第5話 第一試験
控え室の空気は、張り詰めていた。
受験者達は互いを牽制するように距離を取り、それぞれ静かに開始を待っている。
その中で。
リゼア・ヴォルトだけは、明らかに異質だった。
誰とも話さない。
周囲も話しかけられない。
彼女を中心に、大気が陽炎のように揺らいでいる。
近寄るだけで焼かれそうな、そんな錯覚。
「……すごい」
思わずカナトが呟く。
「おい、見すぎだ」
横からガルドが小声で言った。
「殺されるぞ」
「そこまで?」
「ヴォルト家だぞ?」
ガルドが呆れたように肩を竦める。
「“紅蓮”の血筋。魔力総量だけなら化け物クラスって噂だ」
その時だった。
――カツ、カツ。
硬い靴音が響く。
控え室の奥。
一人の男が入ってきた。
黒い制服。
鋭い目付き。
腰には細剣。
その姿だけで、場の空気が引き締まる。
「時間だ。試験場へ移動する」
低い声だった。
受験者達が立ち上がる。
カナトも推薦状を懐へ入れ、歩き出した。
◇
試験場は、想像以上に広かった。
巨大な円形空間。
高い壁。
そして。
壁一面に並ぶ、無数の発射口。
「……おいおい」
ガルドが引きつった声を漏らす。
受験者達にも動揺が走っていた。
当然だ。
どう見ても嫌な予感しかしない。
試験監が中央へ立つ。
「第一試験を開始する」
無機質な声。
「内容は単純だ。この空間を突破し、反対側へ到達しろ」
ざわめき。
「なお」
試験監が淡々と続ける。
「発射されるのは魔法矢だ。被弾時の威力は調整済みだが、当たり所によっては骨折程度はあり得る」
「は?」
「医療部門志望もいるんだぞ!?」
すぐに声が上がる。
「なんでそんな試験を――」
「アルビオンだからだ」
試験監が一蹴した。
空気が止まる。
「戦術、医療、研究。その全てが前線へ出る可能性を持つ」
静かな声だった。
「アルビオンに“安全な部門”など存在しない」
受験者達が息を呑む。
「生き残れない者に、人は救えない」
その言葉だけで十分だった。
誰も反論できない。
「それでは始める」
試験監が手を上げる。
直後。
壁面の魔術装置が、一斉に淡く発光した。
空気が震える。
「始めッ!!」
次の瞬間。
暴風のような魔法矢が放たれた。
「うわぁっ!?」
「ぎゃあああっ!!」
悲鳴と混乱が渦巻く。
矢の速度は凄まじく、軌道も不規則に交差している。
まともに前へ進むことすらできない。
だが、カナトは目を細めた。
右眼がドクンと熱を持つ。
世界が静かになり、視界の色が変わる。
発射地点。
着弾地点。
矢速。
魔力の流れ。
次に放たれる“未来の軌道”が、無数の光の線となって視界に編み上げられていく。
「……いける」
カナトは地面を蹴った。
それは最短ルートではない。
だが、この状況で生き残るための最適解だった。
左から迫る矢を、紙一重のステップで躱す。
交差する二本の矢の隙間へ、滑り込むように身体を滑らせた。
どうしても間に合わない軌道だけを、腰の剣で最小限に弾く。
ガギィン!!
鋭い火花が散る。
すれ違う受験者達が、驚愕の目を向けた。
「なんだあいつ……!?」
「避けてる……いや、避けてるんじゃない……!」
「最初から、当たらない場所しか歩いてない……!」
誰かが震える声で呟いた。
運の良さでも、反射神経の良さでもない。
まるで、矢が放たれる前から結果を知っているかのような足取り。
その異様さに、周囲の空気が僅かに引いていく。
だが、カナトにその声は届かない。
今はただ、視界の光の線をなぞることだけに集中していた。
その時だった。
背後の空気が、じわりと重くなる。
「……っ?」
思わず振り返る。
空気が赤く染まっていく。
温度だけが、一気に跳ね上がった。
そこには――リゼアが立っていた。
燃えるような赤髪が熱風に踊る。
その魔力は、一切揺らいでいなかった。
無駄がない。
美しいとすら思えるほど、完成された魔力。
それなのに、その先で部屋を埋め尽くすほどの真紅の炎球が渦を巻いていた。
質も。
量も。
常識の埒外だった。
「……は?」
誰かが呆然と声を漏らした。
直後。
轟音。
爆炎が一直線に吹き荒れた。
降り注ぐ魔法矢。
それを生み出す壁の発射装置。
その全てを巻き込みながら、炎の濁流が空間を焼き尽くしていく。
衝撃波で空気が激しく軋んだ。
先ほどまで淡々としていた試験監でさえ、予測不能の事態に目を見開いている。
硝煙と熱気が立ち込める中心で。
リゼアだけが、涼しい顔をしていた。
「邪魔」
ただ一言。
それだけ。
彼女にとって試験とは、突破するものではない。
立ちはだかるものを、焼き払うだけだった。
リゼアは悠然と歩き出す。
自らの力で焼き開いた、真っ赤に燻る炎の道を。
「…………」
カナトは思わず足を止め、絶句した。
自分が右眼をフル稼働させ、針の穴を通すような最適解を積み重ねて突破している真横で。
彼女は。
ルールごと、全部叩き潰した。
緻密と、理不尽。
あまりにも真逆なその背中を、カナトはただ見つめるしかなかった。




