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第2章 ネブロンとソーダ

 ──1965年10月31日 王の間


 「禁書の流出など言語道断だトルバラン」

「……大変申し訳ございません」


 ブギーマンの集落にある一番大きな洞窟の中で、玉座に鎮座する大男。高すぎるはずの天井に、それでも収まり切らずに長い首を曲げて窮屈そうに私を見下ろしていた。

 

 彼は全身がローブで包まれ、顔がある位置には闇しかない。そこには無数の目玉が蓮の実のように犇めいていた。

 人間の眼球は意外と大きさに大差ない。

 

「聞いているのか」

「はい、王」


 決して怒鳴るような声ではない。けれど、厳格に私を問いただす声色だ。流石に凝視は怒られるので、首を垂れて視線を床へと落とす。


「もう一度問う。”受肉組成録”だったか。貴様は己が執筆した禁書を人間の世界へ露出させたな」

「ええ、王。間違いありません」

「なぜ、愚かな真似をした」

「ひとえに私の管理不足でございます、しかしかの本はブギーマンの安寧を願うモノ。決して本意ではありませぬ」


 嘘ではない。流失してしまったことは本当にただの管理不足だ。昔、貸していた人間から回収するのをうっかり忘れそのままにしていた。

 その結果が今だ。実によろしくない。


「あれは人の倫理を揺るがすモノだ。まともな人間が見れば正気を失うだろう」

「褒めていただき光栄です。王」

「褒めていない」


 はぁ、と呆れたように王が大きなため息をひとつ。

 

「……貴様の技術が、我々を想うモノだということは理解している。しかし、だ」


 ローブからはみ出た白髭は、毛先が赤い絨毯を這い回る。

 視界に入れないように静かに目線を逸らした。糸状の動くものに疼くのは性だ。見ないようにするしかない。

 何より今はお叱りの途中だ。触ったらまた説教が長くなる。


「我々の獲物はあくまで子供。しかし貴様が流失させた本は、無差別に大人を狂わせる危険性がある。それは他の怪異の領分だ」

「......はい」

「怪異はそれぞれ役割がある。我々の唯一の規則は覚えているな、トルバラン」

「襲うのは未成年のみ。成人は決して襲ってはいけない。しかと記憶しております、王」


 怪異。

 それは人間の恐怖から生まれる幻覚生物だ。

 性質も結末も、人間の噂が決める。

 

 そのなかで、「ブギーマン」は、子供を襲う怪異である。母親が幼子を寝かしつける為、作り出した恐ろしい化け物。深夜になれば暗闇に隠れ潜み、悪い子供を攫っていく。

 

 それが「ブギーマン」の存在意義。子供騙しの怪物だ。


「貴様のやっておる事は領分の侵害だ。踏み越えれば争いは避けられぬ。それが分からぬ貴様ではなかろう」

「......はい」

「理解した上で、外に出したのかトルバラン」


 王の重厚な声に、身が押しつぶされるような気さえする。

 それが洞窟という息苦しい密室だからなのか、私がそう錯覚しているだけなのかは、わからない。

 

「ッ゛......申し訳、ございません」

 

 鈍い布ずれの音が響き、気配が近づいた。まるで洞窟そのものが生きているかのように、私を包み込もうとする。


「面をあげよ」


 言われるがまま、顔を上げた。

 視界に飛び込んできたのは、犇めき合う数千の瞳。暗闇で光るそれ等は、素晴らしいほどに悪夢そのものだ。

 

