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第47話 遠すぎる背中

 上位個体が立ち上がる。


 黒い毛並みは土に汚れ、口元からは血が滴っていた。


 それでも倒れない。


 赤い瞳だけは獰猛な光を失っていなかった。


 橋の上に緊張が戻る。


 作業員達も固唾を呑んで見守っていた。


 ギルフォードは動かない。


 ただ上位個体を見ている。


 焦りも警戒も感じられなかった。


 まるで結果が決まっている戦いを見るように。


 その態度が、逆に恐ろしい。


 上位個体が咆哮する。


 耳をつんざくような轟音。


 森の木々が揺れた。


 次の瞬間。


 巨体が地面を蹴る。


 一直線。


 今度は迷いがなかった。


 全ての力を込めた突撃だった。


 カナトは魔眼へ意識を集中する。


 見ろ。


 今度こそ。


 見逃すな。


 視界が研ぎ澄まされる。


 筋肉の収縮。


 重心移動。


 地面を蹴る角度。


 上位個体の動きは見えた。


 だが。


 ギルフォードが見えない。


 視界の中にいる。


 確かにいる。


 それなのに動きを捉えられない。


 次の瞬間。


 轟音が響いた。


 上位個体の身体が大きく折れ曲がる。


 空中へ浮く。


 そして。


 地面へ叩き付けられた。


 橋が揺れる。


 土煙が舞う。


 そこに立っていたのは背中から大剣を引き抜いたギルフォードだった。


 何が起きたのか分からない。


 理解できたのは結果だけだった。



 上位個体は立ち上がらなかった。


 巨体が痙攣する。


 前脚が地面を掻く。


 それでも起き上がれない。


 勝負は決していた。


 ギルフォードは静かに近付く。


 抵抗する力も残っていない。


 赤い瞳がギルフォードを睨む。


 最後の敵意。


 最後の闘志。


 だが。


 ギルフォードは何も言わなかった。


 ただ剣を振るう。


 鈍い衝撃音。


 上位個体の身体が沈む。


 それで終わりだった。


 森が静かになる。


 群れも動きを止めていた。


 まるで何かが途切れたように。



「魔物が逃げるぞ!」


 誰かが叫ぶ。


 その声をきっかけにブラックファング達が森へ散り始めた。


 戦意を失ったのだろう。


 アルビオンの隊員達も追撃はしない。


 橋を守ることが任務だ。


 森へ入る必要はない。


「負傷者確認!」


 レオンの声が響く。


 戦闘が終わった直後だというのに、既に次へ移っている。


 隊員達が動き出した。


 橋脚の確認。


 作業員の安否確認。


 周辺警戒。


 戦いは終わった。


 だが任務はまだ終わっていない。


 カナトも負傷者の元へ向かう。


 軽傷者が数名。


 幸い重傷者はいない。


 橋の補修も継続可能。


 最悪の事態は避けられた。



 処置を終えたカナトは、ふと前方を見る。


 ギルフォードが戻ってくるところだった。


 服に大きな汚れはない。


 息も乱れていない。


 まるで軽い訓練でも終えた後のようだった。


 信じられない。


 あれほどの相手だったのに。


 視線を横へ向ける。


 リゼアも同じようにギルフォードを見ていた。


 杖を握ったまま。


 無言で。


 何を考えているのかは分からない。


 だが表情は硬かった。


 そして少し離れた場所では、レオンが作業員達と話している。


 何人かは笑っていた。


 先程まで命の危険があったとは思えない。


 レオンは自然に場の空気を戻している。


 戦場を整えるのも仕事なら。


 終わった後に人を安心させるのも仕事なのだろう。


「どうだった?」


 いつの間にか隣へ来ていたレオンが笑う。


 カナトは少し考えた。


 だが答えは一つしかなかった。


「全然分かりませんでした」


 レオンが吹き出す。


「あはは」


「そうだろうね」


 否定しない。


 慰めもしない。


 それが逆に不思議だった。


「でも」


 レオンはギルフォードの背中を見る。


「最初はみんなそんなものだよ」


 穏やかな声だった。


 カナトもその背中を見る。


 アルビオン最強。


 まだ遠い。


 何をしているのかも分からない。


 だが。


 いつか追いつきたいと思った。


 その背中は、あまりにも遠かった。


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