4.特待生の理由
バイトが終わり彼女の座る席へ向かった。
「宮川さん、お待たせしました」
「あ、三島くん。お疲れさまです」
「それじゃあ行きましょうか」
「え?どこに?」
ぽかんとしている。
そういえば自室に招くことを伝えていなかった。
事情を説明して部屋へ来てもらうよう促す。
「そういうことであれば、お言葉に甘えて…」
「そうしてもらえると助かります」
部屋には勉強机と本棚、そしてベッド。
我ながら殺風景だ。
「気にせずくつろいでください」
「ありがとうございます」
座るや否や落ち着きのなさそうに周りをキョロキョロ見回してしている。
何か変なものでも置いていたか?
「どうしました?」
「すみません!人の部屋をジロジロと…なんだか三島くんらしい部屋だなと思って」
「俺らしい?」
「えぇ。もしかしたらこの部屋に三島くんの成績の秘密が…」
彼女でも冗談を言うのか。
少し意外だ。
「そんなものないですよ。さぁ、始めましょうか」
「そうですね」
各々取り組みたい科目のテキストを広げる。
二人で勉強、といっても彼女も学年2位の成績を誇る。
教えあいっこなんてこともなく、刻々と時間が過ぎる。
ふと彼女が手を止めた。
「三島くん、一つお聞きしてもいいですか?」
「どうぞ」
「こんなこと聞くのも失礼かとは思うのですが、なぜ三島くんは入試ではトップではなかったんですか?」
「まさかそれを入試トップに言われるとは」
「す、すみません…」
「いやいや、いいんですよ。あれはハプニングでした」
「ハプニング?」
「二日目の英語の時間でした。書いている途中でシャー芯が切れたので新しいのを補充しようと思ったら替えの芯を机の上に出し忘れてたんです」
「え、それは災難でしたね」
「予備のシャーペンも出していなくて、結局三分の一ぐらいは回答できずに提出しました」
「なるほど、それでトップではなかったんですね」
「自己管理の甘さですから、これも一つの実力です。それに入試でもトップを狙っていたわけではないですから」
「そう、なんですね…」
「でもなぜそれを?」
「単純に気になったんです。入学後のテストでは常に私の前を走っている三島くんが、なぜ入試では私がトップだったのか。でも話を聞いて納得しました」
軽く唇をかみしめ、俯いている。
彼女の表情を見るに、納得というより、仕方なかった状況を甘んじて受け入れたといったところだろう。
数秒の沈黙の後、彼女が続けた。
「三島くん、うちの学校に特待生制度があることはご存じですか?」
「いや…」
うちの学校に特待生がいるなんて初めて知った。
入試案内に書いていただろうか。
「私、その特待生なんです」
「え、すごいじゃないですか」
素直にすごいと思った。
特待生なんてなれるものではないし、かくいう自分も目指そうとは思わなかった。
しかし彼女にとってはその言葉は強く刺さったようだ。
「そんな軽々しく言わないでください!」
強くなった彼女の語気に思わずびっくりしてしまった。
「ごめん…」
「いえ、こちらこそ取り乱してすみません…」
コーヒーを一口飲み、彼女が続ける。
「入試の成績がトップだった人を対象に、学校長が内申点などを加味して特待生になるかどうか打診してくるんです」
「それで宮川さんに特待生の話が来たと」
「そうです。特待生を狙っていたので、正直オファーをもらえた時はとても嬉しかった」
「じゃあなんで…」
「校長室で説明を受けた際、特待生を継続する条件が提示されました」
「その条件って?」
「校内で行われるテストで3回連続2位以下にならないこと、です」
つまりは3回連続で1位を逃すと、その時点で特待生の資格が剥奪されるということだ。
「なかなかハードな欲求ですね」
「三島くんもそう思いますか?」
「人間いつどうなるか分からないし、1位を取り続けろなんて難しい話だと思うんですけどね」
「私もそう思いました。けど、目指していた特待生としての自分がもう目の前にあると思うと、ノーとは言えませんでした」
それはそうだろう。
手に入れたいものが目の前にあって、手を伸ばせばそれを手に入れられるなら多少の困難も承知で受け入れるはずだ。
しかし、実際は困難を極めた。
「俺がいるから、か…」
「あ、勘違いしないでください。別に三島くんを恨んでるんじゃないんです。自分の実力不足なだけですから。でもやっぱり特待生の資格は奪われたくないと思っちゃうんです」
誰しも苦労して手に入れたものを簡単には手放したくはない。
それなりの偏差値のうちの高校で、しかも特待生。
みすみす逃したくないのが普通だろう。
「これが私が『1位を譲ってほしい』とお願いした理由です。自己中心的でわがままなお願いだとわかってるんです。でもどうしても…」
「俺からも一つ訊いてもいいですか?」
「えぇ」
「特待生になるメリットってなんなんですか?」
「特待生は在学中の学費免除と大学入試の費用の全額負担が約束されます。私の家、あまり裕福ではなくて、親に金銭の負担をかけたくないんです。だから特待生を維持したいんです」
なるほどそういうことだったのか。
高校に通い、大学に進学するには特待生で居続けることが必要。
そのためには学年1位をキープしなければならない。
だから俺にお願いしてきた、ということか。
「事情と理由は分かりました」
人は多かれ少なかれ個々の事情があり、自己の利益のために動いている。
失敗しないように。なるべく楽できるように。自分が傷つかないように。
しかし、それはときに手段と目的を惑わせようとする。
何のために何を成し遂げ、どうなりたいのか。
家庭のことを考え、真面目でひたむきに努力できる彼女のことだ。
彼女がここで足踏みしているのはとてももったいない。
軽く座り直し、姿勢を正す。
「そういうことならば余計に俺は手を抜けません。俺も宮川さんも全力でぶつかって、そこで勝ち取った1位だからこそ宮川さんが特待生であり続ける意味が生まれると思います。ご家庭の事情に首を突っ込むつもりはありませんし、同情もしません。ただ、宮川さんが全力で1位を取りに行くなら、俺も全力で戦って、全力でサポートします」
喋り終わって我に返った。
俺は他人の事にこんなに熱くなる人間だったか?
一人で勝手に盛り上がって、べらべらと饒舌に、何を人に説教しているのか。
恥ずかしさと申し訳なさが一気に押し寄せてきた。
「いや、すみません偉そうに…忘れてください」
しかし彼女から帰ってきた言葉は意外なものだった。
「…ありがとう」
「え?」
「人から説教されるなんてこと、ここ数年なかったからすっかり忘れてました。親も先生も私の顔色を窺ってばかりだから。三島くんにそんな風に言ってもらえなかったら、私、ずっと他人や環境を攻めてばかりで何もしようとしなかったと思います。だから、ありがとう」
「いや、そんな…」
感謝されると余計に恥ずかしいのだが…
「三島くん、さっき『同情もしない』って言ってくれましたよね」
「えぇそれは…確かに」
「ついでと言ってはなんですが、もう一つ訊いてほしいことがあるんです」
彼女が神妙な面持ちになり、少し空気が張り詰める。
「私、父親がいないんです」
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