第44話 戦場を整える者
最後のブラックファングが倒れた。
焦げた臭いが風に乗る。
橋の手前には焼け焦げた地面が広がり、先程までの戦闘の痕跡が残されていた。
作業員達の間に安堵の空気が流れる。
誰かが大きく息を吐いた。
だが、その静寂は長く続かなかった。
森の奥から低い唸り声が響く。
一本の声ではない。
幾つもの唸りが重なり、森全体が不気味に震えているようだった。
カナトは顔を上げる。
木々の隙間。
黒い影が走る。
一つ、二つではない。
次々と。
途切れることなく。
背筋に冷たいものが走った。
「……まだいるのか」
近くの作業員が呟く。
レオンは森を見つめたまま口を開いた。
「隊長」
ギルフォードが答える。
「二十前後」
短い言葉だった。
だが十分だった。
橋の上に緊張が走る。
先程の戦闘とは規模が違う。
誰もが理解した。
その時だった。
「第二列、橋脚側へ!」
橋の反対側から怒号が飛ぶ。
アルビオンの隊員達が動き始めていた。
槍を構える者。
弓を背負う者。
盾を持つ者。
橋周辺を警戒していた隊員達が、それぞれの持ち場へ散っていく。
橋脚付近。
資材置き場。
森へ続く脇道。
護るべき場所は一つではない。
カナトは思わず周囲を見渡した。
今まで気付いていなかった。
いや、見えていなかったのだ。
戦っているのは第九班だけではない。
アルビオン全体が、この橋を護るために動いている。
◇
レオンは橋全体を見渡した。
避難状況。
他班の配置。
橋脚周辺の警戒。
短い時間で全てを確認しているようだった。
そして第九班へ視線を向ける。
「カナト」
「はい」
「避難誘導の継続をお願い」
「了解です」
「怪我人が出たらそちらを優先して」
「分かりました」
レオンは頷く。
次にリゼアを見る。
「リゼア」
「はい」
「橋へ近付けないようにね」
「了解しました」
リゼアが杖を握り直す。
赤い魔力が静かに揺らめいた。
熱を帯びた空気が周囲を歪ませる。
その様子を確認すると、レオンは再び森へ向き直った。
まるで焦りなど存在しないかのように。
◇
森が揺れる。
次の瞬間。
ブラックファングの群れが飛び出した。
黒い波だった。
地面を蹴る音が重なる。
土煙が舞う。
唸り声が響く。
十数頭を超える群れが橋へ向かって押し寄せてきた。
「弓兵!」
声が飛ぶ。
風を裂く音。
放たれた矢がブラックファングへ突き刺さる。
致命傷ではない。
だが十分だった。
速度が落ちる。
隊列が乱れる。
そこへ槍兵達が動いた。
橋脚側へ回り込もうとした個体を牽制する。
完全に止めるのではない。
進路を制限する。
橋へ近付けないために。
組織的な動きだった。
「左へ流れる!」
レオンの声が響く。
淡い光が戦場を走った。
派手な魔法ではない。
だがブラックファング達の動きが僅かに変わる。
本当に僅かに。
だからこそ自然だった。
群れは気付かない。
気付かないまま一箇所へ集められていく。
「今だ!」
レオンの声。
リゼアが杖を振るう。
赤い炎が地面を走った。
轟音。
爆発。
熱風が橋の上を吹き抜ける。
群れの中心で炎が咲いた。
ブラックファング達が吹き飛ばされる。
土煙が舞う。
作業員達から歓声が上がった。
だがレオンは振り返らない。
既に次を見ている。
別方向から回り込もうとしている群れを。
◇
カナトは戦場を見渡していた。
避難誘導は維持されている。
橋は守られている。
怪我人も出ていない。
それは偶然ではない。
リゼアは強い。
圧倒的な火力がある。
だが今、敵が密集した場所へ炎が叩き込まれたのは偶然ではなかった。
レオンが作ったのだ。
敵の動きを読む。
進路を誘導する。
他班と連携する。
そして最も効果的な位置へ導く。
戦っているのはリゼアだ。
だが戦場を整えているのはレオンだった。
さらにその外側ではギルフォードが全体を見ている。
橋脚を守る隊員。
弓兵。
槍兵。
第九班。
それぞれが役割を果たしている。
一人の英雄ではない。
組織として人を守る。
それがアルビオンだった。
◇
その時だった。
カナトの右眼が熱を帯びる。
視界の奥。
森のさらに奥。
何かが見えた。
巨大な魔力反応。
ブラックファング達とは比較にならない。
群れ全体の魔力が、一点へ集まっているように見える。
思わず息を呑んだ。
(なんだ……あれは)
木々が邪魔をして姿は見えない。
だが存在だけは分かる。
異質だった。
明らかに。
今までのブラックファングとは別格。
胸騒ぎが走る。
「レオンさん!」
レオンが振り返る。
「どうしました?」
「奥に何かいます」
「何か?」
「分かりません。でも――」
カナトは森を指差した。
「凄く大きな魔力です」
レオンの表情が僅かに変わる。
その声を聞いていたギルフォードが視線を向けた。
数秒。
沈黙。
風が木々を揺らす。
やがてギルフォードが小さく息を吐いた。
「なるほど」
低い声だった。
その視線は森の奥を捉えている。
「少し面倒だな」
直後。
咆哮が響いた。
空気が震える。
橋脚が軋む。
作業員達の顔色が変わる。
ブラックファング達ですら動きを止めた。
まるで本能で理解したかのように。
自分達より上の存在が現れたのだと。
木々が大きく揺れる。
地面が震える。
何かがこちらへ近付いてくる。
カナトは無意識に父から受け継いだ剣の柄を握った。
今までの群れは前座だった。
本当の脅威が、姿を現そうとしていた。




