呪われた短剣
「ケロケロ……。今日も暇でケロな。ケロケロ……」
ゲロ子は熱のせいで元気がない。昨日まで、さんざん夜ふかしをして遊び、さらに、(カエルは雨だと元気が出るでゲロ)と傘もささずに飛び回った不摂生の結果であろう。いつも、ゲロと力強く言っている口調が今日は(ケロ)になっている。これではどこかの方言だ。
「ゲロ子ちゃん、この薬酒を飲んで。妖精にも効果あると思うから」
向かいに引っ越して来たホーリーが自家製の薬酒を持ってゲロ子の見舞いに来ていた。ホーリーが始めた薬酒屋は軌道に乗りつつあり、教会の運営と売上金で日々、子供たちと暮らせるようになっている。
まだ仕込みが必要な薬酒が売れるようになれば、ゆとりある生活を送れそうだ。教会の方も薬酒をもらいに信者がやってくるようになり、徐々に寄付金も入ってきているそうだ。
ホーリーが持ってきた薬酒は(オレンジシード酒)。イズモ産のルビーオレンジの実と種を使った薬酒で、熱を下げる効果があるという。温めてスプーンでゲロ子に飲ませている。そのおかげで熱が少しだけ下がり、話ができるようになったのだ。
実はゲロ子が寝込んでいた時に、右京は目利きを失敗して不良品を買い取ってしまったのだ。売りに来た冒険者も気づかずに長年使用していたくらいだから、見分けは非常に難しい査定であった。それで右京はつい油断してしまったのだ。
買ったのはゾリゲン工房製と思われたショートソード。銘があったのと品質は悪くなかったので思わず買い取ってしまったのだが、カイルに見せると偽物だと言われてしまった。確かによく見ると刻まれた字が微妙に違っている。
品質も見逃していたが、ブレード部分に補修跡があり、一度折れた剣をつないだ代物であった。修理した職人の腕が素晴らしかったので、よく見なかった右京が見逃したのだ。
「右京さんでも失敗することがあるのですね」
気の毒そうにホーリーが言うが、『でも』の部分が右京の心臓をえぐる。天然なだけに憎めないのだが。
「くそ。俺としたことが……」
こういう買取店では一番やってはいけないミスだ。商品にならない仕入れをすること。買い取った剣は修復箇所に耐久力が限界で、カイルが直すのも手間がかかった。それに見合った付加価値を付けるにしてもゾリゲン工房製というブランドのパチモンでは、金をかけて修理する価値もない。まるまる損である。
「主様、高い授業料を払ったでゲロ。主様はその糞みたいなショートソードを250も出して買った大馬鹿者と笑われるでケロな」
「く~っ!」
ゲロ子に言われるまでもない。油断をしたことは弁解ができない。
「ケロケロ……。売る客、買う客、みんな満足、得をするどころか、主様だけが一人損をするでケロな」
「ううう……」
ゲロ子の嫌味に言い返せない右京。
そんな状況で落ち込んでいる右京に、ゲロ子がいつもの嫌味で傷口に塩を塗る。病気なのに薬酒のおかげで調子が出てきたようだ。
「あ~あでゲロ。250Gもあればフェアリー亭で豪華な食事が1週間以上できたでゲロ。馬鹿な主様のせいで大損でゲロ~っ。ああ、やっぱり、主様はゲロ子がいないとダメでゲロな」
熱が下がって毒舌が戻ってきたようだ。右京は悔しくなって、ゲロ子のほっぺたをつねる。この使い魔にここまで言われる筋はない。
「いたたたっでケロ」
「ダメですよ、右京さん、ゲロ子ちゃんをいじめたら……」
ホーリーが慌てて右京の折檻を止める。ホーリーに止められては右京も続けることはできない。ゲロ子に言われるまでもなく、確かに、ゲロ子が病気でいなかったことが痛い。ゲロ子がいたなら何か気がついたかもしれない。
