第1話:お前のような草むしり女とは婚約破棄だ!……え、いいんですか?
「エルザ・フォンテイン! お前のような陰気な草むしり女との婚約は、本日限りで破棄する!」
きらびやかな王宮の夜会。
その中心で、我が国の王太子であり私の婚約者でもあるエドワード殿下の怒号が響き渡った。
数百人の貴族たちの視線が一斉に私に突き刺さる。
クスクスという嘲笑と、哀れみの視線。
「王妃になるというのに、研究所に入り浸っているらしいわよ」
「ドレスより薬草を選ぶ変わり者なんて、この国の王妃には相応しくないのよ」
「殿下の仰る通りだ」
エドワード殿下の隣には、これ見よがしに彼の腕に絡み付く男爵令嬢のブリジットが、勝ち誇ったような歪んだ笑みを浮かべていた。
「殿下、エルザ様をあまり責めないであげてください……。わたくし、エルザ様にドレスを汚され、階段から突き落とされそうになりましたけれど、許してさしあげますからっ!!」
嘘泣きを始めるブリジット。
当然、私には一切身に覚えがない。
フォンテイン公爵家に生まれた私は、幼い頃からドレスや社交界には興味がなく、ひたすら庭の植物や薬草の研究に没頭してきた。
王太子の婚約者に選ばれてからは、王妃教育の一環として、王立研究所と共に流行病の治療薬の研究に勤しんでいた。
派手好きなエドワード殿下はそれが気に入らず、私をいつも「フォンテイン家の恥晒し」「陰気な草むしり女」と罵っていた。
「フン、ブリジットは優しすぎるな!
エルザ、お前のような不気味な女は王太子妃にふさわしくない!
王太子であるこの私が、お前との婚約を破棄する!
そして、お前を王都から遠く離れた辺境の領地へ追放する!
フォンテイン公爵家にも、王太子である私から厳重に申し渡しておこう!
二度と王都へ戻ってくるな!
ましてや、我が国の土を踏むことなど許さん!」
エドワード殿下はそう言って、私を突き飛ばそうとした――が、私は一歩引いて優雅にそれをかわした。
そして、私は溢れ出そうになる笑みを必死に噛み殺していた。
(ぃ、やった―――――――!!!)と、心の中で盛大にガッツポーズを決める。
これで、あのアホな殿下の機嫌を取るために無理やり窮屈なドレスを着る必要もない。
くだらない夜会に出る必要もない。
大好きな植物たちと、一日中触れ合っていられるのだ。
ここは悲劇のヒロインのフリをして、最速でこの場を立ち去るに限る。
「……仰せのままに、殿下。どうぞブリジット様とお幸せに」
私は涙をこらえるフリをしてうつむき、ドレスの裾を翻して優雅に一礼した。
背後で「最後まで可愛げのない女だ!」と叫ぶ元婚約者の声を無視して、私はスキップしたい衝動を抑えながら、清々しい満面の笑みで夜会を後にしたのだった。
* *** *
それから数日後。
私は馬車に揺られ、実家からも見捨てられて、隣国との国境近くにある辺境のボロ屋敷へとやってきた。
エドワード殿下の言う通り、庭は雑草だらけで荒れ果てていたが、植物オタクの私にとっては最高の宝の山だ。
「よし! さっそく開墾を始めましょう!」
念願の自由を手に入れた私は、一国の公爵令嬢だったとは思えない手際の良さで袖をまくり、裏庭の草むしりを始めた。
その時、雑草の根元に奇妙なものが落ちているのを見つけた。
「あら……? これ、何の種かしら」
それはクルミほどの大きさの、見たこともない種だった。
周りにはこの大きさの種子を付けるような植物はなかった。
表面はまるで宝石のように七色にキラキラと光っている。
植物オタクの私の血が騒いだ。
「よし、あなたを特等席に植えてあげるわね。私の特製肥料と、魔力を込めたお水をたっぷりあげるから、元気に育ってね」
私は庭の中でもひときわ柔らかな土に埋め、毎日愛情を注いでお世話をした。
それからの三日間、私は朝から晩まで庭の手入れに没頭した。
伸び放題だった雑草を抜き、土を耕し、使えそうな薬草を選別する。
「まあ、この子は薬効がありそうね」
「あら、こっちは珍しい品種だわ!」
王宮にいた頃には、王妃教育や夜会の予定に追われて、せっかく王立研究所で研究する機会を与えられていても、こんなふうに一日中植物と向き合うことなどできなかった。
追放って……最高じゃない?
私は今までの人生で一番幸せな三日間を過ごしていた。
そんなある日の朝だった。
ぽんっ!
