イチと「……うふ」おじさん スウィートバウム少女石化事件7
過去の話を度々出して申し訳ないが、イチはかつて仲間のシーナ・アハトゼヘルとナイトクラブに調査の為に出向いた際、一瞬ホステスのような役回りをする必要に迫られたのだがそれはまったく上手くできず、たまたま居合わせたシーナ・アハトゼヘルが天性のホステスの才能を発揮したので満足いく結果に終わったが、イチ自身にホステスとしての才能は寂しくなる程になかった。
(彼女はもともと遺跡調査や危険生物の討伐を得意としていた)
現に、彼女の深夜喫茶嬢として生涯初めての客が目の前にいるというのに、碌に会話もできず固まっていた。
____か、帰りたい!
目の前の初老を過ぎた男は何を思っているのかわからないが、イチの顔や身体を眺めて時々意味ありげに「……うふ」と笑うだけで自分から話題を出そうとする事はない。
イチがどうにか心の奥底から「美味しいクレープの話」を絞りだしたのだが、目の前の客はやはり「……うふ」と笑うだけで会話にならなかった。
____楽しいのか? 目の前のこいつは、今の時間、ほんとに金を出すくらいに楽しいのか?
読者の中には今で言うガールズバーやコンセプトカフェに行った事がない方も少なくないと思われるので、最低限イメージの手助けをすると、こういったタイプの店は基本的にバーカウンターを挟んでキャストの女性が一緒にお酒を飲んだりしながら客を楽しませるというのが基本スタイルである。
客は30分や60分の刻みで席料とサービス料などが加算される。
基本的に酒は飲み放題だが、エールとウィスキー、ワインに限定されどれも品質はまずまずだ。
それ以外の蒸留酒や発泡ワインなどは別料金となり、ここに商売のミソがある。
もし読者諸氏が20歳を過ぎていれば利用する事も(女性であれば働く事も)可能だが、くれぐれもはまらないように。
____ど、どうしたらいいんだ私は……、ジョキューだったらどうするんだこういう時。
ジョキューはどうしているのかと目だけを向けると、既に彼女はジョキュー目当ての常連と楽しそうに会話で盛り上がっている。
何を話しているか理解する余裕こそないが、やはりこういった世界でも技術のような物はあるのだろう。
____時間! 進んでいてくれ、時計!
イチはさりげなく懐中時計で時間を確認したが、まだまだ20分ほど残り時間がある。
気が付くと客の酒が無くなっていたので「お代わり、作るか?」と聞いたのだがやはり客は「……うふ」と笑っているだけだが、一応肯定と受け取れなくもないので新しいウィスキーの水割りを作った。
しかし客は一口も酒に口をつけなかった。
やがて1セットの時間が終わったので、イチは「まさか延長しないよな」と思いながらもまだ酒を飲み続けるか客に聞いたところ、「……うふ」と言って財布を出した。
会計は入り口に掲示されている額のまんまで、そこらへんの酒場で夕飯を食べるのと変わらない会計額になった。
客の男は「……うふ……うふ」と不思議な笑い声を出しながらニヤニヤした顔で店を後にした。
男が帰った後にカウンターを布巾で拭いているとイチはセーゲンに裏に呼び出された。
セーゲンは気だるげな表情を崩さないまま「客には自分から色々聞いて関心を持ってやること。それと、最低1回は1杯貰って良いか聞く事」を命じられた。
基本的に、客からの一杯と高級な酒を開けさせる事でこういう店は稼いでいるという事をイチは学んだ。
彼女の本業にはなんの役にも立たない知識ではあるが、このイチという少女は変に真面目な所があり、調査の為とはいえ店の中にいる間は自分の給料分くらいは稼がなければと変な使命感に駆られていた。
他の客が来るまでの間、ジョキューの席にヘルプ……というよりは研修のために同じ席つけられる(一緒に接客する)とジョキューがいかに上手く客に接しているか見せつけられた。
この時当事者であるイチは何故ジョキューが客を魅了しているか、そのメカニズムこそ解析できなかったが、ジョキューはとにかく客にジョキューと客が特別な関係になった将来を想像させてやるのが絶妙に上手かった。
