イチ嘔吐!急性アルコール中毒にご注意を。ラブホに連れ込まれそうになるイチ。 スウィートバウム少女石化事件8
イチが自分の接客に早すぎる自信を持ち始めてすぐ、また新たな客がやって来た。
その男は40歳手前で、髪を刈り上げ全体的に逆立てている男で既に何軒か回った後なのだろう。入店時から顔が赤く酔っているようだった。
男は椅子に座るなりカウンターの上に煙草の箱を置きイチが灰皿を出す前に煙草に火をつけた。
「ペチカだ。よろしく」
ペチカはこの店でのイチの源氏名である。
「何が?」
男は何を思ったか、イチの名乗りにも笑顔を見せるような事をせず不審な目で彼女を見ていた。
「何がって……、私の名前だが」
「聞いてないんだけど」
「え?」
「別に名前聞いてないんだけど」
態度から察するに、男はイチが聞かれる前に名を名乗ったのが不満だったのかもしれない。
しかしそんな事で機嫌を悪くされてもイチとしては困ってしまう。
「えーと、何か飲むか……?」
「エール」
イチは居心地の悪さを感じながらもエールを注ぐと客に出した。
「あの、もし良かったら私も一杯頂けないだろうか?」
「なんで?」
「え?」
「なんで出さなきゃなんないの?」
「それは……」
実はそれはイチにとっても即答できない問題だった。
そういう仕事だと割り切ればそうなのだが、確かに客がカウンターの中の人間に一杯出さなければならない道理はない。
「別にいいけど。飲んでも」
しかしながら客はどうやらイチに一杯ご馳走する意志はあるようだ。
____くれるのか……? 単なる天邪鬼な奴なのか?
「さっきの客は優しかったのに……」などと思わずにはいられないイチだったが、自分の分の薄く作ったウィスキーの水割りを作ると今度は粗相のないようにちゃんと客の男とグラスを合わせた。
男は「うぇい」と意味不明の掛け声を出して乾杯した。
そしてイチがグラスに口をつけるとニタニタと笑いおかしな事を言い始めた。
「俺からの一杯飲んだって事は、俺に服従したって事だから」
「は?」
「だってそうじゃん。その一杯がいくらか知んないけど、俺からすれば一杯他人から貰うってのはそういう事だから」
普段のイチだったらこんな傲慢な言い方をする男がいたら何か言う前に無視して相手にしないか、最悪鉄拳で自分の意志を示すかをするのだが、やはり人間と言うのは環境や舞台で立ち振る舞いが変わる生き物で、イチも流石にこのハピネスで『冒険者イチ』として振舞えなかったのだろう。男に何も言い返せず狼狽した。
「言い返せないって事はそういう事でしょ。君は俺に服従してんだよもう」
「そ、それはいくらなんでも傲慢じゃないか」
「俺、傲慢だから」
いつものイチであったら目の前でニタニタ笑う男に、「傲慢を理由に好き勝手言って許されると思うなよ」とでも言いながら怒りの鉄拳を食らわせただろうが、初めて会った人種を前にしているのと曲がりなりにも店の人間であるという意識、そしてグラグラと感じる怒りと悔しさで何かを言い返す事すらできなかった。
「さてと、服従したならなにしてもらおっかな」
男はそういって赤い舌を出して唇を舐めた。
男にとっては軽い冗談だったのかもしれないが、その悍ましさにイチは凄まじい嫌悪感を感じ、周囲が真っ暗になったような気さえした。
このまま他の要因がなければイチは冒険者としての自分に感情を任せ、目の前の男にしかるべき反抗を行うところだっただろう。
そしてこの時代であれば侮辱に対する暴力は多くの場合で許される。
しかしそうはならなかった。
「なになに? なんの話してんの〜?」
いつのまにか常連の男を見送ったジョキューがやってきてイチのヘルプに入ってくれたのだ。
「この女が俺に服従してるって話」
「なにそれウケる〜〜〜。あたしも服従していい?」
「おお、君も服従したいか。好きなの飲めよ」
「マジ??? 嬉しい犬! 一緒に強いの飲もうよ」
「いいね。破天荒じゃん」
「あたし破天荒だから。お客さんと一緒だね」
ジョキューは大したもので一瞬で客の男のペースに合わせてしまった。
ジョキューは先ほどと同じ手順でイチの分のショットを作っていいか誘導しようとしたが、客の男は厄介だった。
「俺、店の子信用しないから。飲んでもいいけど、ショットには俺が注ぐ。そうじゃないと飲ませないよ」
こんな横暴を言うのである。
ジョキューは一瞬「あちゃ〜」という顔をしたが、自分に入るドリンクバックと店の売り上げの事を考え、イチを庇う事を放棄した。
庇う事を放棄したと表現したらジョキューの気を損ねるかもしれない。
彼女はおおかた「気合いで飲んじゃえばイチも大丈夫っしょ」とでも思っていたに違いないからだ。
「おし。じゃあ飲もうぜ」
男はジョキューから蒸留酒の瓶を受け取るとカウンターの上のショットグラス三つになみなみと注いだ。
「ほらほら。ペチカも乾杯しないと」
イチはなし崩しでこの狂った酒のパーティに参加させられることになり、生まれて初めて手にとったショットグラス。そして無色ではあるが強烈なアルコール度数を孕んだ蒸留酒を前に戦慄した。
