第42話 橋を守る者たち
北部河川区域へ到着した頃には、太陽はすっかり高く昇っていた。
街道沿いを流れる大河は陽光を反射し、眩しいほどの輝きを放っている。
川幅は広く、対岸は薄く霞んで見えた。
その向こうには深い森が広がっている。
そして、その両岸を繋ぐヴェルナ橋。
石と木材で造られた橋は長い年月を感じさせた。
橋脚には細かな亀裂が走り、木製部分の一部は色褪せている。
だが、それでも橋は堂々としていた。
何十年もの間、人と物を運び続けてきたのだろう。
「思ったより大きいですね」
カナトが思わず呟く。
レオンが隣で頷いた。
「だろう?」
「こういう橋は目立たないけど大事なんだ」
橋の上を荷車が通り過ぎる。
木箱を積んだ車輪が軋みながら進んでいく。
「一本なくなるだけで生活が変わる」
昨日の会議を思い出す。
橋の向こうには集落がある。
薬を待つ人がいる。
食料を運ぶ商人がいる。
病人もいるだろう。
橋が失われれば、その全てに影響が出る。
影響人口三千人。
その数字が少しずつ現実味を帯びていた。
◇
橋の周囲では既に工事が始まっていた。
木材を運ぶ者。
足場を組む者。
図面を確認する者。
金槌を打つ音が規則正しく響く。
現場には活気があった。
「おう!」
日に焼けた大柄な男が近付いてくる。
現場責任者らしい。
「護衛担当か!」
「はい」
レオンが一歩前へ出る。
「アルビオン第九班のレオン・クロードです」
自然な笑顔だった。
現場責任者も表情を緩める。
「若いな」
「よく言われます」
「頼りになるのか?」
「そこは仕事で証明します」
男は豪快に笑った。
「気に入った!」
「ありがとうございます」
初対面とは思えなかった。
まるで昔から顔見知りだったような空気が流れる。
「すごいですね」
カナトが小声で言う。
「何が?」
「もう打ち解けてる」
レオンは少しだけ笑った。
「向こうの立場で考えるだけだよ」
「立場?」
「現場の人達からしたら、工事を止めたくないんだ」
橋へ視線を向ける。
「だから俺達は護衛じゃなくて、工事を成功させるための仲間」
カナトは小さく頷いた。
同じ任務でも見方が違う。
それがレオンの強さなのかもしれなかった。
◇
午前中は大きな問題もなく過ぎていった。
ギルフォードは橋全体を歩いて回っていた。
橋脚。
資材置き場。
作業員の導線。
周囲の森。
一つ一つ確認している。
必要以上に口は出さない。
だが、一度だけ足場の組み方を指摘した時、現場責任者の顔色が変わった。
「そこの補強材」
ギルフォードが言う。
「荷重が偏る」
男が目を見開いた。
「……よく分かったな」
「崩れたら困る」
それだけだった。
だが作業員達はすぐに補強を始める。
「隊長って建築にも詳しいんですか?」
カナトが尋ねる。
近くにいたベテラン隊員が苦笑した。
「詳しいというか覚えたんだろうな」
「覚えた?」
「護衛するなら現場を理解しろ、って人だから」
カナトは思わずギルフォードを見る。
橋を守るために橋を学ぶ。
単純なようで難しい。
だが、それがアルビオンの隊長なのだろう。
◇
昼前。
日差しはさらに強くなっていた。
橋の上では大工達が汗を流しながら作業を続けている。
木材を担ぐ者。
金槌を振るう者。
誰もが額から汗を滴らせていた。
カナトはその様子を見ながら眉をひそめる。
(思ったより発汗量が多いな……)
炎天下での重労働。
失われるのは水分だけではない。
その状態で水だけを飲み続ければ、体調を崩す者が出てもおかしくなかった。
カナトは補給用の薬剤袋を取り出した。
塩分。
糖分。
そして水分量。
頭の中で必要な配合を組み立てていく。
汗で失われた成分を補い、水分の吸収効率を高める。
魔眼を通して得た知識が、それが最適の配分であると示していた。
薬剤を水へ溶かす。
透明だった水にわずかな変化が生まれる。
「休憩の人から順番に飲んでください」
作業員達へ声を掛けた。
最初は怪訝そうな顔をしていた男達だったが、一口飲むと表情が変わる。
「なんだこれ」
「少し塩が入ってるのか?」
「はい」
カナトは頷いた。
「汗をかいた後は、水だけよりこちらの方が体へ吸収されやすいので」
完全には理解できていない様子だった。
それでも飲みやすかったらしく、次々と容器へ手が伸びる。
「治癒師って怪我人を治すだけじゃないんだな」
「怪我人を出さないのも仕事ですから」
そう答える。
すると近くで聞いていたレオンが小さく笑った。
「カナトらしいね」
「そうですか?」
「普通の新人は魔物ばかり気にするから」
橋の上で働く大工達を見る。
「でも、こういうことの方が大事だったりする」
カナトも視線を向ける。
工事をする人達。
その人達が倒れれば橋は完成しない。
橋が完成しなければ困る人がいる。
戦うことだけが任務ではない。
ギルフォードの言葉が少しずつ実感へ変わっていた。
◇
一方。
リゼアは橋の端で周囲を警戒していた。
異常はない。
魔物の痕跡もない。
任務は順調だった。
順調すぎるほどに。
視線の先ではレオンが作業員達と話している。
誰とでも自然に会話ができる。
誰とでも笑える。
それでいて周囲への警戒も怠らない。
(どうして……)
リゼアは無意識に杖を握り直した。
(どうして、あんなに自然なの)
魔法なら分かる。
努力できる。
訓練もできる。
だが、人との距離感だけは違った。
気付けば周囲が信頼している。
それがレオン・クロードという男だった。
胸の奥に、小さな焦りが残る。
◇
午後。
風が少し変わった。
橋の下を流れる川が静かに揺れる。
カナトはふと顔を上げた。
違和感があった。
何かがおかしい。
だが、うまく説明できない。
さっきまで聞こえていた鳥の鳴き声が消えている。
橋の上では変わらず工事が続いていた。
作業員達は誰も気付いていない。
カナトは森へ視線を向ける。
その瞬間。
右眼の奥が僅かに熱を帯びた。
視界の端。
木々の隙間に何かが映る。
魔力の流れ。
いや、違う。
もっと曖昧な。
まるで水面へ小石を落とした時のような揺らぎ。
森の奥で空気そのものが波打っているように見えた。
(……何だ?)
思わず目を細める。
だが次の瞬間には消えていた。
見間違いだったのか。
そう思った時だった。
少し離れた場所にいたギルフォードが足を止める。
灰色の瞳が森を見据える。
レオンも会話を止めた。
リゼアが杖を握り直す。
空気が変わる。
橋の上を吹き抜ける風が妙に冷たく感じた。
森の奥。
木々の隙間で何かが動く。
ギルフォードが短く告げた。
「来るぞ」
その一言で。
現場の空気が一変した。




