第49話 報告書
アルビオンへ戻ったのは日が暮れた頃だった。
夕陽は既に沈み、施設の窓から漏れる灯りが夜の街を照らしている。
正門をくぐった瞬間、カナトは小さく息を吐いた。
ようやく帰ってきた。
そんな実感が湧く。
「お疲れ様」
レオンが振り返る。
「初任務どうだった?」
また同じ質問だった。
だが今度は少しだけ答えが違う。
「疲れました」
レオンが吹き出した。
「あはは」
「それが一番正直かもね」
隊員達が笑う。
張り詰めていた空気が少し和らいだ。
◇
第九班はそのまま報告室へ向かった。
任務が終われば終わりではない。
報告書作成も仕事の一つだった。
大きな机を囲む。
レオンは慣れた様子で書類を広げた。
「まず負傷者」
「軽傷五名です」
カナトが答える。
「全員処置済み。後遺症の可能性もありません」
「了解」
レオンはさらさらと記録していく。
その様子を見ながら、カナトは少し驚いていた。
戦場ではあれだけ周囲を見ていたのに。
事務作業まで早い。
隙がない。
「カナト」
「はい」
「橋の補修状況まとめてもらっていい?」
「分かりました」
自然な流れだった。
新人だから雑用を押し付ける。
そんな雰囲気ではない。
役割分担。
ただそれだけ。
だから不思議と嫌な気持ちはしなかった。
◇
部屋の反対側ではリゼアも報告書を書いていた。
いつも通り。
そう見える。
だがペンが止まる回数が多い。
何度も書いては消し、また書き直している。
珍しかった。
リゼアはどちらかというと迷わない人間だ。
少なくともカナトにはそう見えていた。
「リゼア」
レオンが声を掛ける。
「大丈夫?」
「問題ありません」
即答だった。
だがレオンはそれ以上聞かなかった。
「なら良かった」
そう言って書類へ視線を戻す。
気付いていないわけではない。
気付いていて触れない。
そんな風に見えた。
◇
ギルフォードの隊長室へ向かい、報告が終わった頃には、すっかり夜になっていた。
窓の外には街の灯りが見える。
部屋を出ようとした時だった。
「ご苦労だった」
低い声が響く。
振り返る。
ギルフォードだった。
「橋は予定通り復旧した」
「負傷者も最小限」
短い言葉。
それでも十分だった。
褒めている。
それが分かる。
視線がカナトへ向いた。
「治療は早かったな」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「え?」
「助かった隊員も多い」
それだけ言う。
「もう下がっていい」
「…はい、失礼いたします」
カナトはそう答え、三人は一礼して静かに隊長室を後にした。
隊長室を出てしばらく歩いた頃。
レオンが笑った。
「いやあ」
「珍しい」
「今の、かなり褒めてるよ」
「そうなんですか?」
「うん」
レオンは頷く。
「僕、初任務の時そんなこと言われなかったし」
カナトは思わず苦笑した。
少しだけ。
嬉しかった。
◇
寮へ戻る道を、第九班の三人は並んで歩いていた。
夜風が心地良い。
戦闘の疲労は残っている。
それでも任務を終えた解放感があった。
レオンは前を歩きながら、橋の作業員から貰った差し入れの話をしている。
その話にカナトは時々相槌を打った。
だが。
リゼアは少し静かだった。
返事はしている。
話も聞いている。
けれど、どこか上の空だった。
やがて寮の分岐が近付き、レオンが別棟へ向かう。
「じゃあまた明日」
「お疲れ様」
軽く手を振りながら去っていく。
残されたのはカナトとリゼアの二人だった。
少しだけ静かな時間が流れる。
「リゼア」
「何?」
返事はすぐ返ってきた。
だが視線は前を向いたまま。
「大丈夫?」
数歩分の沈黙。
夜風が赤い髪を揺らした。
「何が?」
「いや、なんか元気ないから」
リゼアは少しだけ目を細める。
そして小さく笑った。
「気のせいよ」
いつも通りの口調だった。
「そうか」
「そうよ」
会話はそこで終わった。
カナトはそれ以上聞かなかった。
聞いてはいけない気がしたからだ。
けれど。
胸の奥に、少しだけ引っ掛かるものが残った。
もし自分が悩んでいたら、リゼアは話を聞いてくれるだろう。
だからこそ、今の沈黙が妙に気になった。
隣を歩いているのに。
どこか遠くにいるようだった。
夜空を見上げる。
星が瞬いている。
初任務は終わった。
だが。
カナトはまだ知らない。
この小さな違和感が、やがて第九班を大きく揺らすことになることを。




