第57話 災害現場
山道を進む輸送車両は大きく揺れていた。
窓の外には険しい山々が広がっている。
春とはいえ山の空気は冷たい。
谷間には薄い霧が残り、遠くの尾根は灰色の雲に覆われ始めていた。
車内は静かだった。
誰も騒がない。
誰も眠らない。
資料へ目を通す者。
装備を確認する者。
黙って窓の外を眺める者。
それぞれが来るべき任務へ備えていた。
カナトも膝の上へ資料を広げている。
崩落箇所三か所。
孤立集落一か所。
負傷者多数。
行方不明者十数名。
読み進めるほど状況の深刻さが伝わってくる。
橋の任務とは違う。
今回は救助活動そのものだった。
◇
現場へ到着したのは昼過ぎだった。
車両を降りた瞬間、土と泥の匂いが鼻を突く。
カナトは思わず足を止めた。
目の前に広がる光景へ言葉を失う。
山肌が崩れていた。
本来そこにあったはずの木々は根こそぎ倒されている。
巨大な岩が転がり、街道を完全に塞いでいた。
折れた荷車。
潰れた柵。
土砂に半分埋まった建物。
まるで巨大な怪物が通り過ぎた後のようだった。
遠くでは住民達が集まっている。
泣いている子供。
不安そうに山を見上げる老人。
泥だらけのまま家族を探している男性。
その姿が現実の重みを突き付けてくる。
訓練ではない。
本物の災害だった。
◇
「各班配置につけ」
ギルフォードの声が飛ぶ。
空気が引き締まる。
「第七班は北側斜面の捜索」
「第九班は救護所設営後、負傷者対応」
隊員達が一斉に動き出した。
ガルド達もすぐに斜面へ向かう。
迷いはない。
何度も任務を経験してきた隊員達の動きだった。
カナト達も救護所設営へ向かう。
◇
救護用テントが立ち上がる。
簡易ベッドを並べる。
薬剤を確認する。
治療器具を配置する。
橋の任務以降、何度も訓練してきた内容だった。
身体が自然に動く。
「受け入れ準備完了!」
声が飛ぶ。
その直後だった。
「負傷者搬送!」
担架が運び込まれる。
中年男性だった。
額から血を流している。
右腕は不自然な方向へ曲がっていた。
カナトは駆け寄る。
意識確認。
呼吸確認。
出血確認。
頭の中で優先順位を組み立てる。
「命に別状はありません」
「腕を固定します」
治癒魔法を流し込む。
骨の状態を確認する。
周囲の看護師役隊員へ指示を出す。
次の患者が運び込まれる。
また次。
さらに次。
休む暇はなかった。
◇
気付けば数時間が過ぎていた。
救護所には負傷者が並んでいる。
擦り傷程度の者もいれば、骨折している者もいる。
恐怖で震えている子供もいた。
「大丈夫だよ」
カナトはしゃがみ込む。
泥だらけになった少女へ微笑み掛ける。
治癒魔法の淡い光が傷口を包む。
少女は恐る恐る傷を見た。
痛みが消えている。
「……ありがとう」
小さな声だった。
それだけで少しだけ救われた気がした。
◇
だが現場は甘くない。
次々と運び込まれる負傷者。
足りない人手。
終わりの見えない作業。
空も徐々に曇り始めていた。
山風が強くなる。
冷たい風が救護所の幕を揺らした。
カナトは空を見上げる。
灰色の雲が山の向こうから流れ込んでくる。
嫌な天気だった。
◇
その時だった。
遠くで炎が上がる。
リゼアだった。
崩落した木々を焼き切り、救助ルートを確保している。
赤い炎が土砂を照らす。
住民達から歓声が上がった。
瓦礫の向こうから閉じ込められていた人が見つかったらしい。
リゼアは次の場所へ向かう。
迷いなく。
誰よりも早く。
その姿は頼もしかった。
だが。
どこか危うくも見えた。
理由は分からない。
それでも胸の奥がざわつく。
訓練場で見たあの表情が離れなかった。
◇
「カナト!」
呼ばれる。
搬送班だった。
「こっち頼む!」
「今行きます!」
考えている余裕はない。
カナトは再び走り出した。
負傷者の元へ向かう。
今助けられる命が目の前にある。
ならば迷う理由はなかった。
◇
夕方。
山間部は既に薄暗くなり始めていた。
曇天のせいもあるだろう。
救助活動は続いている。
誰も諦めていない。
その時だった。
「生存者発見!」
遠くで声が上がる。
現場の空気が変わった。
隊員達が一斉に顔を上げる。
希望だった。
まだ助けられる命がある。
誰もがそう思った。
だが次の報告で空気が変わる。
「場所は第三崩落地点!」
「斜面奥です!」
ざわめきが広がる。
カナトも地図へ目を向ける。
第三崩落地点。
最も危険とされている区域だった。
土砂が不安定。
二次崩落の危険あり。
救助隊も慎重に近付いていた場所。
◇
ギルフォードが現場へ現れる。
周囲には各班の隊員達。
風が吹く。
斜面の土砂が小さく崩れ落ちる。
誰もがそれを見た。
危険だ。
分かっている。
だが。
助けを待っている人がいる。
その事実も変わらない。
重たい沈黙が落ちる。
カナトは無意識に周囲を見回した。
少し離れた場所。
リゼアが崩落地点を見つめている。
その視線は真っ直ぐだった。
だが。
その瞳の奥には焦りにも似た光が宿っているように見えた。
山を吹き抜ける風が強くなる。
灰色の雲が空を覆う。
嵐の前の静けさのように、現場は不気味なほど静まり返っていた。