 我々ブギーマンにとっての神の目が、今、一心に私にだけに注がれている。


「責任を取るには、貴様は何をすべきだ」

「......本を、回収して、参ります。今、すぐに」

「ああ、それでよい。行け、トルバラン」

「はい、仰せのままに、我が王」


 重苦しい威圧感。

 無いはずの心臓の奥底から凍えるような、肌の粟立つような恐怖を身に刻まれた。

 同時に背筋がゾクゾクと震え、濃厚な支配の圧力が甘い痺れに変わり毒のように全身を巡る。再度、絶対の服従を誓うように首を垂れる他なかった。


 王は、これだから苦手だ。


 …………


 王から解放されて、暫く。疲労感に身体を引き摺りながらどうしたものかとブギーマンの集落を散策していた。


「やあ、トル」

「!」


 いきなり重い衝撃と共に肩を組まれる。

 振り向けば、男の形をした黒い影。狼の耳と尾を持つ怪異だ。上質なスーツも、その軽薄さが台無しにしていた。

 

 シュヴァルツマン。

 狼が元になるブギーマンの一人。ゆるい雰囲気を持つ癖にやたらと時間に厳しい私の友人だ。


「......何の用だヴァル」

「王に呼び出されたんだって?聞いたよぉ〜!何を叱られてきたんだい?」


 期待にニヤつき、見える鋭い犬歯を隠そうともしない。好事家の彼は何か問題があると嗅ぎつければ、すぐにでもこうして現れる。

 豊かな毛並みの尻尾は、楽しげにゆらゆらと揺れていた。


「叱られた前提か」

「君がそれ以外で呼ばれたこと、あったかな?」


 おおらかに笑う彼をみて、一つため息が漏れる。

 王の命令だ、回収しに行くのは確定事項だが、肝心の場所が分からない。一人で探すなど、砂の中から砂金を見つけるようなものだ。


 「その様子だとこっ酷く叱られたっぽいねぇ。で、どの悪戯で呼ばれたんだい?やっぱり前飼ってた人間のこと?」

 「飼ってなどいない。人生の補助をしていただけだ」

 「補助?家畜化の間違いでしょ!」


 付き合いの長い彼ではあるが、認識を愉快な方向へ捻じ曲げる癖だけはどうにかしてもらいたい。ゲラ故に手を叩いて笑い続ける彼を放置して、また考え込む。

 しかし、彼の姿を眺めていたときに、ふと気付く。


 「ヴァル、お前は確か情報収集が得意だったな?」

 「うん、そうだけど、どうかした?」

 「受肉組成録、という本を何処かで見かけなかったか」

 「あー、君が熱心に書いてたやつ?」


 受肉組成録。

 日の下を歩き、変容をしない人間をこの手で解剖した記録集。やっていたことは様々だ。

 

 他人の肉体同士を組み合わせてみたり。

 少ない素体で身体を再生させてみたり。

 ブギーマンを死体に入れて「定着」させてみたり。

 他にも色々と行った。


 動機は簡単だ。人を知りたかった。

 王には「人間を攫いすぎ」と怒られたが、「成果」は出している。世話をしていた人間が亡くなるまでは続けていた。10年ほど前か。

 それからは喪に付していたので、あまり覚えていない。

 

 「あれが人間界に流れた」

 「あはは、やば!」

 「すぐに回収しに行かなければ。しかし場所が分からない」

 「はーん、なるほどねぇ〜、それで探してほしいって?」


 軽薄そうな雰囲気とは違って、仕事のことになれば彼は信頼ができる。情報屋としての側面を持つ彼は、滅多なことでは口を割らない。それこそ、見合った報酬でもなければ。

 

 「じゃあ、君のブローチをくれよ」


 ヴァルが指を指したのは、私の胸元に輝くキャッツアイのエメラルドブローチ。

 

 幻覚生物、特に形が不定形なブギーマンは、己のアイデンティティを保持するために己の性質に近しい物を身につける性質を持つ。

 つまりは、幻覚生物にとって魂にも等しいものだ。


 「断る」

 「ずっと欲しいと思ってたんだよねぇ、ソレ。綺麗だからさ」


 シュヴァルツが耳元で囁き、楽しげにと息を吐く。

 彼の手袋が嵌められた指先が、ゆっくりと私のブローチを撫でる。キャッツアイの線をなぞるように。

 