こんなカエル娘でも商売の相棒なのだ。伊勢崎ウェポンディーラーズが複数形なのも右京とゲロ子2人で商売するというところから来ているのだ。薬酒を飲んだゲロ子は、また眠りにつく。このまま、眠って養生すれば回復するだろう。
カラン……。
店のドアが開いたのは夕方。何故か店に居ついて拭き掃除をするホーリーと世間話をしている時に突然起こった。見ると手を両膝につけて息を整えている少女がいる。あのチンクエディアの所有者、耳の長いハーフエルフの娘だ。
「ネイじゃないか。何か冒険で買取り品を見つけたのか?」
右京は息を整えているネイに優しく問いかけた。ネイは仲間と共に冒険に出たと聞いており、また、珍しい武器があったら売りに来ると言っていた。だが、今のネイの様子は尋常ではない。何か急いでここへ来た感じだ。
「た、大変じゃ、右京さん、ネイたちを助けてくれ」
ハーフエルフの目に涙が溢れる。その顔は元々白い端正な顔だが、今は異様に白く感じる。まるで死に直面した人の顔だ。生気が抜けてしまっている。
「どうしたんだ? その顔」
「右京さん、これはヤバイのじゃ。気をつけて欲しいのじゃ」
そう言ってネイがずた袋から箱を取り出した。それは古ぼけてはいるが、かなり手の込んだ彫刻が施してある金属製の箱だ。大きさからすると中には短剣類が入ってそうだ。だが、よく見ると訳のわからない文字が書いてある。それは意味がわからなくても読むものに嫌な感じを与えるのに十分な威圧感があった。
「中に呪いの短剣が入っているのじゃ」
「な、なんだって?」
右京は思わず後退りをする。この世界に稀に存在する呪われたアイテム。冒険者が戦利品で得た宝物の中にそういうものが混じることがあるという。呪いといっても様々でただ単に過去の曰れが不吉なだけのものから、黒魔術等の手法で持ち主の命を奪う超危険な物まで様々な形態があるという。
右京は買取店としてそういうものは買わないと決めている。専門家じゃなければ危険だし、例え解呪をしても元がそんな武器を客に売りつけるなんてことは死んでもできない。
「ネイ、呪いの品は危険だ」
「大丈夫じゃ。呪いはもう解放されて、ただの剣じゃ。さっき、専門の店で鑑定してもらった。もう呪いはうちのパーティメンバーに降りかかってしまったから、もう力はないそうじゃ」
「そうなのか?」
右京が少しだけ安心して近づいた。ところが、その時に異変が起こった。ネイの両手にあった箱の蝶番がパチンと跳ね上がった。鍵も付いていたはずだが、それも外れて地面に落ちている。一瞬、ネイの奴が開けたのだと思ったが、彼女は恐ろしさに顔を引きつらせて固まっている。そして、箱の蓋が何かの力でゆっくり開き始めたのだ。
右京もネイも恐ろしさに体が動かせない。後から思えば、既に呪いの虜になっていたのかもしれない。箱の蓋が完全に開くと同時に右京の頭から血が下がっていく感覚に囚われた。くらっとして思わず右手をテーブルについた。左手で額を押さえて目を閉じる。暗闇の中、ゆっくり3秒数えて目を開けた。心配そうに顔を覗き込むホーリーの顔があった。
「右京様、大丈夫ですか」
ネイはというと地面に転がって頭を抱えてブルブルと震えている。箱の蓋は何故か閉まっている。
「これはどういうことだよ、ネイ。どういうことかって聞いているんだよ!」
「わからない、うちにもわからない」
そう言ってネイは自分の手を見る。そこに浮かび上がったあざを見て腰を抜かした。ブルブルと体を震うちている。恐怖で体が震えるとはこう言う姿を言うのであろう。
「呪いじゃ、呪いじゃ、うちもみんなのようになるのじゃ」
「呪いってどんな呪いだ、ネイ、落ち着いて話をしろ」
