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第56話 出動命令

 春の陽射しが訓練場へ降り注いでいた。


 空は高く、雲も少ない。


 風も穏やかだった。


 そんな天候とは裏腹に、アリーナの中では複数の班による合同訓練が行われている。


 剣戟の音。


 魔法の炸裂音。


 負傷者役の隊員を搬送する声。


 飛び交う指示。


 訓練場全体が慌ただしく動いていた。


 カナトも救護班として処置を行いながら周囲へ視線を巡らせる。


 第七班のガルドが前線を押し上げる。


 アイリスが後方から正確に援護を行う。


 それぞれが自分の役割を果たしていた。


 そして少し離れた場所では、リゼアが杖を構えている。


 いつも通り。


 そう見えた。


「右側接近!」


 指示が飛ぶ。


 リゼアが魔法陣を展開する。


 赤い光が広がった。


 炎が生まれる。


 そして放たれる。


 その瞬間だった。


 カナトの視線が止まる。


 炎が僅かに逸れた。


 本来の着弾地点ではない。


 赤い炎は標的の手前へ着弾し、轟音と共に地面を抉った。


 爆風が砂煙を巻き上げる。


 一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ。


 訓練場の空気が止まった。



「怪我人なし!」


 教官役の隊員が即座に声を張り上げる。


「訓練続行!」


 周囲はすぐに動き始めた。


 訓練だからだ。


 大きな問題にはならない。


 だが。


 カナトは見ていた。


 リゼア本人が固まっていたことを。


 信じられない。


 そんな表情だった。


 無理もない。


 リゼアは正確だ。


 誰よりも。


 少なくとも、あの程度の狙撃を外す人間ではない。



 訓練終了後。


 隊員達が片付けを始める。


 春風が汗を冷ましていく。


「今の見たか?」


 ガルドだった。


 木剣を肩へ担ぎながら近付いてくる。


 隣にはアイリスもいた。


「うん」


 カナトは短く答える。


「珍しいよな」


 ガルドの表情も真面目だった。


 アイリスが小さく頷く。


「あまりリゼアさんらしくありません」


 カナトは返事をしなかった。


 自分も同じことを考えていたからだ。


 少し離れた場所では、当の本人が片付けをしている。


 普段と変わらないように見える。


 だが本当にそうだろうか。


 そんな疑問が胸に残った。



 その時だった。


 鐘が鳴る。


 低く重い音が訓練場へ響き渡った。


 一度。


 二度。


 三度。


 繰り返される。


 周囲の隊員達が顔を上げた。


「緊急招集か?」


「何かあったな」


 ざわめきが広がる。


 教官役の隊員も表情を引き締めていた。


「全班、ブリーフィングルームへ移動!」



 会議室には各班の隊員達が集められていた。


 壁面には大きな地図が映し出されている。


 北部山岳地帯。


 複数の赤い印。


 普段とは違う空気が漂っていた。


 私語は少ない。


 誰もが事態の深刻さを察している。


 やがて前方へ一人の男が現れる。


 ギルフォードだった。


 室内が静まる。


 彼は地図へ視線を向けたまま口を開く。


「北部山岳地帯で大規模崩落事故が発生した」


 低い声が響く。


「現在も捜索活動継続中」


「負傷者多数」


「二次崩落の危険あり」


 誰も言葉を発しない。


 資料へ目を落とす。


 閉じ込められた住民。


 崩落した街道。


 孤立した集落。


 橋の任務とは比較にならない規模だった。



 「第一班から第五班は予定通り巡回」


 「第六班から第九班、その他支援部隊を編成して現場へ向かう」


 ギルフォードの声が続く。


 カナトは無意識に背筋を伸ばしていた。


 実任務。


 しかも災害派遣。


 治癒師として求められる責任も大きい。


「出発は一時間後」


 短い沈黙。


「各自準備に入れ」



 アルビオン本部が慌ただしく動き始めた。


 医療倉庫では薬剤や包帯が運び出される。


 補給担当が物資を確認している。


 搬送器具の点検。


 携帯食の配布。


 廊下を行き交う足音。


 飛び交う指示。


 普段の落ち着いた本部とは別世界だった。


 カナトも医療資材を受け取る。


 肩掛け鞄へ順番に収納していく。


 その途中だった。


 少し離れた場所にリゼアの姿が見える。


 物資の確認をしている。


 動き自体に問題はない。


 だがどこか集中し切れていないように見えた。


 今日の訓練で見た表情が脳裏をよぎる。


 声を掛けようか迷う。


 だが結局できなかった。


 今は任務前だ。


 余計なことを言うべきではない。


 そう自分へ言い聞かせる。



 真上に昇った太陽が本部前の広場を照らしていた。


 出動部隊が整列する。


 輸送車両。


 補給物資。


 慌ただしい準備もようやく終わったらしい。


 広場を風が吹き抜ける。


 カナトは隣を見る。


 リゼアがいた。


 表情はいつも通りだ。


 少なくとも、周囲にはそう見えるだろう。


 けれどカナトの脳裏には、訓練中に狙いを逸らしたあの一瞬の表情が焼き付いて離れなかった。


「出発する」


 ギルフォードの声が響く。


 隊員達が動き出す。


 北部山岳地帯へ向けて。


 春空の下、長い隊列がゆっくりと本部を後にした。


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