 「別のものにしろ」

 「僕は君が欲しいんだよ、トルバラン」

 「お前の喉元でも喰らってやろうか、シュヴァルツ」


 ビリ、と張り詰めた空気。

 彼を腕を掴み、いつでも捻じ曲げられるように力を込める。

 

 「──あっはは、怖いなぁトル!」


 勢いよく離れ、ケラケラとヴァルが笑う。今までの雰囲気は何だったのだろうか、と言うほどの切り替えの速さだ。


 「下だらぬことをするな、全く」

 

 このやり取りは何度目だろうか、彼は情報の報酬として常に価値のある物を欲しがる。それは市場価値ではない。彼の客における、最大の価値を持つものだ。

 

 だが、彼が同族狩りなどしないことは分かっている。

 ただのじゃれ合いだ。


 「オーケーオーケー。今回は王命だからね。仕方がないから手伝ってあげよう!」

 「無償でか、疑わしいな」

 「安心しなって、ツケとくからさ!」

 「まけろ」

 「お断りだねぇ」


 シュヴァルツは機嫌よさそうにコートの胸元からパッキングされた小袋を出す。シャカシャカと振って見せ、楽しそうに話し始めた。


 「これなーんだ」

 「人間のマタタビ」

 「冗談でしょトル」

 「麻薬だろう。知っている」


 種類は分からないが、人間が財を投げ出しても求める中毒性の高い粉だ。人間の脳に深刻な影響を与える悪魔の粉。

 怪異には影響が無いため、所有は問題にはならない。しかし、人間界で持っていたら大ごとである。


 「君の匂いがねぇ、コレを売ってる奴からするんだよ」

 「なぜ持っている」

 「そういう商売もしてるからさぁ、ほら僕ってば人狼のブギーマンだし?馴染めちゃうんだよねぇ、人間の社会ってやつにさ」


 彼の影が一瞬視界を遮ったかと思えば、目の前にいるのは生気のない壮年の男。帽子で目が見えないが、耳と尻尾はすっかり隠れている。ニタリと笑うと牙は覗くが、隠せば問題はないだろう。手に持った狼印の懐中時計を自慢げに撫でていた。

 ブギーマンの中で彼は異端児だ。

 このような自前の肉体を持つブギーマンなど、他にいない。


 「あ、勿論。直接手を下してる訳じゃないから、オトナでもセーフだよ、セーフ!!王にチクらないでね?」

 「......それで。そいつは何処のロクデナシだ」

 「それがさ〜、医者なんだよねそいつ。人を救う為の職業なのに、人をトリップさせてんだから面白いでしょ?」


 ははは、と軽い嘲笑が響く。

 医者か。違法薬物を売っているぐらいだ。まともな人間ではないだろう。

 しかしどう考えたって大人だろう。無闇矢鱈に攫い殺すことはできない。どうしたものか。


 「他は」

 「いや?ここ5年間で匂いがしたのはあいつくらいかな。十中八九君のだよ、僕が間違えるはずがない」


 確定じゃないか。

 情報に関して、彼が下手なことを言うとは思えない。軽薄な態度から誤解は生まれやすいが、自慢の鼻は優秀だ。充分仕事はしてくれる。


 「なるほどな。場所は」

 「ネブロン。神の目が届かない素晴らしく快適な町さ。湿気さえなきゃ最高なんだけど」


 肩をすくめてシュヴァルツはため息を漏らす。話を聞けば年中霧と雨で覆われ、太陽が出ない事のほうが多いらしい。

 毛が膨れるので湿気は嫌いだが、太陽が出ないのはいい。

 あれは闇夜に生きる怪異達の天敵だ。

 最悪死ぬ。嫌いだ。


 「珍妙な場所に住んでいるのだな。医者の名前は」


 シュヴァルツは勿体ぶったようにニヤリと笑って、一拍。

 

 「ヴィクトル・ラヴェニ。ヤブの町医者さ」


 ──1965年11月2日 16時半 廃墟


 ブギーマンは人間の子供が恐れる場所に現れる。

 それは主に寝室。ベッドの下やカーテンの裏の暗がり。そして、少しだけ空いたクローゼットの中。

 闇の隙間を経由して、我々は移動する。

 

 バキッ!