小気味いい音を立てて七色の花が咲いた。
そして、その花びらがゆっくりと開くと、中から驚くべきものが現れた。
「きゅ〜」
そこにいたのは、手のひらサイズの小さな、ちっちゃな男の子の妖精だった。
頭にはちょこんと可愛らしい双葉の芽が生えていて、背中には半透明の羽があり、生まれたばかりだというのに、信じられないほど濃厚な大自然の魔力を放っていた。
「えっ?!あらあらあら!なんて可愛いのかしら!」
「まーま?」
妖精は、きょとんとした愛らしい表情で私を見上げた。
「ママ〜!!」
次の瞬間、妖精はパタパタと羽を羽ばたかせ、嬉しそうに私の頬へすり寄ってきた。
ズキュン!!
「か、可愛い……!」
私は一瞬でハートを射抜かれてしまった。
この子に名前をつけてあげなくちゃ。
そう思った私は、しばらく考えた末に、その子を「コロン」と名づけた。
「今日からあなたはコロンよ。よろしくね」
「ころん!」
「まあ!お返事までしてくれるのね!」
私はすっかりコロンに夢中になった。
特製のハーブティーを飲ませ、庭の中を一緒に散歩し、眠くなったら膝の上でお昼寝をさせる。
夜はもちろん同じベッドで仲良く眠った。
寝返りを打ってコロンを潰さないように注意をしながら。
追放されてからというもの、私の毎日は幸せそのものだった。
――ただし。
この時の私は、まだ知らなかった。
この小さな妖精が、この世界で最も強大な存在の一人、『次世代の精霊王』だということを。
そして、コロンが生まれてから数日後。
私の平穏な辺境生活を、根底からひっくり返す事件が起きた。
突然、ボロ屋敷の上空の空間が、バリバリと凄まじい音を立てて割れた。
「ひえっ!?」
私は思わずコロンを抱きしめた。
まばゆい七色の光が辺り一面を包み込む。
そして、その光の中から――一人の美しい女性が姿を現した。
長い髪は七色にきらめき、身にまとった衣は花びらのように揺れている。
その背後には、空を埋め尽くすほどの精霊たち。
「……見つけました」
女性は辺りを見回し、震える声で呟いた。
「私の可愛い子……どこにいるの?」
「え?」
私は思わず首を傾げた。
すると、私の腕の中にいたコロンが、嬉しそうに手を振った。
「まーま!」
「……え?」
女性の動きが止まった。
「ママ!」
コロンがもう一度声をかけた。
「…………え?」
今度は女性の顔が、みるみる青ざめていく。
「ちょ、ちょっと待ってください」
女性は震える指でコロンを指差した。
「その子……その子は……!」
「コロン……です」
私は説明した。
「コロン……!?」
女性は目を見開いた。
私は頷く。
次の瞬間。
「コロォォォォォン!!」
絶叫とともに、女性がこちらへ飛んできた。
女性の動きと共に濃密な花の芳香が辺り一面を満たした。
「きゃあっ!?」
私はコロンを抱えたまま後ずさる。
女性は私の目の前で急停止すると、コロンを穴が開くほど見つめ――
「…………生きてる」
ぽろっ。
大粒の涙が、その美しい頬を伝った。
「生きてる……! 私の子……!」
そして次の瞬間には、私の両手をがっしりと握りしめていた。
「人間のお嬢さん!!」
華やかな花の芳香が強くなる。
「は、はい!?」
「あなたが、この子を育ててくれたのですか!?」
「ええ。まあ……」
私は腕の中のコロンを見た。
「とても可愛い子なので、毎日一緒に遊んで、お昼寝して、ハーブティーを飲ませていました」
「ハーブティー……?」
女性は呆然と呟いた。
「この子に……ハーブティーを?」
「はい。お気に入りみたいですよ。
あ、ちゃんと冷まして火傷をしない温度にはしています」
「…………」
女性はコロンを見つめた。
そして、私を見た。
またコロンを見る。
そして、再び私を見る。
「…………なんということでしょう」
「?」
「この子の魔力が……完全に安定している」
女性の顔から、驚きが消えていく。
代わりに、深い感謝の色が浮かんだ。
花の芳香からキツさがなくなり、柔らかな清々しい香りへと変化した。
「あなたは、この子を救ってくださったのですね」
「救った……?」
「ええ」
女性は涙を拭いながら、私の手を両手で包み込んだ。
「この子は、私の大切な子。長い間、行方が分からなくなっていたのです」
「そうだったんですか……」
「探しても、探しても見つからなかった。それがまさか、人間のあなたに育てられていたなんて……」
女性は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。本当に……ありがとうございます」
「そ、そんな。頭を上げてください!」
私は慌てて女性の肩に手を添えた。
すると、その女性の背後に控えていた無数の精霊たちが、一斉に跪いた。
「え?」
私は目を丸くする。
「みんな……どうしたの?」
女性は涙を拭いながら、静かに微笑んだ。
「申し遅れました」
そして、彼女は優雅に胸へ手を当てた。
「私はティターニア。この世界の精霊を統べる、精霊女王です」
「…………」
私は固まった。
精霊女王。
聞いたことがある。
世界中の精霊を統べ、すべての魔力を司る、この世界で最も強大な存在。
そんな人物が――。
「……え?」
