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第59話 届かせたい想い

 迂回ルートの確保は着実に進んでいた。


 救助隊員たちは休むことなく動き続けている。


 それでもリゼアには、その歩みがあまりにも遅く感じられた。


 崩れた山肌が目の前に広がっている。


 本来なら木々に覆われていたはずの斜面は無残に抉られ、剥き出しになった岩盤が夕暮れの光を鈍く反射していた。


 巨大な岩が不安定な姿勢で斜面に引っ掛かり、その周囲には折れた木々や土砂が幾重にも積み重なっている。


 まるで大地そのものが傷を負ったような光景だった。


 誰も大声を出さない。


 足音さえ自然と慎重になる。


 この山がまだ終わっていないことを、ここにいる全員が理解しているからだった。



「生存反応を再確認しました」


 救助隊員の報告に、その場にいた全員が顔を上げる。


 ギルフォードが振り返った。


「どうだ」


「弱くなっています」


 短い返答だった。


 だが、その一言だけで十分だった。


 空気が変わる。


「意識レベルは不明です。ただ……長くは保たない可能性があります」


 誰も言葉を返さなかった。


 返せなかった。


 分かってしまったからだ。


 時間がない。


 誰もがそれを理解した。


「迂回ルートの確保を急げ」


 ギルフォードが指示を飛ばす。


「救助開始はその後だ」


 冷静な声だった。


 焦りはない。


 だが迷いもない。


 隊長として正しい判断。


 誰も異論を挟まない。


 この斜面に無理に近付けば二次崩落が起きる。


 そうなれば助ける側まで巻き込まれる。


 被害が広がるだけだ。


 だから待たなければならない。


 それが最善だった。



 胸の奥がざわつく。


 視線の先には崩落地点。


 土砂と岩の向こう側。


 そこに誰かがいる。


 姿は見えない。


 年齢も性別も分からない。


 怪我の程度も分からない。


 それでも、その人が必死に生きようとしていることだけは伝わってきた。


 二時間。


 頭の中でその数字が何度も繰り返される。


 迂回ルートの確保に必要な時間。


 安全を確保するための時間。


 必要な時間。


 正しい時間。


 それなのに、今は途方もなく長く感じられた。


 その時ーー。


 あの距離なら届くかもしれない。

 

 自分の炎なら、瓦礫を焼き払い、道を切り開けるかもしれない。

 

 そんな考えが、不意に胸をよぎった。


 そして同時に、ある光景が脳裏をよぎった。



 アルビオン入隊試験。


 空を埋め尽くす矢。


 悲鳴。


 混乱。


 立ち止まる受験生達。


 誰もが足を止めていた。


 危険だったからだ。


 正しい判断だったと思う。


 無理に進めば怪我をする。


 下手をすれば脱落する。


 だから立ち止まる。


 それが普通だった。


 だが、自分は違った。


 杖を握った。


 炎を放った。


 矢の雨を押し返した。


 進むための道を切り開いた。


 誰も動けなかった場所で。


 誰も踏み出せなかった状況で。


 自分は前へ進んだ。



 あの時だって危険だった。


 無謀だったかもしれない。


 それでも結果として道は開けた。


 前へ進めた。


 あの時も、危険だからと立ち止まれば何も変わらなかった。


 ならば今回も――


 そこまで考えた瞬間、リゼアは小さく首を振った。


 違う。


 試験と災害現場は違う。


 そんなことは分かっている。


 矢と土砂は違う。


 試験と救助は違う。


 分かっている。


 分かっているはずなのに。


「た…すけて……」


 また声が聞こえた。


 今度はさらに弱かった。


 まるで風へ溶けてしまいそうなほどに。


 その声を聞いた瞬間、胸の奥が締め付けられる。


 本当に待っていて大丈夫なのだろうか。


 もし二時間も保たなかったら。


 もし助けが間に合わなかったら。


 その時、自分は後悔しないと言い切れるだろうか。



 気付けば足が動いていた。


 ギルフォードの元へ向かう。


 周囲の隊員達が視線を向ける。


 だが気にならなかった。


 今はそれどころではない。


「隊長」


 ギルフォードが顔を上げる。


「なんだ」


「このままでは間に合わない可能性があります」


 自分でも驚くほど声は冷静だった。


「私が先行します」


 周囲の空気が変わる。


 隊員達が顔を見合わせる。


「炎で障害物を除去します」


「ルート確保を早められます」


「救助開始までの時間を短縮できます」


 感情論ではない。


 少なくともリゼアはそう思っていた。


 助けるための提案。


 そのつもりだった。


 だが。


 「却下だ」


 即答だった。


 迷う素振りさえない。

 

 その一言に、この場の責任を背負う者の覚悟が滲んでいた。


 リゼアは言葉を失う。


 それでも食い下がる。


「ですが――」


「却下だ」


 再び同じ言葉。


 迷いはない。


 揺らぎもない。


「生存反応が弱くなっています」


「分かっている」


 ギルフォードは即答した。


「なら――」


「リゼア」


 低い声だった。


 怒鳴るでもなく、威圧するでもなく。


 ただ事実を告げる声。


「お前の炎は強い」


 その言葉にリゼアは黙る。


「だからこそ駄目だ」


 ギルフォードは崩落地点へ目を向ける。


「この斜面は不安定だ」


「お前の炎なら崩れる可能性がある」


「今は待て」


 短い言葉だった。


 だが反論できなかった。


 隊長は正しい。


 理屈も理解できる。


 自分の炎がどれだけの威力を持つか、自分自身がよく知っている。


 だから本来なら納得しなければならない。


 それでもーー。


 リゼアは静かに頭を下げた。


「……了解しました」


 口ではそう答える。


 だが胸の奥の焦燥だけは消えなかった。



 持ち場へ戻る。


 レオンが指示を飛ばしている。


 救助隊がロープを運んでいる。


 隊員達が土砂を撤去している。


 全員が助けるために動いている。


 誰も怠けていない。


 誰も諦めていない。


 それなのに。


 どうしても足りない気がした。



 空はいつの間にかさらに暗くなっていた。


 厚い雲が山々を覆い、遠くで鈍い雷鳴が響く。


 冷たい風が吹き抜ける。


 時間だけが過ぎていく。


 リゼアは崩落地点を見つめた。


 助けを待つ誰か。


 届かない距離。


 そして、自分なら届くかもしれないという思い。


『今は待て』


 隊長の言葉が頭をよぎる。


 正しい。


 分かっている。


 理解している。


 それでも。


 リゼアはゆっくりと拳を握った。


 助けを求める声だけが、いつまでも耳から離れなかった。


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