____ま、マジか?
というのもイチはそんなに酒が強いほうではない。
まったくの下戸というわけでもないが、エール酒だったら2杯も飲めばもう酔ってしまう。
「何? ビビってんの?」
「大丈夫。うちのショットは美味しいから」
目線を泳がせると客の男とジョキューが、それぞれ立場と感情は違えど一気に飲むように要求しているように見えた。
実を言うとイチがそう思い込んでいるだけで、一気に飲まずとも切り抜ける事はできたのだろうがこれも同調圧力のひとつなのかもしれない。
____や、やってやる。私だって狼の冒険者なんだ。このくらいワケないさ!
そしてイチの中に僅かにある「他人に酒が弱いと見下されたくない」という虚栄心が、彼女に無茶な一気飲みをさせてしまった。
若い読者諸氏は決して場の雰囲気に流されてこういう飲み方を事をしないように。
「乾杯〜〜〜!」
ジョキューの掛け声で3人はショットグラスを煽った。
ジョキューと客の男は流石に慣れているのか、軽々と飲んでみせたのだが問題はイチである。
____や、灼ける! 喉が、胸が……灼ける! ま、不味い!!!
そもそも蒸留酒など一気に飲んで美味いものではない。
無論、ショットグラスで一気に飲む飲み方でも美味い飲み方はあるが、そういうものは大体付け合わせにレモンやライム、砂糖や塩などがつけられて風味を楽しめる工夫がされている場合が殆どだ。
込み上げてくるような胸のムカつきに苦しむイチだったが、ジョキューはとんでもない事を言い始めたのである。
「やば犬!も う一回飲もうよ!」
すっかり気を良くした客の男はジョキューの言葉を聞くと再び並々と蒸留酒を注ぎ、ジョキューはさりげなく会計表に注がれた蒸留酒の分を計上した。
____じょ、冗談じゃ。
まるで煮えたぎる毒を連続で飲まされるような恐ろしさにイチは言葉を失った。
普段であればイチは確固たる意思でもって2杯目は敬遠できただろうが、人間というのはペースを奪われるとこのように場のノリに従ってしまうものである。
破滅を感じながらも今度は「いってらっしゃい」の掛け声で3つのショットグラスが呷られる。
煮えた鉛を飲む覚悟でイチは酒を喉奥に流しこんだが、急激に巡ったアルコールがイチの視界を上下に揺さぶり始めた。
「うっし。もう一発いけるべ」
イチは遥彼方から男のそんな恐ろしい声を聞いて視界が真っ暗になった。
思わず胃の奥から熱い物が込み上げ、「トイレ……トイレ……」と言いながらふらつく足で店内を行きつ戻りつし、なんとか手洗いに駆け込んで便器の前まで辿り着くと、そこが便所の床である事を知っていながらその場で膝を突き、口から濁った流体を吐き出した。
「お"え"………ぇ………げぇええええええええええ!!!」
うっかり自分の髪が便器に入ってしまわないように辛うじて働く頭で身体を逃したが、吐瀉物の残り滓が僅かに服に付着してしまった。
「う"っ…………おええええええええええ!」
しばらく立ち上がる事ができず、かといって一瞬アルコールを体外に排出したとてイチの正気は復活せず、気を抜けばそのまま床に倒れてしまいそうだった。
むしろそのまま倒れて気を失ってしまっても良かったのだが、イチの屈強な精神が妙なところで倒れる事を許さなかった。
手洗いの外からはいつの間にやら複数人の男達の笑う声が聞こえる。
新たな客が来たのだろう。
「え"え"っ……、っぺえッッッッッ!」
最後に一度だけ大きくえずき、ほとんど透明な粘液と化した胃液を口から垂らすと、一度だけ用を足して再び立ち上がった。
____やってやる。この程度で負けてたまるか。酒だろうがなんだろうが、戦ってやる。
何と戦っているのか彼女自身理解不能だが、彼女の不屈の精神はこの酒の場においても戦う事を選択したのである。
その戦いはまったくもって無意味で彼女の依頼を何も前進させはしないのだが、イチという少女はそういう少女なのである。
◆
その後、イチは朝7時頃にセクサティギーの路上で連れ込み宿に連れ込まれる前に目を覚ました。
連れ込み宿とは男女がベッドを共にするのを目的に作られた宿屋である。
相手はイチの記憶にない人族の若い男だったが、イチは目覚めると状況も理解できないままイチの肩に腕を回してイチを引きずって歩く男を護身術で投げ飛ばした。これはほとんど反射的なもので、当のイチが投げ飛ばされて路上に山のように積み重ねられたゴミの山に叩きつけられた男を見て驚いていた。
朧気な記憶だが、あの後トイレから戻った後、いつの間にか増えていた客を相手にジョキューと一緒に限界を超えた酒量を飲まされ、尚且つアフターとして朝までやっている酒場でも飲まされ、その後殆ど意識を消失したところで連れ込み宿に連れ込まれそうになったのだろう。
部屋に引きずり込まれる前に目を覚まさなかったらどうなっていたかわからない。
「わ、私も悪いかもしれないが、お前のほうが悪いからな。酔いつぶれた女を宿に連れ込もうとするんじゃない!」
口から泡を吹いて失神している男にイチはそう言い捨てるとその場を走って後にした。しかし急に走ったせいで再び吐き気が込み上げてガス灯の柱に盛大に吐いてしまい、カラスやネズミに新たな餌を与える事になってしまった。
「____つ、辛い」
気が付けば折角買った新しい服も、髪も顔もグチャグチャで身体中から酒の臭いが漂っていた。
「無理だ____こんな仕事、普通の神経じゃ無理だ____」
初めて体験した深夜喫茶の仕事だが、こんな生活を毎日続けていると考えるとイチから見てジョキューは超人に思える。
強烈な頭痛と胃のむかつき、気を抜けば薄れる意識の中、イチはセクサティギーから逃げるようにして街を後にしたのである。




