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何度やり直しても君と別れる  作者: gratin
ほどけない問い
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6-1 今は話せない

月曜日。昨夜の言葉を残したまま、それぞれの一日が始まります。

アラームを止めた手で、そのまま凪との画面を開いた。


新しいメッセージはなかった。


起き上がると、首の後ろに鈍い重さがあった。何時に眠ったのか、最後に時計を見た時刻からは分からなかった。カーテンを開ける。向かいの屋根は曇り空と同じ色で、どこからが空なのか、一瞬、目が迷った。


『おはよう。気をつけて行ってきてね』


送ってから、洗面所へ向かった。


顔を洗い、歯を磨いた。鏡の前で口元の水を拭いていると、部屋でスマホが震えた。


『おはよう。もう出てるよ。湊も気をつけて』


凪は、俺が起きる前に支度を終えていた。


画面を持ったまま、タオルを掛け直した。折り重なったところが乾かない気がして、両端を引いた。


『昨日は遅くまでごめん』


少し待ったが、返事は来なかった。


移動しているのだと思った。


そう考えてスマホを置き、シャツの袖へ腕を通した。襟元のボタンを留めるとき、棚の上の別のシャツが目に入った。今日はそれに触らず、鞄を取った。


仕事中は、スマホを鞄に入れていた。


昼休みに取り出すと、朝の文には既読がついていた。続きはなかった。


俺は画面を閉じ、買ってきたおにぎりの包みを開いた。海苔の端が欠け、机に落ちた。指の腹で拾おうとすると、細かく割れた。


午後の仕事を終えるまでに、もう二度、同じ画面を見た。


帰るころには雨が降っていた。


傘を開いて歩いた。鞄の中でスマホが鳴ったような気がして、建物の軒へ寄った。画面には何も出ていなかった。傘を持った手の甲に、縁から落ちた雫が当たった。


部屋に着いて、濡れた傘を玄関に立てた。


台所の灯りをつけ、鞄を置く。冷蔵庫を開けたところで、今度は本当に音がした。


『今日もおつかれさま』


凪からだった。


『昨日の話、少し時間を置いてからにしたい。今日は電話できない』


俺は冷蔵庫を開けたまま読んだ。


白い光が足元へ落ちていた。棚に置いた容器を取ろうとしていたのに、何を作るつもりだったか、すぐには戻ってこなかった。


扉を閉めた。


『分かった。いつなら話せそう?』


返事は、すぐには来なかった。


俺は水を一杯飲んだ。台所に立ったまま、飲み終えたコップを流しへ置いた。


『まだ分からない。少し休んでから考えたい』


『明日とか?』


送ってから、凪の文を読み直した。


まだ分からない、と書かれていた。


指がもう一度動いた。


『急かしたいわけじゃないんだけど、何も決まらないままだと俺も落ち着かないから』


椅子を引いて座った。仕事用の鞄が足に当たったので、奥へ押した。倒れかけたものを膝で戻し、画面へ目を向けた。


『明日話せるって約束して、無理だったらまた嫌な思いさせるでしょう』


俺は、違う、と打ちかけた。


違わなかった。明日と言われれば、明日のその時間を待つ。帰りに買うものも、風呂に入る時刻も、それに合わせて考え始める。


凪から、もう一つ届いた。


『話さないままにしたいんじゃないよ。今は話せないって言ってる』


その「今」が、どこまで続くのか知りたかった。


今夜なのか。明日の夜もなのか。


分からないまま、いつもどおり仕事へ行って、帰って、またこの椅子へ座るところを想像した。今日一日、何も増えていない画面を開いたときの感触が、親指に戻った。


『時間を置くって、付き合い続けるために考えるってことでいい?』


送った文の末尾に、自分の顔が薄く映った。


スマホを傾けると、見えなくなった。


『そこも今、答えを出さなきゃだめ?』


俺は背筋を伸ばした。


さっきまで着ていたシャツの襟が、喉に近かった。ボタンを一つ外した。


『別れるかどうか考える時間なのか、仲直りのための時間なのかで、待つ意味が変わるから』


『私も、まだ自分で分からない』


文字の並びを、端からもう一度読んだ。


まだ。


その二文字を除いて読みかけ、戻った。


凪も分からないと言っている。答えがあるのに渡してくれないのではない。そう思おうとした。でも、俺の知らないところで何かが決まってから知らされるような気がして、椅子の座面が急に狭くなった。


『昨日は好きって言ってくれたよね』


凪は返さなかった。


昨夜も、同じことを確かめた。


そのことは覚えていた。それでも昨日の言葉を、今日のこの時間まで持ってきたかった。


『あれは本当だったと思ってていい?』


送信してから、スマホをテーブルへ置いた。


手を離していれば、続けて送らずに済むと思った。けれど画面が消えるより早く、また持ち上げた。


『本当だよ』


息を吐いた。


続いて、もう一つ届いた。


『でも、好きって答えたら、今日は休みたいって言ってもいいの?』


俺は返事を書き始めた。


休んでいいよ。


その文を見ているうちに、凪が本当にスマホを置き、返事をしなくなるところが浮かんだ。今朝から待っていたものが、明日へそのまま続く。


俺は末尾へ言葉を足した。


『休んでいいよ。ただ、いつ話すかだけ決めておきたい』


送った。


凪の返事が来るまで、テーブルの木目を目で追った。細い線が途中で枝分かれし、コップの跡の下を通っていた。拭けばよかった。布巾はすぐそばにあったが、手を伸ばさなかった。