これは大変なことになったと右京は自覚していた。何故なら、右京の右手の甲にも不気味な蛇の模様が浮かんでいたのだ。それは頭を体の方に向けて今にも這いずってきそうな模様なのだ。
「ちゃんと閉めたんじゃ、閉めて鍵も付けたはずだったんじゃ。鑑定ではもう呪いの力はないって言ってたんじゃ」
鑑定で呪いの力はないと言われたのに、さっきの光景は異様であった。勝手に箱が開いたのだ。それはまるで悪魔の仕業のようであった。もう恐怖からか、ハーフエルフのトパーズのような黄色い瞳にはいっぱいの涙があふれて頬を伝い始めた。
それでもネイは知っていることを右京に伝えねばと思った。蛇のあざ。これは1日で移動する。心臓めがけて動くのだ。1週間前に見たという仲間は、甲にあったあざが心臓にまで達したそうだ。右京は自分のあざを見る。それはゆっくりであるが、徐々に動いているように見えた。確かにネイの言うとおり、その目的地は左胸。心臓だと右京は直感した。
「右京様、大丈夫ですか……」
ホーリーがそう言って右京に近づこうとしたので、右京はホーリーに向かって鋭く『近寄るな!』と叫んで、ホーリーを突き飛ばした。突然の行為にホーリーはよろめいて壁に体をぶつけて地面に倒れた。乱暴であったがホーリーまで呪われたら大変である。
「う、右京様」
「ご、ごめん。ホーリー。でも、これは危険だ。呪いのかかった武器なんだ。近寄らないで。このまま、店を出て帰ってくれ」
「で、でも……。右京様が……」
「はっきりしたことが分かったら知らせる。だから、とにかく今日は帰ってくれ」
「わ、わかりました」
ただ事でない様子にホーリーはとりあえず、右京の指示に従うことにした。右京に言われて店の看板にClosedの表示を付けた。これで誰も店の中に入って来られないだろう。
右京はネイのためにホットミルクを作った。こういう時には精神を安定させる飲み物がよい。それを一口飲むとネイは落着いていた。
「ネイ、ゆっくりでいいから話してごらん」
「分かったのじゃ」
ホーリーが心配そうに振り返り、振り返り向かいの教会に帰っていくのを見ながら、右京はこの厄介事を持ち込んだハーフエルフに質問を始めた。呪いの種類、解呪方法につながる手がかりを聞かないとこれはやばいことになるという思いがあった。
全くとんでもないことに巻き込まれた。右京はネイから聞き取ったことを整理した。事の発端は1ヶ月前だ。ネイたちのパーティは冒険者ギルドからあるミッションを受け負った。町の郊外にある廃坑からあるアイテムを取ってくるというものだ。そこはオオトカゲの巣になっていて、中級パーティには少し危険だったが、何とかやりとげることができた。冒険から帰ってきて酒場でパーティの仲間と食事をしていた時のことだ。
本来ならミッションで得たアイテムはギルドに提出しなくてはならない。だが、その古ぼけた箱は何か高価なものが入っていそうな雰囲気がありありであった。さすがにギルドに契約違反を問われるので、盗むわけにはいかなかったが、中身を見てみたいと酔った酒の席で仲間が言い出した。
「それでお前ら、中身を見たんだな?」
コクコクと頷くネイ。なんてうかつな連中だろう。この怪しげなアイテムを何の疑いもなく開けるなんて。
「とにかく、続きを話せ。呪いを解く手がかりがあるかもしれない」
ファンタジーRPGをやっていれば、普通に出てくる「呪われた武器」。教会などで大金を払って解呪すれば取れたり、呪われる前に武器屋で売ると高く売れたりする。売ると0Gでがっかりするというケースもあるが。そんな定番の呪われた武器。だが、実際に持ち込まれると非常に迷惑である。
(本当に勘弁してくれよ~)
右京は泣きたい気持ちであった。




