第6話 炎の先
試験場は、しばらく静まり返っていた。
誰も動けない。
いや、動くという発想そのものが消し飛んでいた。
壁面は黒く焼け焦げ。
魔法矢の発射装置は半壊。
熱気が空間に残り、床の一部は赤く溶けている。
「…………」
受験者達は呆然と、その光景を見つめていた。
その中心を。
リゼア・ヴォルトだけが、何事もなかったかのように歩いていく。
燃え残る炎すら、彼女を避けているようだった。
「おいおいおい……」
ガルドが引きつった声を漏らす。
「あれ受験でやっていいやつか?」
「……多分ダメだと思う」
カナトも呆然と答える。
その時だった。
「試験続行!!」
試験監の怒声が響く。
空気が震える。
「止まるな!進め!!」
受験者達がようやく我に返った。
慌てて走り出す者。
炎の道へ飛び込む者。
逆に熱気へ怯えて足を止める者。
完全に混乱状態だった。
カナトは焼け焦げた壁を見る。
リゼアが吹き飛ばした部分だけ、魔法矢が止まっている。
だが。
「……熱い」
余熱が異常だった。
普通に突っ込めば火傷では済まない。
右眼が熱を持つ。
空気の流れ。
熱量。
炎が薄い場所。
安全な侵入角度。
全てが視界に線として浮かび上がった。
「ガルド」
「おう?」
「左側。三歩先で一回下がって」
「……見えてんのか?」
「まあ」
「お前も十分怖ぇよ」
二人は炎の隙間を縫うように駆け抜ける。
途中。
熱気に足を取られた受験者が派手に転倒した。
「うわっ!?」
そこへ、容赦なく次の魔法矢が迫る。
軌道は完全に胸部への直撃コース。
間に合わない。
周囲が息を呑んだ、その瞬間。
ガギィン!!
カナトの剣が、恐ろしい精度で矢を斜めへ弾き飛ばした。
「っ、あ……!」
「立てるなら動いて。次が来る」
冷徹なほど落ち着いた声。
カナトは受験者の腕を掴み、強引に立たせる。
そのまま炎の死角へ押し込んだ。
「ぁ、ありがとう……!」
だが礼を聞く前に、カナトは既に次の軌道を視ていた。
「ガルド、右。一歩下がって」
「おっと!?」
ガルドが慌てて大剣で矢を叩き落とす。
「マジで余裕ねぇなこれ! 司令塔が優秀じゃなきゃ死んでるわ!」
「お喋りしてる体力があるなら走って」
「お前、顔は優しいのに言うこと結構エグいな!?」
そんな軽口を叩きながらも、二人は突破を続ける。
◇
そして。
ついにカナト達は試験場の出口へ到達した。
最後の一本を躱し、床へ着地する。
同時に。
後方の魔術装置が停止した。
静寂。
生き残った受験者達が、その場へ崩れ落ちる。
「はぁっ……はぁっ……」
「終わった……?」
「マジかよ……」
開始時の半数近くが脱落していた。
骨折。
火傷。
気絶。
試験場とは思えない惨状に、医療班が慌ただしく動き始める。
カナトは無意識に眉をひそめた。
傷の深さ。
出血量。
呼吸状態。
つい、負傷者の状態を観察してしまう。
「化け物だな……」
ガルドが視線で示した先。
そこにはリゼアがいた。
壁へ寄りかかり、汗一つかいていない。
まるで散歩でも終えた後のようだった。
カナトも否定できなかった。
その時。
リゼアの赤い瞳が、ぐるりとこちらを向いた。
真っ直ぐ。
今度は明確に、カナトを見ている。
その視線は。
カナトの右眼。
先ほど矢を弾いた剣。
救助時の動き。
それらを静かに観察していた。
「……?」
張り詰めた数秒。
やがてリゼアは、微かに眉を寄せる。
「あなた」
初めて声をかけられた。
鈴を転がすような、冷たく透き通る声だった。
「戦術部門を希望しているのでしょう?」
「…いや、医療部門だけど」
「…は?」
リゼアは予想外の回答に眉をピクッと動かした
「それだけの身のこなしができて、なぜ医療部門志望なの?」
「え?」
周囲の空気が凍りつく。
あのリゼア・ヴォルトが、自ら平民へ話しかけた。
それだけで異常事態だった。
カナトは少し戸惑い。
けれど、答えはすぐに出た。
「……助けたいから」
「……それだけ?」
「それだけ」
リゼアは黙り込む。
まるで未知の生物を見るように、カナトを見つめていた。
力こそが全て。
そういう世界で育ってきた彼女にとって、その答えはあまりにも異質だったのかもしれない。
やがて。
リゼアはふっと視線を逸らした。
「変な人」
「は?」
横でガルドが吹き出す。
「お前、“紅蓮”の令嬢に変人認定されたぞ。歴史に残るレベルだわ」
「全然嬉しくないんだけど……」
苦笑するカナト。
だが胸の奥は、不思議な熱を帯びてざわついていた。
遠い雲の上の存在だと思っていた。
けれど。
ほんの少しだけ。
ほんの一瞬だけ。
彼女の“人間らしさ”に触れられた気がした。