『今、決められないって言ったよ』


俺は上へ画面を動かした。


たしかに、そう書かれていた。


親指を止めると、少し前の俺の文も見えた。いつなら話せそう。明日とか。付き合い続けるため。


知りたいことを順番に尋ねていた。どれにも理由があった。


『俺は冷静に話してるつもりだよ。責めてるわけじゃない』


打つ途中で、同じ文字が二つ入った。消そうとして、その前の文字まで消した。書き直してから送った。


スマホの角が掌に当たって痛かった。握り直すと、指の跡が白く残った。


『冷静かどうかの話じゃなくて、今日は続けられないの』


凪の文は短かった。


声が聞きたくなった。


文字だから、こんなふうになるのかもしれない。ちゃんと聞けば、もっと柔らかい声なのかもしれない。昨日、俺も好きだと言った声を聞いて、少し息ができた。


画面の上の通話ボタンへ目をやった。


今日は電話できない。


最初に届いた文を思い出して、指を止めた。


代わりに、入力欄へ戻った。


『このままにしたら、余計に話しにくくならない?』


凪が読むまでに、時間がかかった。


換気扇は回していなかった。冷蔵庫も静かだった。窓の外で雨樋から水が落ちる音が、一定の間隔で続いていた。


一つ落ちるごとに、画面へ目を戻した。


『今続けるほうが、私は話せなくなる』


俺は足を引いた。


椅子の下で、靴下の先が鞄へ触れた。帰ってから、まだ鞄をそこへ置いたままだった。


凪は早朝に家を出ていた。


帰って、何か食べただろうか。髪を洗う前だろうか。いつもなら、今何してる、と聞けば済んだ。今日はそれを聞くことさえ、返事を増やすことになる気がした。


『じゃあ、俺はどうしてればいい?』


結局、別の返事を求めた。


送ったあとで、腹が鳴った。


小さな音だった。空腹だったことに、その音で気づいた。冷蔵庫に残っているものを思い出そうとしたが、画面が明るくなって、そちらを見た。


『待っててほしい。でも、いつまでなら待てるかは、私が決められない』


俺は唇を噛んだ。


待てないなら、それで終わりということなのか。


そう打った。


送信の手前で止まり、消した。


凪の言っていない言葉が、入力欄の中で俺の指から出てきていた。


しばらくして、凪からまた届いた。


『水曜の夜に、一度連絡する。それまで、二人のことを考える時間をもらえないかな』


水曜日。


明日ではない。それでも、何もないところに曜日が置かれると、肩に入っていた力が少し緩んだ。


『九時くらい?』


『うん。でも、その日に全部話せるかは、まだ分からない。今どう思ってるかを伝えるところからにしたい』


俺はカレンダーを見た。


六月の、小さな水曜日の欄だった。


そこへ九時と書く自分が浮かんだ。凪は連絡すると言った。電話をするとも、結論を出すとも言っていなかった。


『分かった。水曜の九時に連絡くれるんだね』


『うん』


返事を読んで、スマホを下ろした。


今度こそ立ち上がろうとした。


けれど膝に力を入れる前に、まだ自分が一度も言えていないことがあると思った。何かを決める前に、それだけは知っていてほしかった。


『俺は別れたくない』


送った。


『ちゃんと話して、続けたいと思ってる』


二つ目の文を送ると、一つ目に既読がついた。


俺は凪の返事を待った。


私も、と来てほしかった。


そう来れば、水曜日まで眠れる気がした。ごはんも食べられる。明日、仕事から帰って、時計を確かめずに本を開ける。まだその返事がないのに、返ってきたあとの自分を、ずいぶん細かく想像していた。


『湊がそう思ってるのは分かった』


凪は、それだけ返した。


『凪は?』


送るのに、ほとんど間がなかった。


雨樋の音が、一度乱れた。まとまった水が落ち、そのあと、また一滴ずつになった。


『だから、それを考えたい』


俺は文字を見つめた。


『今日はもう、返事をやめたい。水曜に連絡するって約束したから、今夜はここで終わりにさせて』


指先が、スマホの側面を滑った。


持ち直したとき、爪が硬いケースを擦った。その音だけが、妙に近く聞こえた。


今日、何度、終わりにするところを通り過ぎたのだろう。


画面を戻せば数えられた。でも、戻さなかった。


『分かった』


送った。


すぐ下に、もう一つ書いた。


『最後に一つだけ』


それは送らなかった。


文字を消すと、入力欄の端に細い縦線が残った。何も書かれていない場所で、ついては消えていた。


俺は画面を閉じた。


立ち上がると、膝の裏が強張っていた。鞄を持って壁際へ運んだ。底が床へ触れたとき、中に入れていた鍵が鳴った。


台所で、コップの水の跡を拭いた。


乾いた布では取れず、布巾を濡らしに行った。蛇口をひねると、思っていたより大きな音がした。


戻って拭くと、丸い跡はすぐに消えた。


スマホは、テーブルの向こう側にあった。


手を伸ばせば届くところだった。


俺は布巾を持ったまま、しばらくそこに立っていた。

第四十七話をお読みいただき、ありがとうございます。


次話は「届かない声」です。

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