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判決


 「驚かないんですね、ニーナを見ても」


 天井から吊るされた裸電球が、チカチカと点滅する。彼女は真っ直ぐ私を見ていた。審判者のつもりだろうか。無機質な瞳に苛立ちを覚える


 「驚いたさ。お前のような一般人が、これほど大事を抱え込んでいるとなると。実に素晴らしい」


 彼女は、淡々と言葉を紡いでいく。

 私に話しかけているというより、思考を整理する為の独り言のようだ。


 「でも合点がいった、お前がどうして家に執着しているのか。どうして酒もギャンブルもやらない品行方正な医者が、首まわらなくなるほどの借金までしているのか。なるほど、なるほどな」


 後ろ手に組んだ指先に、ナイフの柄が触れる。

 隙は未だない。距離も遠い。どうやって詰めようか。


 「何ですか?尋問でもしたいのですか?」

 「いいや、私は賞賛したいのだよ、ヴィクトル」

 「はい?」


 何を言い出すんだ彼女は。

 彼女は腕を組み、指先で自分の腕を軽くトントンと叩く。口角は釣り上がり、目は奇妙な輝きが光っている。


 「死者蘇生をしたいのだろう?」


 ドクン、と心臓が一つ高鳴った。

 全身の血が一気に周り、手には力が入る。感情を出してはいけないと分かっているのに、自分の顔が歪むのがよく分かってしまった。


 「ニーナ・ラヴェニ。元はアンディ・ファデルの娘か。調べたよ、ヴィクトル。お前は6年前に彼女を発見し、保護したな。優しい男だ」


 身体が震え、ナイフの柄を触る指先がうまく動かない。

 どうして、どうしてそれを知っているんだお前は。


 「彼女はネグレクトを受けていた。忌まわしい暴行は彼女を蝕んだ。予想できるさ、服の裾を引っ張ったボロボロのニーナが、どれだけお前の庇護欲を掻き立てたか」


 フラン家は。いや、この女は、どこまで私のことを調べている。

 娘の事にまで首を突っ込んできて、調べ上げ。自分たち以外の人間の尊厳など何処にもないような横暴な振る舞いだ。


 「ヴィクトル。お前は優しい。底知れないほどだ。助けてと縋ってきた相手には、どうしても手を差し伸べてしまう」


 黒い双眼が細められる。


 「それが例え、恐怖を感じる相手であってもだ」


 彼女は肩に羽織る深緑のショールを優しく撫でた。年季のせいで逆立つウールの毛1本さえ慈しむように。


 「アンディ・ファデルと結婚したのは、ニーナの親権を手に入れるため。お前は当時世話になっていた医者と結託してアンディを騙し、ニーナの全権を手に入れた後、彼女を守るために姿をくらませた。間違いないな?」

 「......ストーカーですか?貴方は」

 「お前の人生が心躍るのがいけないのだよ、ヴィクトル」


 何でもないことのように、彼女は黒髪を耳にかけ楽しそうな声色で話し始める。これほど高揚した声色は、聞いたことがない。


 「余所者だが、お前はネブロンの町で信頼を得るほど腕が良い。社会的にグレーな者たちさえ診ている。看板娘としてのニーナも太陽のような子だと噂されていた」

 

 脳裏をちらつく娘の笑顔。

 ねだられて買った、虹色の髪留めを大事に大事に持っていたニーナ。

 怪我をしている患者を、隣で励ましていた彼女。

 太陽のような、明るい子。


 「交通事故だろう?突っ込んできた車に引き摺られて、見るも無残な肉塊になった」


 赤黒い光景が視界に広がる。

 車のクラクションの音。響き渡る悲鳴。引き摺られた血痕。湿った空気と、服が雨で濡れ張り付く不快感。

 眼窩からこぼれ落ち、肉の筋で辛うじて繋がっていた、ニーナの赤い眼球。

 

 「それから暫く後。フラン家が出入りするようになった。それが今だ。ヴィクトル」


 キーン、という劈くような耳鳴りが鼓膜を穿つ。

 頭が痛い。視界が点滅する。息が浅く、心臓は鼓動が打ち狂い、冷や汗が止まらない。


 「娘を、生き返らせたかったのだろう?」


 音が遠い。

 目の前の黒い女が何かを言っている。

 水の底のように、うまく聞き取れない。

 

