第61話 見えた道
何も聞こえなかった。
耳鳴りだけが続いている。
視界は茶色かった。
舞い上がった土煙が辺りを覆い尽くしている。
喉の奥が焼けるように痛い。
吸い込んだ土埃が肺へ張り付き、呼吸を邪魔していた。
何が起きたのか。
そんなことは理解していた。
だからこそ、認めたくなかった。
カナトは咳き込みながら顔を上げた。
まず最初に探したのは崩落地点ではなかった。
リゼアだった。
数メートル先。
土煙の向こうにその姿が見えた瞬間、カナトは駆け出していた。
「リゼア!」
膝をついたまま動かない。
杖は地面へ転がっている。
肩を掴む。
「リゼア!」
返事はない。
もう一度呼ぶ。
強く揺さぶる。
「リゼア!」
それでも反応はなかった。
視線だけが崩落地点へ向いている。
瞳は開いている。
だが何も映していないようだった。
崩れ落ちた斜面。
消えた進路。
響いた悲鳴。
きっとその全てが彼女の中で止まったままなのだろう。
胸が痛む。
放っておけない。
このまま一人にしたくない。
だが。
「負傷者確認!」
「退避しろ!」
「二次崩落に警戒!」
怒号が飛び交う。
現場は止まっていない。
助けを待っている人がいる。
今この瞬間も。
「カナト!」
振り返る。
ガルドだった。
額に土埃を付けたまま走ってくる。
「こっちは俺達が見る!」
「でも――」
「いいから行け!」
珍しく強い口調だった。
その横へアイリスも駆け寄る。
迷いなくリゼアの前へしゃがみ込み、状態を確認し始めた。
呼吸。
脈拍。
瞳孔反応。
落ち着いた動作。
混乱の中でも手は一切震えていない。
「外傷なし」
短く告げる。
「命に別状はありません」
だが続く声は少しだけ重かった。
「精神的ショックです」
リゼアは反応しない。
呼び掛けにも。
周囲の怒号にも。
ただ崩落地点だけを見つめている。
アイリスは立ち上がった。
「こちらは私達が対応します」
「行ってください」
ガルドも頷く。
「早く行け」
「まだ終わってねぇだろ」
カナトは唇を噛む。
行きたくない。
離れたくない。
それでも。
「生存反応が消えました!」
救助隊員の報告が響いた。
現場の空気が凍り付く。
ロープを引いていた隊員の手が止まる。
誰かが息を呑む。
消えた。
その言葉の意味を考えたくなかった。
だが。
「まだだ」
低い声が響く。
ギルフォードだった。
隊長は崩落地点から目を離さない。
「断定するな」
短い。
だが、その声には絶対的な力があった。
「確認するまで生存前提で動く」
沈みかけていた空気が引き戻される。
そして。
「聞いたな!」
今度はレオンの声だった。
土煙の中を走りながら叫ぶ。
「全員動け!」
「救助は終わってない!」
その声に隊員達が再び動き始める。
負傷者確認。
資機材搬送。
地盤確認。
混乱しかけていた現場へ秩序が戻っていく。
レオンは次々と指示を飛ばしていた。
焦りはあるはずだ。
それでも顔には出さない。
今、自分が止まれば現場も止まると理解しているからだ。
カナトは立ち上がる。
助けなければならない。
まだ終わっていない。
崩落地点を見る。
進路は消えた。
さっきまで見えていたルートは土砂の下だ。
どうやって辿り着く。
どうすれば助けられる。
考えろ。
何かあるはずだ。
その時。
右眼の奥が熱を帯びた。
見ろ。
助けるために。
右眼へ意識を集中させる。
世界が変わる。
崩れた山肌が透けて見えた。
土砂の流れ。
岩盤の構造。
地下へ走る亀裂。
見えないはずの情報が次々に流れ込んでくる。
巨大な山そのものが、一枚の設計図へ変わっていく。
「っ……!」
頭痛が走る。
右眼の奥が焼けるように熱い。
だが止めない。
視る。
もっと深く。
さらに奥へ。
崩落した地盤を追う。
空洞を探す。
だが見つからない。
どこにもない。
焦りが胸を締め付ける。
時間がない。
今も命が失われているかもしれない。
それでも諦められない。
さらに魔眼を開く。
視界が歪む。
吐き気が込み上げる。
足元が揺れる。
脳へ無理やり情報を流し込まれているようだった。
無数の情報が洪水のように押し寄せる。
それでもーー。
探せ。
見つけろ。
助けるための道を。
汗が額を流れ、呼吸が荒くなる。
頭が割れそうだ。
それでも視線を逸らさない。
諦めるな。
まだ終わっていない。
その時だった。
見えた。
崩落した岩盤の下。
複雑に絡み合った土砂のさらに奥。
本当に僅かな隙間。
人ひとりがようやく通れる程度の空間。
奇跡みたいな一本の道。
偶然残った生存ルート。
だが確かに繋がっている。
「あった……!」
思わず声が漏れる。
顔を上げる。
「隊長!」
叫ぶ。
ギルフォードが振り返る。
「ルートがあります!」
周囲の視線が集まる。
「まだ行けます!」
視界が揺れ、膝が崩れかける。
それでもカナトは歯を食いしばり、崩落地点のある場所を指差して叫ぶ。
「この先です!」
誰も見ていない場所。
誰も気付かなかった場所。
だがカナトには見えていた。
助けるための道が。
ギルフォードはすぐには動かなかった。
指差された先へ静かに目を向ける。
そしてカナトを見る。
その視線は鋭かった。
嘘を見抜くためではない。
命を預けられるか確かめるための目だった。
数秒。
短い時間だった。
だが現場にいる全員には長く感じられた。
もしこのルートが崩れれば。
救助隊も巻き込まれる。
生存者も助からない。
隊長はその責任を背負う。
やがて。
「……案内しろ」
低い声が響いた。
そして一歩前へ出る。
「俺が行く」
迷いはなかった。
レオンが小さく息を吐く。
ガルドが拳を握る。
アイリスが静かに頷く。
カナトも強く頷いた。
まだ終わっていない。
終わらせない。
助けを待っている人がいる。
ギルフォードが歩き出す。
カナトはその背中を追った。
崩落した山の奥。
命が残っていると信じて。