私はもう一度、ティターニア様を見た。
「えええええええ!?」
思わず叫んでしまった。
「そんなに驚かなくても……」
ティターニア様が少し困ったように笑う。
「いやいやいや! だって、精霊女王様って……!」
「はい」
「世界で一番偉い精霊ですよね!?」
「まあ、そうですね」
「なんで私の家に!?」
「私の愛し子の魔力を感知したからです」
ティターニア様は困ったように笑った。
「ところで……」
彼女の視線が、私の古びたドレスへと移る。
「あなたほどの方が、なぜこのような辺境のボロ屋敷に?」
「ああ……」
私は少しだけ考えた。
「それなら簡単です」
「はい?」
「私、婚約破棄されて追放されたんです」
「…………」
ティターニア様の笑顔が止まった。
「……婚約破棄?」
「はい」
「追放?」
「はい」
「あなたが?」
「はい」
「……なぜ?」
「えっと……」
私は少し考えてから答えた。
「『陰気な草むしり女』だから、だそうです」
「…………」
ティターニア様の顔から、すっと感情が消えた。
「……草むしり女?」
「はい」
「あなたが?」
「はい」
「……この子を育てた、あなたが?」
「はい」
ティターニア様は、ゆっくりと空を見上げた。
その瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
大地が揺れ始めた。
「えっ?」
私は慌てて辺りを見回す。
清らかだった花の香りは、徐々に濃厚さを帯びてくる。
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
「…………」
ティターニア様は、にっこりと微笑んだ。
「なるほど」
「何がでしょうか?」
「その国は……」
ティターニア様の背後で、精霊たちが一斉に顔を上げる。
空が暗くなった。
風が唸る。
遠くの山々から、地鳴りのような音が響いてくる。
「我が友を『陰気な草むしり女』と呼び――」
ティターニア様の笑顔が、さらに深くなる。
「我が子を育ててくれた恩人を追放した、と?」
「ええ、まあ……そういうことです。友?」
「…………」
ティターニア様は、しばらく黙っていた。
花の芳香も消えた。
そして。
「よろしい」
「え?」
「その国」
ティターニア様は背後を振り返った。
「滅ぼしましょう」
強烈な花の芳香が炸裂した。
「ええええええええっ!?」
私は慌ててティターニア様の腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なぜです?」
「なぜって……国を滅ぼすのはやりすぎです!」
「では、王太子だけにしましょうか?」
「それもダメです!」
「では国王も追加で」
「増えてます!!」
ティターニア様は不思議そうに首を傾げた。
「ですが、あなたは傷つけられたのでしょう?」
「まあ……婚約破棄されたくらいですし」
「それだけではありません」
ティターニア様の瞳が鋭く光る。
「あなたは、この国のために研究までしていたのでしょう?」
「え?」
「王立研究所で、流行病の治療薬を研究していた」
私は目を見開いた。
「どうしてそれを……」
「あなたが植物たちに注いだ愛情なら、私たちには分かります」
ティターニア様は微笑んだ。
「あなたがどれほど植物を愛し、どれほど真面目に研究していたのかも」
そして、私の頭を優しく撫でた。
花の芳香が落ち着いた。
「そんなあなたを追い出したのですね」
「…………」
「ならば、もうその国に戻る必要はありません」
ティターニア様は私の肩を抱いた。
「あなたは今日から、精霊界が誇る最高功労者です」
「え?」
「そして――」
ティターニア様は満面の笑みを浮かべた。
「私の、たった一人の友人です」
「…………」
私は呆然とした。
その横で、コロンが嬉しそうに笑う。
「ママ!おともだち!」
「ふふっ。そうですよ」
ティターニア様も笑う。
――その瞬間。
遠くから、轟音が響いた。
ドォォォォォン!!
私は思わず振り返った。
「……今の音、何ですか?」
ティターニア様は、にっこり笑った。
「さあ?」
「…………」
その笑顔の後ろで。
精霊たちが、何やら巨大な魔法陣を展開していた。
「ちょっと待ってください」
「はい?」
「何をしているんですか?」
「もちろん」
ティターニア様は楽しそうに答えた。
「お国滅ぼしです」
華やかな花の香りが辺りを満たした。
「やめてぇぇぇぇぇぇ!!」
私の絶叫が、辺境の空に響き渡った。
こうして――。
私を『陰気な草むしり女』と呼んで追放した王太子の国は、精霊女王による前代未聞の報復を受けることになった。
そして私はまだ知らなかった。
この騒動のさらに向こうから――。
もう一人の、とんでもない人物がこちらへ向かっていることを。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
忙しい日でもサクッと読めて、ちゃんとスカッとできる、細かいことはさておきの「時短お手軽溺愛ファンタジー」を目指して書いてみました。
「今日はちょっと小説を読む気力がないな」という日にこそ、気軽に楽しんでいただけたら嬉しいです。




