『天坂理音という人間』その③
彼女が出した指示は、とりあえず家に帰らせることであった……
「泥棒が出るだろうから」
「で、でも……大人はいなくなったんだろ?」
「子供にも泥棒はいるよ……それどころか、今や、それを怒る人もいない。とりあえず皆、家に帰って、戸締りをしておいて。」
彼女は考える時間が欲しかった。
何故大人は消えたのか……いや、本当は消えていないのかもしれない。どこかへ行っているだけかも……
しかし、結局、彼女自身は家に帰らず、学校前でずっと座っていた……だがしかし、12時になっても、教師が1人も来る気配が無い。
教師は祝日さえも出勤するんじゃなかったのか……今日は本来なら平日だし、明らかにおかしい。
彼女はそう思った。
残暑があり暑かったので、彼女も家に帰ることにした……といっても冷房は効かないのだが……
さて。彼女は考えた。
この現象の正体は未だ分からないが、とにかく、この町以外の現在の状況を知る必要があると。
彼女は自転車を解体し始めた。
そしてモーターを取り付ける。
これを漕いで、自家発電するのだ……体力的にきついが、彼女にはそうするしか無かった。
パソコンが動き出すと、彼女はネットを開き、世間の反応を調べた……するとなんということか。
ニュースにはならないが、既にリーダーシップを発揮して、子供をまとめようとする者たちがいる……
「……」
彼女はこの時どんな気分だったのだろう。
だがしかし、どうであれ、彼女は頭を切り替える必要があった。彼女が一番気にしていたのは、医療機関の現在だったのだから……
「まずいな……」
既に死者が出ている。
当たり前のことだ。病院からも大人は消えているのだから……彼女は焦る。
『自分が何とかしなければ』というある種のサディスト思考になって、自転車を降り、地下室へ向かう。
そこにあるのは『ガン治療』の為に開発中であった万能薬である。地下室の真ん中に一つの『木』がある。
「……これがあれば……でも……何日かかる?……いくら完成間近とは言え……いや!やるしかない!」
その木は、万能薬である。
その木は、万能細胞で出来ている。
人間の体にこれを移植すると、周りのDNAから形状を学び、ほんの数日で、なんと人間の体になる。
彼女が名付けたわけではないが名前がある。
『シェヘラザード』。
その木は自身の身を削って、人間の人生という物語を存続させるのだ……
「……あなたが完成すれば、ノーベル賞を100個は貰えるかもね……」
シェヘラザードが出来れば医療は大きく変わる。何せ今までのように複雑な手術や治療をしなくても良くなるのだから。
少々グロいが、ガン細胞が腕にあるなら、腕を切り落として、切断面にシェヘラザードを移植すればいい。
後は患者自身の栄養を使って、
木は成長し、全ては元どおり……
「……ふぅ……やるか!」
その木は、つる性であり、樹木であり、網状脈であり、平行脈でもあり、被子植物であり、裸子植物である。
生命への不敬のような存在。
完成させられるのは彼女だけである。
彼女がこれを完成させ、全国各地に植えれば……世界の未来は明るいだろう。
『大人』たちはいつか戻ってくるかもしれない。
でも……戻ってこないかもしれない。
子供だけの世の中では、未来は暗闇の中だ。だから彼女は頑張る。自分が大人たち(研究仲間)の意志を継いで、世界に明るい輝きを……輝きを……
「何か違うな……」
彼女はボソッとそう呟いた。
何が違うのだろう?……彼女は自分でも分からなかった。それもそのはずだ。
彼女はまさか、自分が、
この世の『王』になりたいと思っているだなんて、想像もつかなかったから。
「……やばい……全然完成間近じゃないじゃん……」
1週間が経過した。
あれ以来、彼女は学校に行かなかった。
