第43話 最初の実戦
「来るぞ」
ギルフォードの声は大きくなかった。
だが、その一言だけで橋の上の空気が変わった。
金槌の音が止まる。
談笑していた作業員達が顔を上げる。
川の流れる音だけが妙に大きく聞こえた。
「全員作業中断!」
現場責任者が叫ぶ。
「橋の中央へ集まれ!」
積み上げられた木材の間を縫うように作業員達が動き始める。
慌ただしい。
だが混乱ではなかった。
橋の補修に携わる者達も、魔物との遭遇を一度や二度は経験しているのだろう。
「カナト」
レオンが振り返る。
「避難誘導を頼む」
「了解」
「リゼアは左側を」
「任せて」
短いやり取りだった。
だが迷う者はいない。
それぞれが自分の役割へ動き出す。
カナトは橋中央へ向かう作業員達へ声を掛けながら周囲へ目を向けた。
森の奥。
枝葉が大きく揺れている。
何かが近付いていた。
複数。
かなりの速度で。
次の瞬間。
黒い影が飛び出した。
狼に似た魔物だった。
全身を覆う黒い鱗。
異様に発達した前脚。
鋭い牙。
見覚えがある。
(ブラックファング)
研修中の魔物学講義で見た姿と一致した。
群れで行動する中型魔物。
連携して獲物を追い込む習性を持つ。
先頭の一体が地面を蹴る。
土が舞い上がる。
橋までの距離が一気に縮まった。
「リゼア!」
レオンの声が飛ぶ。
ほぼ同時だった。
赤い炎が橋の上を走る。
熱風が吹き抜けた。
轟音。
炎に呑まれたブラックファングが吹き飛ぶ。
黒い巨体が地面を転がり、そのまま動かなくなった。
避難していた作業員達から驚きの声が漏れる。
だがリゼアは気にしない。
杖を構えたまま次の敵を見据えている。
杖先で赤い魔力が揺らめいた。
「右へ二体!」
レオンが叫ぶ。
淡い光が走る。
ブラックファング達の進路が僅かに乱れた。
その瞬間。
リゼアの炎が再び放たれる。
赤い閃光が空気を裂き、二体目の魔物を吹き飛ばした。
◇
「慌てなくて大丈夫です!」
カナトは橋中央へ向かう作業員達へ声を掛ける。
「順番に!」
「走らないでください!」
恐怖はある。
だがパニックにはなっていない。
レオンの判断が早かったおかげだ。
魔物が橋へ到達する前に避難を始められた。
その差は大きい。
その時だった。
「あっ!」
若い作業員が足場材へ足を取られる。
身体が大きく傾く。
転倒。
嫌な予感がした。
一体のブラックファングが進路を変える。
獲物を見付けた肉食獣のように。
一直線だった。
カナトの右眼が熱を帯びる。
視界が僅かに鮮明になる。
魔物の身体。
筋肉の動き。
後脚へ集まる力。
収縮。
蓄積。
次の動きが自然と理解できた。
(跳ぶ――!)
「レオン!」
カナトが叫ぶ。
「跳びます!」
「了解!」
返答は一瞬だった。
淡い光が走る。
ブラックファングの眼前で弾けた。
魔物の身体が僅かにぶれる。
だが勢いは止まらない。
牙を剥き出しにしたまま跳躍する。
転倒した作業員が息を呑んだ。
間に合わない。
そう思った。
次の瞬間。
視界を影が横切る。
気付けばそこにギルフォードがいた。
作業員の前。
ブラックファングの前。
いつ移動したのか分からない。
魔物が牙を向ける。
ギルフォードは動かない。
いや、速すぎてそう見えただけだった。
鈍い衝突音が響く。
ブラックファングの巨体がくの字に折れ曲がる。
そのまま地面へ叩き付けられた。
土煙が舞う。
ギルフォードの黒い軍靴へ土が付着する。
魔物は二度と動かなかった。
「続けろ」
低い声が響く。
それだけだった。
まるで当たり前のことをしただけのように。
◇
カナトは転倒した作業員の元へ駆け寄った。
「怪我は?」
「だ、大丈夫だ」
そう言いながら顔を歪めている。
右足首。
捻ったらしい。
カナトは膝をつく。
魔眼で状態を確認する。
骨折なし。
靭帯損傷も軽度。
問題ない。
手を添える。
淡い光が傷を包み込んだ。
腫れが引いていく。
緊張していた筋肉が緩んでいく。
男が目を見開いた。
「もう歩けます」
「本当か……?」
「無理はしないでください。でも避難はできます」
男は恐る恐る立ち上がる。
一歩。
二歩。
問題なく歩けた。
安堵したような表情を浮かべる。
「ありがとう」
「まだ終わってません」
カナトも立ち上がる。
橋の上では戦闘が続いていた。
◇
炎が走る。
ブラックファングが吹き飛ぶ。
熱風が橋の上を駆け抜けた。
リゼアの炎は圧倒的だった。
だが、戦場を見渡していると別のものが見えてくる。
レオンだ。
彼は前線で敵を倒している訳ではない。
派手な魔法を使っている訳でもない。
それでも。
気付けば作業員達は守られている。
気付けば魔物は橋から遠ざけられている。
気付けばリゼアは最も力を発揮しやすい位置にいる。
「左へ流れる!」
レオンの声が飛ぶ。
ブラックファングが進路を変える。
そこへ炎が叩き込まれる。
偶然には見えなかった。
一つ一つは小さな判断だ。
だが、その積み重ねが戦場全体を形作っている。
カナトは思わず息を吐いた。
(これが……)
歴代最高記録保持者。
敵を倒す力だけじゃない。
状況を整理し、人を動かし、最善の形へ導く。
レオンがいるだけで、戦場そのものが落ち着いて見えた。
やがて最後のブラックファングが倒れる。
一瞬だけ静寂が訪れた。
しかし。
森の奥から低い唸り声が響く。
一つではない。
複数。
木々の隙間が揺れる。
ギルフォードの視線が森へ向く。
レオンの表情から笑みが消えた。
ブラックファングの群れは、まだ終わっていなかった。