 「あっ」


 力加減を間違え、内部からクローゼットの扉を蹴り開けてしまった。建て付けが悪かったのはあるが、この家の子供に早々に見つかったらまずい。

 掛けてある服のすき間からのぞくと、部屋には明かりがついていなかった。湿気を含んだ絨毯に足を踏み出せば、ギシ、とした音がする。


 「......人の気配は、ないか」


 寝室であろう部屋にはベッド、日用品、カーテンのついた大きな窓。

 老朽化は激しいが、部屋の作りは立派なものだ。窓を見れば緩やかな雨が降り続けている。部屋は掃除されておらず、クモの巣が所々に張り布はボロボロ。部屋中ホコリまみれで、空気が淀んでいる。

 十中八九、廃墟だ。


 (町の子どもたちが恐れている場所だろうか。転移条件の判定は意外と大きいからな。座標がズレたか)

 

 闇を介した移動は得意なほうだが、初見の土地ではこういった事故はよくある。本当は町中に出たかったが、仕方ない。歩き回って土地勘を持てば少しは慣れるだろう。


 (それに、ネブロンであれば問題ない)

 

 きょろきょろと見渡せば、机のうえに割れた鏡が放置してあった。覗き込めば、映ったのは緑の目をした黒髪の少年。

 シュヴァルツのような実態を持たない私は、こうして死体に取り憑かなければ人間社会に溶け込めない。こういう時、彼が少し羨ましく感じる。

 

 (よし、皮の調子は良さそうだ。人間にしか見えない)


 町へ馴染むために用意した、シュヴァルツおすすめの黒色の厚手な上着と、古い擦り切れたズボン。どちらも小汚い。これなら誰がどう見ても、荒れた町の少年にしか見えない筈だ。

 帽子を深く被り直し、部屋を出る。

 ギィ、と重く軋む音が鳴った。


 「おお、貴族の邸宅かここは?」


 一般人が住む場所ではないだろう。

 私がいたのは二階の客室だったようだ。廊下から下をのぞけば、玄関ホールが見える。ガラスは所々割れ、木の板で雑に修復されているが雨漏りがひどい。探索のしがいはありそうだ。

 

 「何か使えるものを探すか」


 特に傘。もしくはレインコート。集落は雨など降らないので持ってはいない。町ならすぐ買えるだろうと高を括っていた。失敗だ。

 流石にこのまま出ればずぶ濡れになるだろう。

 それは嫌だ。身体にかかる水は嫌いだ。本当に。


 (年季が入っているな、蹴れば開くか)


 隣の部屋を空けようとするが、湿気で建て付けが悪く動きが悪い。片足で蹴り飛ばし、なんとか開いてみればそこは変わらぬ客室だ。


 カサッ


 足元で何やら足の速い物が恐ろしいスピードで逃げていった。直ぐに家具の隅に隠れ、見えなくなる。


 (......蜘蛛か?今のは)

 

 逃げていったなら、特に問題にもならないだろう。

 埃が舞う部屋を、ゆっくりと周囲を見渡す。しかし少し内装が違うだけ。あの天井の隅にある白い塊はクモの巣だろうか。最初の部屋にあったものと同じだ。


 (下手な作りの巣だな)


 ゴミのようにしか見えないが、そういう生態の蜘蛛もいるのだろう。


 遠慮なく足を踏み入れ、クローゼットや机の棚を漁る。ネブロンという場所を決定づける「何か」さえあればいいのだが。

 そのうちキラリと光る物を見つけて、棚の中から引っ張り出してみるとそこそこ硬貨の入った小袋だった。


 「......ま、いつかは必要だろう」


 そっと上着の内ポッケにしまう。

 

