ではあったが、この事件の中でも印象的な一幕であったように思うので冗長を承知で書き残す事にする。

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小説も、読者様と物語のコミュニケーションですからね。


1話完結なのでイチ達のこんな姿が見たいなどの要望などもあれば是非!

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