 「ヴィクトル」


 カツン、カツン、と革靴の音が鳴る。

 黒い女が近づいてくる。怖い。この女は怖い。

 脳が逃げろと警鐘を鳴らすのに、身体が凍りついたように動かない。


 「お前、5年前に本を買ったな」


 目の前に立った悪夢は、ほほ笑み私を見下している。


 「受肉組成録という本だ。覚えがあるな?」


 受肉組成録。

 闇市で目についた、緑の装飾がされた黒い本。

 人間の蘇生方法について書かれた、禁忌の本。

 彼女を生き返らせようと、決意するキッカケになった、救いの本。


 「あれを書いたのは、私だよ」


 彼女は私の顔を両手で掬い、覗き込む。

 黒い髪が枝垂れかかり、黒の視界が染まる。


 「ああ......可愛い矮小なヴィクトル。あれが本当にお前の望む本だと、本気で思っているのかい?」


 彼女の口角が三日月のように吊り上がり、見開かれた目の奥はギラギラと異様に輝いている。嗜虐の光とは違う、飲み込むような泥ついた瞳。

 何かを見たくて見たくて堪らない。そんな、黒々とした好奇心。


 「あれはな、ヴィクトル」


 形のいい薄い唇が、ゆっくりと動く。


 「死者を生き返らせるようなものでは無──」

 「うるさい!!!」


 ドンッ


 と彼女を突き飛ばす。衝撃に彼女は揺らめいて、床に崩れ落ちた。長い黒髪が床に泳ぎ、体勢を崩した彼女は私を見上げる。


 「ヴィクトル──」

 「黙れ、黙れ、黙れ!!!何を分かったような口をきいて、貴方は、お前は!!!娘まで侮辱して!!!」


 彼女へのしかかり、動けないように体重をかける。

 隠していた果物ナイフの柄をつかみ、振り上げた。


 キラリ、と鋭利な刃が鈍く光る。


 「二度と、その口をきくな!!!私の目の前に現れるな!!!」


 彼女の心臓に一直線に振り下ろす。

 ぐちゅり、と嫌な肉の手応え。ゴムを切るような、奇妙な感覚。


 「──ああ、ヴィクトル・フラン」


 震える氷のように冷たい手で私の頬を触り、視線を混じらせる。死に際だというのに、恍惚とした表情で、初めて熱っぽく私を見つめた。


 「愚かで、あり続けろ、お前は、美しい」


 彼女の身体から、生気が抜けていく。頬を触っていた腕は力なく落ちた。ゆっくり、ゆっくり、美しい黒の瞳が伏せられ、弱々しい吐息を一つ吐いた後は、二度と息をしなかった。

 残るのは、私の激しく狂った鼓動と、掌に残る命を奪う感覚。


 「はぁ、はぁ......はぁ」


 浅い呼吸が苦しい。息が詰まる。目の前の現実が受け入れ難い。全身は急激に冷え、身体が大きく震えた。コンクリートの床に泳ぐ彼女の黒髪。青白い肌。眠っているだけのように見える彼女の顔。


 「ああ、ああ......」


 私は、人を、殺した。

 娘の、目の前で。


 顔を覆い、視界から逃げる。

 逃げたい。逃げたい。ここから逃げたくてたまらない。

 大きすぎる罪の前に、心が壊れてしまいそうで、息が引きつる。生理的な涙がこぼれ落ち、まるで被害者のような顔をした自分に酷い自己嫌悪を覚える。


 「なんで、こうなるんだ」


 私は娘を取り戻したかっただけだ。

 私はあの子と会いたかっただけだ。

 また、あの子と笑い合いたかっただけなんだよ。


 「誰か」


 真っ暗な視界の中、縋るような声が漏れる。


 「誰か、私を裁いてくれ、頼むから」


 もう、私には、どうしたらいいのか分からない。

 全身の力が抜けて動く気力もない。誰かがひと言私に有罪、と言ってくれたら。どう償ったら赦されるのか判決を言ってくれるなら。

 私はどんな刑罰でも、喜んで受ける。

 

 「裁かれたいのか?」

 「!?」


 びく、っと身体が震えた。

 幻聴か。周囲を見渡しても、あるのはコンクリートと、死体と、作りかけた娘だけ。人の気配は感じない。しかし、チカチカと裸電球が激しく点滅し、異常を知らせる。


 (な、なんだ?)

 

 視界の端に、ギラリと光るものが掠めた。見下ろすと、彼女が付けているキャッツアイのエメラルドブローチが、ギラギラと光り、私を見据えている。


 「裁かれたいのか、ヴィクトル・フラン」


 ──パリン!


 と、裸電球が割れた。

 思わず腕で顔を防ぐ。視界が遮られ、暫くシン、と静寂が満ちた。


 「......?」


 目を開けると、唯一光っているのは娘の体が入っている機械についた、非常用の淡い青ライトだけ。私がいない間、娘が暗闇を怖がらないようにと付けたそれが、思わぬ所で役に立つ。


 「誰か、いるの、か!?」


 ガッと腕を掴まれ、驚きのあまり息が止まる。

 ヴィレナの目が、開いていた。口角が、三日月のように吊り上がっている。


 「!?」

 

 慌てて彼女の腕を振り払い、壁際に逃げる。彼女の身体はそれから全く動かない。は、は、とまた息が浅くなり、驚きで冷や汗が止まらない。


 (生きてる?いや、確実に死んでいるはずだ、どうして、今動いた!?)

 

 「何なんだ、一体......!」

 「お前を裁いて上げよう」


 瞬きをした瞬間には、目の前にあったのはキャッツアイのエメラルドのブローチ。彼女のものとは、少しデザインが違うソレ。その美しい緑は暗闇で唯一禍々しいほどに煌めき、視線がそちらへと吸い込まれた。

 

 それは、見上げるほどに大きな影だった。

 人間のようなカタチだが、私よりずっと大きく、頭から羽織ったローブには、人の形があるべき場所に暗闇しか存在しない。

 その大きな男は私の顔を掬って、じっと目があるだろう暗闇に合わせてくる。


 「お前は有罪だ。ヴィクトル・フラン」


 震え上がるような低い声が、地下室に響く。

 視線が外せない私を絶対に逃さない、というように顔を固定する手に力がはいる。


 「生涯、その命が尽きるまで、お前の煌めきを私に捧げ続けること。それが、お前への罰だ」


 ローブに縫い付けられた猫の耳が、ぴく、ぴく、と動く。

 明らかに、人間ではない。私は、こんな大男など知らない。


 「あ、貴方は、誰、ですか......!」

 「私はトルバラン」


 二股の大きな猫の尻尾をゆったりと揺らしながら、男は優雅に笑った。


 「お前の、妻だよ」

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