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第58話 魔眼が視たもの

 第三崩落地点は異様な空気に包まれていた。


 あまりにも静まり返っていて、その沈黙がかえって不気味だった。


 同じ災害現場とは思えないほどに。


 少し離れた救護所では負傷者の声が絶えず、搬送班が走り回り、治療を行う治癒師達の指示が飛び交っている。


 だが、この場所だけは違った。


 誰も大声を出さない。


 足音さえ慎重になる。


 まるで山そのものが息を潜めているようだった。


 風が吹く。


 斜面の上から砂がさらさらと流れ落ちる。


 乾いた音。


 小石が転がる音。


 その一つ一つが妙に耳へ残る。


 カナトは斜面を見上げた。


 崩れた山肌が剥き出しになっている。


 木々は根元から引き抜かれ、巨大な岩が途中で引っ掛かるように止まっていた。


 本来そこにあるはずの均衡が壊れている。


 そんな印象だった。



 生存者が発見されたのは、崩落地点のさらに奥だった。


 土砂と岩に囲まれた場所。


 運良く空間が残ったのだろう。


 声は確認できている。


 生きている。


 だが辿り着けない。


 それが問題だった。


 ギルフォードが地図を広げる。


 周囲には各班の隊員達が集まっていた。


 誰もが真剣な表情で斜面を見つめている。


「迂回ルートを確保する」


 低い声が響く。


「現在位置からの進入は危険だ」


 誰も反論しない。


 現場を見れば分かる。


 無理に進めば二次崩落を招く。


 それは救助ではなく自殺だ。


 ましてここにはアルビオンだけではない。


 地元救助隊。


 住民。


 搬送班。


 多くの人間がいる。


 一つの判断ミスが全体を巻き込む。


 だからこそ慎重にならなければならない。



「最短で二時間掛かります」


 報告が上がる。


 空気が少し重くなった。


 二時間。


 短くはない。


 まして負傷者ならなおさらだ。


 風が吹く。


 山の上空には灰色の雲が広がり始めていた。


 天候も良くない。


 時間が経てば条件はさらに悪くなる。


 誰も口にはしない。


 だが全員が同じことを考えていた。


 間に合うだろうか。



 その時だった。


「た……すけて……」


 微かな声。


 風に乗って届く。


 誰もが顔を上げた。


 聞き間違いではない。


 生存者の声だった。


 弱々しい。


 今にも消えてしまいそうな声。


 それでも確かに生きている。


 助けを待っている。


 その事実だけが現場の空気をさらに重くした。


 住民の一人が拳を握る。


 救助隊員が唇を噛む。


 誰もが助けたいと思っている。


 だからこそ焦りが生まれる。



 カナトは無意識に右眼へ触れた。


 そして魔眼を開く。


 世界が変わる。


 輪郭が浮かび上がる。


 視界の奥に隠れていた構造が見えてくる。


 斜面。


 岩盤。


 木の根。


 積み重なった土砂。


 その全てが薄く透けて見えた。


「……っ」


 思わず息を呑む。


 想像以上だった。


 斜面の内部は無数の亀裂で埋め尽くされていた。


 蜘蛛の巣のように広がる亀裂。


 辛うじて支え合っている岩盤。


 崩れた地層。


 一見安定して見える場所ですら危うい。


 まるで積み木だった。

 

 どこか一つを引き抜けば、均衡はあっさり崩れる。


 目の前の斜面は、まさにそんな危うさの上に成り立っていた。


 カナトの背筋に冷たいものが走る。


 ギルフォードの判断は正しい。


 ここへ無理に踏み込むのは危険だ。


 魔眼がそう告げていた。



 視界を戻す。


 胸の鼓動が少し速い。


 その時だった。


 少し離れた場所に立つリゼアの姿が目に入る。


 彼女もまた崩落地点を見つめていた。


 生存者がいる方向を。


 じっと。


 何かを考え込むように。


 カナトは再び魔眼を開いた。


 今度はリゼアへ向けて。



 言葉を失う。


 見慣れた魔力ではなかった。


 以前のリゼアの魔力は美しかった。


 力強く。


 真っ直ぐで。


 無駄がない。


 鍛え上げられた剣のような魔力。


 それが彼女だった。


 だが今は違う。


 荒れている。


 以前の澄んだ流れは消え失せ、濁流のような魔力が体内を暴れ回っていた。


 魔力が脈打ち、膨れ上がる。


 規則性がない。


 まるで何かと戦っているようだった。


 そして、その荒れ狂う魔力の奥底で――。


 ほんの刹那、蒼い光が揺らめいた。


 見間違えるはずがない。


 カナトはその光を知っていた。


 以前、二人で訓練した時に見た炎。


 それに似ていた。


 だが次の瞬間には消える。


 赤い魔力へ飲み込まれるように。


 何事もなかったかのように。



 (あれは、一体……)


 何故あそこまで魔力の流れが変わっているのか。


 分からない。


 だが正常ではないのは分かる。


 魔力そのものが悲鳴を上げているように見えた。



「リゼア」


 気付けば声を掛けていた。


 反応が少し遅れる。


 ほんの僅か。


 だが以前の彼女ならあり得ない遅さだった。


 リゼアが振り返る。


「あら、どうしたの?」


 笑顔だった。


 普段通りの。


 少なくとも外から見れば。


 だがカナトには違って見える。


 魔眼が見せた光景が頭から離れない。


「いや……」


 言葉が続かない。


 危険だ。


 休んでほしい。


 そう言いたいのに、確かな根拠を示せない。


 魔眼で見えたものを、そのまま口にして信じてもらえるとも思えなかった。


 結局。


「気を付けて」


 そんな言葉しか出なかった。


 リゼアは少しだけ目を丸くする。


 そして小さく笑った。


「ええ」


 それだけだった。



 風が吹く。


 斜面の上から小石が転がり落ちる。


 さらり、と乾いた音。


 誰も気付かないほど小さな音だった。


 だがカナトには妙に大きく聞こえた。


 リゼアの視線が生存者の方へ向く。


 拳が僅かに握られる。


 その横顔には焦りがあった。


 助けたいという思い。


 間に合わせたいという願い。


 それ自体は間違っていない。


 この場にいる誰もが同じ気持ちだった。


 だからこそ、カナトは余計に不安になる。


 魔眼は危険を告げていた。


 斜面も。


 リゼアも。


 どちらも今まで見たことがない状態だった。


 だが、それをどう伝えればいいのか分からない。


 灰色の雲が空を覆う。


 山を吹き抜ける風が少しずつ強くなる。


 嵐の前の空気に似ていた。


 重く。


 息苦しく。


 何かが起ころうとしている。


 その予感だけが、山を吹き抜ける風よりも冷たく、カナトの胸に居座り続けていた。


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