第46話 アルビオン最強
ギルフォードが前へ出る。
それだけで、上位個体の意識が完全にそちらへ向いた。
赤い瞳が細められる。
橋の上にいた誰もが息を潜めた。
作業員達も。
隊員達も。
ブラックファングの群れでさえ、どこか落ち着きを失ったように唸っている。
風が吹いた。
川面が揺れる。
補修途中の橋脚から、軋むような音が微かに聞こえた。
上位個体が低く身を沈める。
筋肉が膨らむ。
次の瞬間だった。
地面が爆ぜる。
黒い巨体が一直線に駆けた。
速い。
巨体とは思えない速度だった。
カナトは反射的に魔眼へ意識を集中させる。
捉えろ。
見逃すな。
そう思った。
だが。
次の瞬間には上位個体が吹き飛んでいた。
轟音と共に地面を転がる。
土煙が舞い上がる。
橋の上にどよめきが広がった。
「……えっ?」
思わず声が漏れる。
見えなかった。
何が起きたのか分からない。
ギルフォードは数歩前へ出ている。
ただそれだけだった。
右眼が熱を帯びる。
魔眼が必死に情報を拾おうとする。
踏み込み。
重心移動。
衝突。
断片だけは見える。
だが繋がらない。
理解できない。
(今のは……何だ?)
リゼアの炎は見える。
レオンの支援も理解できる。
だがギルフォードだけは違った。
何をしたのか分からない。
それなのに結果だけが目の前にある。
◇
上位個体が起き上がる。
黒い毛並みの隙間から血が滴る。
それでも、その瞳から闘志は消えていない。
咆哮が響く。
その声に呼応するように群れが再び動き出した。
「橋脚側!」
レオンの声が飛ぶ。
隊員達が動く。
槍兵が前へ出る。
後方では弓兵達が矢を放つ。
群れは数が多い。
上位個体だけを見ていれば橋は守れない。
戦場はまだ終わっていなかった。
カナトも走る。
避難場所の確認。
負傷者の確認。
やるべきことは山ほどあった。
橋脚の近くでは槍兵達が群れを押し返している。
資材置き場へ回り込もうとしたブラックファングを、別班の隊員達が迎撃していた。
矢が飛ぶ。
怒号が響く。
爪が盾を掠める音が耳に届いた。
戦場は混乱している。
それでも崩れてはいない。
◇
戦場の右側で爆発音が響く。
熱風が橋の上を吹き抜けた。
「リゼア!」
レオンの声が飛ぶ。
リゼアは即座に杖を振るった。
赤い炎が矢のように戦場を駆ける。
ブラックファングの群れへ突き刺さり、轟音と共に爆ぜた。
吹き飛ばされた魔物達が地面を転がる。
だが、その後ろからまた別の個体が現れる。
終わらない。
それでも戦線は崩れなかった。
レオンは戦場全体を見渡している。
前線へ出て魔物を斬るわけではない。
派手な魔法を放つわけでもない。
それでも不思議だった。
レオンが声を掛けるたびに、人が動く。
空いた場所が埋まる。
危険な箇所へ支援が届く。
戦場そのものを動かしているようだった。
◇
「負傷者です!」
声が上がる。
カナトは振り返った。
槍兵の一人が地面へ膝をついている。
腕を押さえていた。
駆け寄る。
魔眼が傷を捉える。
骨折はない。
筋肉の損傷も軽度。
この程度なら問題ない。
カナトは手を添えた。
淡い光が傷を包む。
隊員の表情から苦痛が少しずつ消えていく。
「動けますか?」
「はい!」
隊員は立ち上がった。
そのまま再び前線へ戻っていく。
カナトは小さく息を吐いた。
救えた。
それだけで十分だった。
◇
咆哮。
再び上位個体が動く。
今度は見逃さない。
カナトは魔眼へ集中した。
牙が迫る。
前脚が振り下ろされる。
だが当たらない。
紙一枚。
本当にそれだけの差だった。
避けているようには見えない。
そこにいるはずなのに攻撃だけが外れていく。
そして。
ギルフォードが一歩踏み込む。
今度こそ。
そう思った。
右眼が熱を帯びる。
視界が研ぎ澄まされる。
だが。
やはり見えなかった。
何かが動いた。
そう認識した時には終わっている。
上位個体の巨体が宙へ浮いた。
次の瞬間には吹き飛んでいる。
地面を削りながら何度も転がり、橋から離れた場所でようやく止まった。
橋の上が静まり返る。
隊員達ですら目を見開いていた。
カナトも言葉を失う。
理解できない。
魔眼ですら追えない。
今まで凄いと思っていたものがある。
リゼアの炎。
レオンの支援。
どちらも本物だ。
だが。
今この瞬間だけは霞んで見えた。
ギルフォードだけが別の領域に立っている。
そんな錯覚を覚える。
土煙の向こうで上位個体が立ち上がる。
それを見たギルフォードが小さく息を吐いた。
「頑丈だな」
心底面倒そうな声だった。
その一言に、近くの隊員達が思わず笑う。
緊張が少しだけ和らぐ。
目の前にいるのは、群れを率いる上位個体だ。
本来なら恐怖していてもおかしくない。
それなのに。
誰も絶望していなかった。
ギルフォードがいる。
ただそれだけで十分だった。
カナトは改めてその背中を見つめる。
アルビオンの盾。
圧倒的な生還率を誇り、最強の一角とまで謳われる男。
その意味を理解した気にはなれない。
ただ一つだけ分かる。
今、自分はとんでもないものを見ているのだと。