 部屋を次々訪問するが、この二つ以外は開かない部屋ばかりだった。蹴っても開かないので一旦諦め、階下に降りる。玄関ホールにちらりと目を向けると、目に飛び込んできたのは傘立て。1本だけ傘が置いてある。

 水は掛かっていないようだ。


 「む、これもか」


 バサッと開くと、蜘蛛の巣が骨に絡んでいた。巣の主は何処へ行ったのだ、逃げたか。


 「......使えないことはないな」


 穴などが空いている様子はない。ただ巣が絡んでいるだけだ。巣を落ちていた木の枝に巻き付け簡単に取り除き、軽く埃を払う。多少錆びてはいるが、問題は無さそうだ。


 カサッ


 「ん?」


 不意に音がして後ろを向くと、また凄まじいスピードで何かが逃げていった。大きさからして同じ蜘蛛だろう。窓から見ても遠目にしか他の建物は見えない。この家を起点として繁殖しても不思議ではないか。

 蜘蛛の巣はだいぶ多い気がするが。


 「......まあ、いい。気が向いたらまた来よう」


 幸運なことに、玄関の扉は問題なく動いた。

 とりあえず、林の向こうにある町を目指して歩きだそう。外は雨。空を見上げれば薄暗く湿気た空気が肌を撫でるが、部屋の中よりかは軽い。

 開いた傘に雨が落ちる、ボト、ボト、と言う雨音が私を急かしてきた。


 「あの町が、ネブロンならいいが」


 湿った道を歩き出す。

 初めの一歩はぴちゃり、と音がして、それだけで少し憂鬱な気分になった。

 

 一つ幸運だったことは、死体に取り付いている間は嗅覚と味覚が感じられない事だ。この廃墟がどんな匂いなのかは想像がつく。 

 それを感じたところで、きっと不愉快にしかならないだろうから。


 ──1965年11月2日 17時 ネブロン


 ここは港町ネブロンだ。

 

 ゴミ箱に捨てられた新聞を拾い読み、確信を得る。

 座標はミスしたが、大まかな位置は合っていたようだ。町は常に雨にさらされ、陰鬱な空気が漂う。あの廃墟の中よりかは幾文かマシだが、人々の視線が鋭い。


 (人種が多いな、流れ者がよく来るのは本当か)


 シュヴァルツの情報と照らし合わせながら、周囲を観察する。見かけ上の治安は問題無さそうだが、一度暗がりへと連れ込まれればどうなるかは分からない。

 ヴィクトルという医者は何処にいるのか、検討がつかない。人間のことは人間に聞くのが一番か。


 「主人、これを一本」


 近くの店で手頃な品を一つ買う。

 ガラス瓶に入ったそれは、おそらくミネラルウォーターだろう。これなら死体でも飲める。

 店主が品物を渡しながら、無愛想に言う。


 「1フラン」


 冷たい硬貨を渡せば、店主は一つ頷いて受け取った。


 「店主、少し聞いても?」

 「なんだ」

 

 眉間に皺がある厳つい顔つきだが、話はできそうだ。

 

 「町についてなんですが」

 「お前さん、新入りか」

 「ええ、来たばかりで」

 「この町は訳ありが多い。夜と暗がりは気をつけな」

 「ありがとう、医者は何処にいます?母が風邪を引きやすくて」


 無愛想さを軽減しないかと、微笑んでみる。

 店主の顔つきは変わらなかった。


 「この通りの角を曲がって、ずっと行ったとこに診療所がある。そこ行きな。町の外れだから少し歩くぞ」

 「よそ者でも診てくれますか?」

 「あの先生なら問題ない」

 

