第50話 いつもの朝
アルビオンの朝は慌ただしい。
夜明けと共に施設は動き始め、廊下には講義や任務へ向かう隊員達や書類を抱えた職員達が行き交っていた。
医療部門では薬品の補充や器具の点検が進み、訓練場からは既に木剣の打ち合う音が聞こえてくる。
初任務を終えてしばらく。
そんな光景も、カナトにとって少しずつ当たり前になり始めていた。
◇
午前中は講義を受け、その合間には医療部門の補助へ入る。
診療記録を整理し、備品を運び、時には治療室の手伝いをすることもある。
任務に出る時だけが治癒師の仕事ではない。
地道な積み重ねが、現場を支えていた。
「カナト」
「はい」
資料棚の前で振り返ると、レオンが軽く手を挙げた。
「その記録、確認が終わったらこっちへ回してもらえる?」
「あ、分かりました」
書類を手渡すと、レオンは「ありがとう」と笑う。
その何気ないやり取りにも、以前ほど緊張しなくなっている自分に気付いた。
◇
午後。
訓練場にはいつもの活気が戻っていた。
模擬戦を行う者。
体力づくりに励む者。
魔法の制御を繰り返す者。
それぞれが自分の課題へ向き合っている。
カナトも基礎訓練を終え、水筒を片手に一息ついた。
その時だった。
遠くのアリーナで赤い炎が弾ける。
リゼアだった。
杖を振るう。
炎が走る。
間を置かず、また次の魔法が放たれる。
その姿は以前から変わらない。
いや、以前にも増して訓練へ打ち込んでいるようにも見えた。
「今日も熱心だね」
隣へ来たレオンが呟く。
「最近ずっとあんな感じですよね」
「そうだね」
レオンは静かに頷くだけだった。
◇
夕方になっても、リゼアはまだアリーナに残っていた。
周囲の訓練生が引き上げていく中、一人だけ杖を握り続けている。
カナトは迷った末、声を掛けた。
「リゼア」
炎が消える。
リゼアが振り返った。
「何?」
「今日はもう終わり?」
「いいえ、まだよ」
即答だった。
「そっか、無理はしないでね」
「してないわ」
短く答えると、彼女は再び前を向く。
それ以上、話しかける空気ではなかった。
◇
夜。
寮へ戻る途中、カナトはもう一度アリーナの方を見た。
灯りは消え、辺りは静まり返っている。
残されていたのは、地面に刻まれた無数の焼け跡だけだった。
どれほど杖を振るったのか。
どれほど魔法を放ち続けたのか。
その痕跡だけが、静かな夜の中に残されている。
カナトは少しだけ足を止めた。
胸の奥に、小さな引っ掛かりが残る。
けれど、その正体はまだ分からない。
夜風が吹き抜ける中、カナトは静かに寮への道を歩き出した。