今いる客には身に着けている装飾品のセンスや物事の考え方、経験などがジョキューにとっては特別で、他に比べられない存在であるという事を機会があれば言ってやったり、時には頬を撫でてやったりしている。
その度に客は機嫌を良くし、目を嬉しそうに蕩かせるのである。
無論、ジョキューが一杯をねだっても断るような事をせず、ただ相槌と愛想笑いしかできていないイチの分まで酒を出してくれていた。
そしてジョキューはどこでその技術を会得したのかわからないが、彼女は仕切りに「いつかどこどこへ遊びに行きたいね」「いつか旅行とか行ってみたいね。2人で」などと言って2人の関係が進展した未来を妄想させるのだ。
恐らくその未来は空想の未来でしかないが、客にとっては現実としてあり得る未来に映っているのだろう。
イチは人の恋愛感情に疎いほうだが、ジョキューが相手をしている客は完全に金髪の小悪魔めいた深夜喫茶嬢に恋しているように見えて、それは先日会ったギーミッツを思い出させた。
セット時間が終わるころ、客は当然のように延長を選んだ。
そしてジョキューも当然のように新しい1杯をねだり、恐るべき事に先ほどよりも高くて強い酒……いわゆるショットと呼ばれる飲み方を客と一緒にしようと提案したのだ。
イチも巻き込まれる形でショットグラスが目の前に出され内心で困っていたのだが、その中身は強い蒸留酒に見立てたレモン水だった。
一瞬ジョキューを見ると彼女は客に悟られないように舌を出した。どうやらイチが酒に慣れてない事を見抜いて細工をしてくれたらしい。
だが、一気に顔色を赤くしたジョキューを見ると彼女が飲んだショットは混ぜ物なしの生の蒸留酒であったのだろう。
____わたしも、少しは頑張ったほうがいいか。
そう思い始めた時、また新たな客が店にやって来たのである。
◆
イチ本日2人目の客はコボルトの血が薄く流れている半獣人で、どことなく遊び慣れていそうな雰囲気のある青年であった。
表情は優しそうで態度も紳士的だが、イチ以外の例えばエルビアニカが見れば「下心は人並み以上にありそう」と評価したところだろう。
「可愛いっすね。なんて名前なの」
「イ……じゃなくて、ペチカだ」
イチは思わず本名を名乗りそうになったが、どうにか源氏名を名乗る事に成功した。
ちなみにこの源氏名はジョキューが思いつきでつけてくれた物だった。
(余談ながらジョキューの源氏名はリリーだ)
「なんかあまり夜の店にいないタイプでいいね」
「そ、そうなのかな」
「こういう店で働くの、はじめて?」
客の青年は舞台俳優をやっているらしく、この近辺でよく飲み歩いているそうだった。
「あ、あの。もしよかったらなんだが、ほんと図々しいとは思うんだが、一杯、いただけないだろうか?」
イチがタイミングを見計らってついにおねだりの一杯を切り出すと、一瞬客の男は真顔になり、少ししてから大笑いすると「いいよいいよ。何杯でも飲みな」と言ってくれた。
深夜喫茶で当たり前のように言われる「一杯」を、こんなに重大な事のように言う娘も他になかなかいないのでイチの様子が面白かったのだろう。
「すまない、すまない…!」
イチは一杯貰ったにも関わらず、乾杯せずに半分近く飲んでしまった。
何しろ緊張で喉がカラカラだったのである。
当然ながらこういう店で客から酒を貰った場合、乾杯しないのは言語道断の無作法だ。
「おもしれー子」
しかし客の男はイチが気に入ったのか、そんなイチを見て大笑いし、イチから色んな話を聞き出しては楽しそうに酒を飲んでいった。
最終的に1回延長し、チップとして多めに金を払い帰っていった。去り際「あまり夜の世界に染まらないでね」と言い残して。
____あれ、なんか私、上手くできたんじゃないか?
感触としてしっかり客を楽しませ、なおかつキャストドリンクを貰う事に成功し、チップまで貰えた事にイチは自信を得たようだった。
しかし、夜の世界の仕事がそんなに甘くない事をイチはこれから味わってゆくのである。