そのかわり、クラスメイトの各家庭に、発電自転車を配りに行った……そして、ここからはサバイバルだと、覚悟をさせた。
そう。社会構造から大人が抜け落ちた影響は勿論大きく、残った子供では補えない『破壊』だった。
彼女は、リオは、予期していた。
文明は退化する。以前のような平和な日々は、もう無くなるだろう……それが嫌なら、これから押し寄せてくる様々な争いに負けてはならないのだ。
とりあえず、缶詰を分け合うよう言った。
とりあえず、身体を洗うよう言った。
とりあえず、運動を怠らないよう言った。
「あと、とりあえず教科書は絶対捨てたら駄目だよ、大人が残した一番大切なメッセージなんだからね」
「理音ってさー……」
「?」
「あのさぁ!俺は男子!お前は女子!そして大人は消え、ここはウチの玄関!そりゃもうさ!」
「何か嫌な予感がする……バイバイ!」
「子供を作るしかばああああ!」
貞操観念が崩れ去り……猿と化した人間もいるので(クラスメイトと絶縁などしたくなかった)、きちんと防衛手段を持つこと。
ただし、刃物はダメ。鈍器にしなさい。
「うちさぁ……チャンスやと思うねん」
「?」
「あのさぁ!いつも勉強を教えてくれてありがとう!今度はうちが保健体育の勉強を教えばぁあああ!」
「嫌な予感バイバイ!」
男とは限らないので気を抜かないこと。
若干でも、モテる人間は特に注意!
「このさぁ、電気自動車?って便利そうだけど、このボックは運動なんて、したくないんダヨネ」
「君はそんなことよりずっと大変なことが起こるだろうから良く聞いてね」
「?」
恐らく大多数の人間が、金の概念を捨て切れない。
こんな世の中でも、金持ちは狙われる!
気をつけて!
「じゃ、じゃあボディーガードを雇うか……」
「ダメだよ」
「え?」
「ゴールドラッシュだよゴールドラッシュ」
「?」
砂金の取れる川を見つけた金持ちが奴隷に集めさせようとしたが、奴隷は金だけ取って逃げたという話。
金を持っている素振りはしないこと。
ボディーガードなど、もってのほかである……
「……づがれだ」
家に帰り、ソファで寝る彼女。
疲労が溜まっていたのだ……仕方ない。仕方ないが、事実として、上記の項目を一番達成できてないのは彼女自身であった。
「……」
風呂に入るために自転車を漕がなくてはならないと気づいた時、彼女の心は折れかけた……
もう今日はいいかと思った……が。
その時だった。
彼女は不意に……父の部屋へ向かった。
何故か?どこかで見たことのあるシチュエーションだと感じたからである……
父の小説を読んだことがあったらしい。
その一つにサッカーの話がある。レギュラーを獲得するために頑張る少年だが、心が折れそうになる。
『今日はもういいか……』
「……いいや、やろう。やるのだ。ぼくはこんなところで諦めてはならないし、何より自分を許せない……」
……彼女は自転車に足をかけた。
ただ、単に運動するのは嫌だったので、父の他の小説を読みだした……サッカーには興味が無かったのだ。
そして彼女は、「そうだ、お父さんがいなくなる前に書いてた文書を読んでやろう」と思い、机の上の原稿に手を伸ばした……
「今時、文字で小説を書くとか、古風なんだよ……ねっ!……うぐぁっ!」
ギリギリ取れずに、彼女は自転車からずり落ちた。原稿が空を舞う……そしてうつ向けに倒れた彼女は、その部屋の膨大な書物たちをマジマジと見つめていた。
「……全部読んだ」
あれもこれも、あの本もこの本も……
読まなかったのは、一番右の棚に並べてある父の蔵書……それから、宙に舞っている最新作。
いや最後作か。
彼女はちょっと笑った。悲しいのに。
「むぐっ」
すると……空から落ちてきた一枚の紙が、彼女の顔に落ちてきて呼吸を邪魔した。
「うわっ、うわっ、何これ……」
その紙も勿論、父の遺書とも言える最後の作品の一枚だった。……彼女は手にとって読み始めた。