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第45話 上位個体

 森の奥から響いた咆哮に、橋の上にいた全員が顔を上げた。


 空気が震える。


 補修途中の橋脚が微かに軋み、川面に広がった波紋がゆっくりと岸へ広がっていく。


 作業員達の間から不安げな声が漏れた。


 先程まで橋へ押し寄せていたブラックファング達ですら動きを止めている。


 唸り声を漏らしながら森の奥を見つめていた。


 まるで主人の到着を待つ従者のように。


 カナトの右眼が熱を帯びる。


 魔眼の視界に映る巨大な魔力反応。


 それがゆっくりとこちらへ近付いていた。


 一歩。


 また一歩。


 地面が揺れる。


 森の木々が左右へ押し広げられていく。


 やがて。


 黒い巨体が姿を現した。


 カナトは思わず息を呑む。


 大きい。


 橋の欄干越しに見てもなお、その背は異様に高かった。


 漆黒の毛並みが風に揺れる。


 その隙間から覗く牙は鈍い光を反射し、赤い瞳だけが不気味なほど鮮明に浮かび上がっていた。


 ブラックファングの倍近い体躯。


 だが恐ろしいのは大きさではない。


 ただ立っているだけなのに、その場の空気が支配されていることだった。


 作業員達が言葉を失う。


 群れも鳴かない。


 森の鳥達の声すら聞こえなくなっていた。


「ブラックファングの上位個体か」


 ギルフォードが静かに呟く。


 その横でレオンが苦笑した。


「なるほど」


 視線を上へ向ける。


「思ったより大きいな」


 肩の力が抜けるような言い方だった。


 その一言に救われたのか、近くの作業員が小さく息を吐く。


 緊張を解いているのかもしれない。


 こんな状況でも。


 レオンは周囲を見ていた。



 上位個体が低く唸る。


 その声が森へ響いた瞬間だった。


 ブラックファング達が一斉に地面を蹴る。


 土煙が舞う。


 黒い群れが橋へ向かって駆け出した。


「迎撃!」


 ギルフォードの声が飛ぶ。


 待機していたアルビオンの隊員達が動く。


 橋脚側では槍兵が前へ出る。


 後方では弓兵達が一斉に弦を引いた。


 風を裂く音。


 放たれた矢が群れへ降り注ぐ。


 数体のブラックファングが体勢を崩す。


 だが勢いは止まらない。


 次の瞬間には別の個体が前へ出ていた。


 数が多い。


 それだけで脅威だった。


「右から来る!」


 レオンの声が響く。


 橋脚。


 橋中央。


 森の縁。


 全てを同時に見ているようだった。


「リゼア!」


「はい!」


「右は任せるよ!」


「了解しました!」


 リゼアが杖を振るう。


 赤い魔力が奔る。


 次の瞬間、群れの進路上で炎が爆ぜた。


 轟音。


 熱風が橋の上を吹き抜ける。


 炎に呑まれたブラックファング達が吹き飛んだ。


 だが。


 それでも群れは止まらない。


 左右へ散開する。


 橋脚へ回り込もうとする個体までいる。


 (……?)


 カナトは違和感を覚えた。


 (橋を狙っている…?)


 偶然には見えない。


 群れの動きに意図があるように感じた。



 橋中央では避難が続いていた。


 作業員達を落ち着かせながら、カナトも周囲へ視線を巡らせる。


 その時。


 一体のブラックファングが槍兵の隙間を抜けた。


 橋中央へ向かってくる。


「しまった!」


 隊員の声が響く。


 ブラックファングが跳んだ。


 カナトは剣を抜く。


 魔眼が敵を捉える。


 後脚へ集まる力。


 牙の軌道。


 着地点。


 身体が自然に動いた。


 半歩ずれる。


 牙が肩先を掠めて空を切る。


 そのまま剣を振るう。


 刃が肩口を裂いた。


 ブラックファングがよろめく。


 そこへ槍が突き刺さった。


 魔物が倒れる。


 若い隊員が安堵したように笑う。


「助かった!」


「こちらこそ、ありがとうございました!」


 カナトも息を吐いた。


 一人では倒せなかった。


 だが誰かが繋げばいい。


 誰かが支えればいい。


 それがアルビオンだった。



 その時だった。


 上位個体が動く。


 地面が沈む。


 巨体とは思えない速度だった。


 一瞬で距離を詰める。


 狙いは橋脚。


 そこを守る槍兵達。


 隊員達の顔色が変わる。


 反応している。


 だが間に合わない。


 牙が迫る。


 その瞬間。


 乾いた音が響いた。


 鋭く。


 一直線に。


 魔力の光が戦場を切り裂く。


 上位個体の身体が大きく揺れた。


 牙の軌道が逸れる。


 槍兵達の目前を掠めるように通過した。


 衝突は避けられた。


 カナトは目を見開く。


 レオンだった。


 その手には筒状の魔導具。


 魔放銃。


 魔道具の資料で読んだことはある。


 だが実際に使われるところを見るのは初めてだった。


 レオンは落ち着いたまま再装填する。


 慌てる様子はない。


 まるで昼休みに雑談している時と同じ表情だった。


「隊長」


 レオンが声を掛ける。


 口元には僅かな笑み。


「そろそろ出番ですよ」


 ギルフォードは鼻で笑った。


「最初からそのつもりだ」


 そう言って前へ出る。


 巨大な魔狼。


 アルビオン最強の隊長。


 二つの影が戦場の中央で向かい合う。


 吹き抜ける風がマントを揺らす。


 周囲の喧騒が遠ざかる。


 誰もが目を奪われていた。


 橋を守る戦いは続いている。


 だが。


 ここから先は別の戦いだ。


 カナトは無意識に息を止める。


 アルビオン最強。


 その実力を目にする時が来たのだ。


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