 おや。ヴィクトルという医者の印象が少し変わる。

 町の人間が即答するとは、よほど信頼されているようだ。


 「いい人なんですね」

 「ああ、今は無愛想だがな」


 お前が言うのか。一瞬言葉が脳裏をよぎったが、にこにこと笑顔を保つ。人間同士のコミュニケーションは笑顔であればとりあえず大丈夫な筈だ。

 普段の体は顔など無いから、疲れる。


 「だが黒い車が止まってる時は尋ねるな」

 「どうして?」

 「なんでもだ、いいな」


 そういうと、会話を打ち切り、店主はさっさと店の中へと引っ込んでしまった。


 (ヴィクトルという医者はよくわからんな)


 シュヴァルツは彼を、薬物を売るヤブ医者だと言う。

 町の人は、彼を信頼できる医者だと即答する。

 しかし、裏はあるようだ。

 何となく、店主から触れたくないような気配を感じた。


 「歩き回って、もう少し話を聞くか」


 店で商品を買い歩き、聞き回った結果。


 ヴィクトルという医者は6年前にネブロンに来た。

 その時は娘と共にいたが、彼女は5年前悲惨な事故で亡くなった。それ以来彼は笑わなくなり、2年前からフラン家という高利貸しの家の者が出入りするようになった。


 (借金を抱えているのか?)


 しかし、聞いてもギャンブルや酒、薬はやらないらしい。

 相当堅物だ。

 タバコは吸うらしいが、それだけで高利貸しに手を出すほど困窮するとは思えない。


 町人からは皆、ヴィクトル先生は信頼できると口を添えていうが、それ以外は気まずそうな顔をした。お喋りなマダムを捕まえなければ、情報収集は難しかったろう。


 (ヴィクトル先生とやらは善人ではあるようだが、何か抱えているな)


 シュヴァルツは彼から私の匂いがすると言った。

 彼の鼻が間違えるはずがない。

 いつ、手に入れた?いやそれは問題ではない。受肉組成録を手に入れ、何をしようとしているか、だ。


 (......死者蘇生、か?)


 以前、人生を補助していた人間を思いだす。

 痴話喧嘩の末に病気の妻を放り出して出張に行き、その後妻の死に目に会えず墓前でボロボロになって泣いていた金髪の男。

 私は、彼に受肉組成録を渡したのだ。


 それこそ、生き返らせたいか?と言葉をかけて。


 (魂の蘇生は不可能だが、肉体の組成はあの本の手順なら問題ない。それこそ環境と、目玉一つ、もしくはそれぐらいの肉片があれば、ある程度はできる、が)

 

 あれは王の検査を通過させるため、一部意図してぼかしている。倫理観についてお叱りは受けたがそれはいいとして、人間が再現するには色々と手間取るはずだ。


 「これ以上は妄想の域か、直接彼に会わねば何とも」


 傘を差したまま歩き回るのも疲れて来た。傘を閉じ、テキトウな屋根のある場所で壁に身体を預け、ミネラルウォーターを開封する。


 プシュッ。


 「ん?」


 変な音がした。ガスが抜けるような、妙な音。シュワシュワと泡立ち、それはすぐ収まった。

 水面を揺らしてみても、ガラス瓶はもう何も言わない。少し舌で舐めてみても、刺激はない。


 「......?」


 売っていた物だから、飲めないことはないだろうが。

 好奇心に駆られ、一口飲んでみる。


 シュワワ!!!


 「!!!」


 舌に乗せた瞬間ビクッと身体が跳ねる。

 味覚がないため味が分からないが、口内で水(?)が弾け刺激が襲い来る。必死に飲み込めば喉さえ極細の針に刺されたように痛みを感じた。


 「ゲホッゲホッ、なんだ、これは......!」


 ラベルをよく見ると、炭酸水、と書かれていた。

 一般人に売っているものだから毒では無いだろうが、こんなもの、飲んだことがない。


 「本当に人間は、変なものを作り出すな......!」


 袖で口元を拭いながら、動いてないはずの心臓が大きく鼓動を打った気がした。人間の探究心は尊敬すべきものがある。

 だから、私は人間から目を離せない。いつも私の予想をはるかに超えてくる。

 だから、私は人間が好きだ。


 この飲み物は嫌いだが。

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