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第42話 橋を守る者たち

 北部河川区域へ到着した頃には、太陽はすっかり高く昇っていた。


 街道沿いを流れる大河は陽光を反射し、眩しいほどの輝きを放っている。


 川幅は広く、対岸は薄く霞んで見えた。


 その向こうには深い森が広がっている。


 そして、その両岸を繋ぐヴェルナ橋。


 石と木材で造られた橋は長い年月を感じさせた。


 橋脚には細かな亀裂が走り、木製部分の一部は色褪せている。


 だが、それでも橋は堂々としていた。


 何十年もの間、人と物を運び続けてきたのだろう。


「思ったより大きいですね」


 カナトが思わず呟く。


 レオンが隣で頷いた。


「だろう?」


「こういう橋は目立たないけど大事なんだ」


 橋の上を荷車が通り過ぎる。


 木箱を積んだ車輪が軋みながら進んでいく。


「一本なくなるだけで生活が変わる」


 昨日の会議を思い出す。


 橋の向こうには集落がある。


 薬を待つ人がいる。


 食料を運ぶ商人がいる。


 病人もいるだろう。


 橋が失われれば、その全てに影響が出る。


 影響人口三千人。


 その数字が少しずつ現実味を帯びていた。



 橋の周囲では既に工事が始まっていた。


 木材を運ぶ者。


 足場を組む者。


 図面を確認する者。


 金槌を打つ音が規則正しく響く。


 現場には活気があった。


「おう!」


 日に焼けた大柄な男が近付いてくる。


 現場責任者らしい。


「護衛担当か!」


「はい」


 レオンが一歩前へ出る。


「アルビオン第九班のレオン・クロードです」


 自然な笑顔だった。


 現場責任者も表情を緩める。


「若いな」


「よく言われます」


「頼りになるのか?」


「そこは仕事で証明します」


 男は豪快に笑った。


「気に入った!」


「ありがとうございます」


 初対面とは思えなかった。


 まるで昔から顔見知りだったような空気が流れる。


「すごいですね」


 カナトが小声で言う。


「何が?」


「もう打ち解けてる」


 レオンは少しだけ笑った。


「向こうの立場で考えるだけだよ」


「立場?」


「現場の人達からしたら、工事を止めたくないんだ」


 橋へ視線を向ける。


「だから俺達は護衛じゃなくて、工事を成功させるための仲間」


 カナトは小さく頷いた。


 同じ任務でも見方が違う。


 それがレオンの強さなのかもしれなかった。



 午前中は大きな問題もなく過ぎていった。


 ギルフォードは橋全体を歩いて回っていた。


 橋脚。


 資材置き場。


 作業員の導線。


 周囲の森。


 一つ一つ確認している。


 必要以上に口は出さない。


 だが、一度だけ足場の組み方を指摘した時、現場責任者の顔色が変わった。


「そこの補強材」


 ギルフォードが言う。


「荷重が偏る」


 男が目を見開いた。


「……よく分かったな」


「崩れたら困る」


 それだけだった。


 だが作業員達はすぐに補強を始める。


「隊長って建築にも詳しいんですか?」


 カナトが尋ねる。


 近くにいたベテラン隊員が苦笑した。


「詳しいというか覚えたんだろうな」


「覚えた?」


「護衛するなら現場を理解しろ、って人だから」


 カナトは思わずギルフォードを見る。


 橋を守るために橋を学ぶ。


 単純なようで難しい。


 だが、それがアルビオンの隊長なのだろう。



 昼前。


 日差しはさらに強くなっていた。


 橋の上では大工達が汗を流しながら作業を続けている。


 木材を担ぐ者。


 金槌を振るう者。


 誰もが額から汗を滴らせていた。


 カナトはその様子を見ながら眉をひそめる。


(思ったより発汗量が多いな……)


 炎天下での重労働。


 失われるのは水分だけではない。


 その状態で水だけを飲み続ければ、体調を崩す者が出てもおかしくなかった。


 カナトは補給用の薬剤袋を取り出した。


 塩分。


 糖分。


 そして水分量。


 頭の中で必要な配合を組み立てていく。


 汗で失われた成分を補い、水分の吸収効率を高める。


 魔眼を通して得た知識が、それが最適の配分であると示していた。


 薬剤を水へ溶かす。


 透明だった水にわずかな変化が生まれる。


「休憩の人から順番に飲んでください」


 作業員達へ声を掛けた。


 最初は怪訝そうな顔をしていた男達だったが、一口飲むと表情が変わる。


「なんだこれ」


「少し塩が入ってるのか?」


「はい」


 カナトは頷いた。


「汗をかいた後は、水だけよりこちらの方が体へ吸収されやすいので」


 完全には理解できていない様子だった。


 それでも飲みやすかったらしく、次々と容器へ手が伸びる。


「治癒師って怪我人を治すだけじゃないんだな」


「怪我人を出さないのも仕事ですから」


 そう答える。


 すると近くで聞いていたレオンが小さく笑った。


「カナトらしいね」


「そうですか?」


「普通の新人は魔物ばかり気にするから」


 橋の上で働く大工達を見る。


「でも、こういうことの方が大事だったりする」


 カナトも視線を向ける。


 工事をする人達。


 その人達が倒れれば橋は完成しない。


 橋が完成しなければ困る人がいる。


 戦うことだけが任務ではない。


 ギルフォードの言葉が少しずつ実感へ変わっていた。



 一方。


 リゼアは橋の端で周囲を警戒していた。


 異常はない。


 魔物の痕跡もない。


 任務は順調だった。


 順調すぎるほどに。


 視線の先ではレオンが作業員達と話している。


 誰とでも自然に会話ができる。


 誰とでも笑える。


 それでいて周囲への警戒も怠らない。


(どうして……)


 リゼアは無意識に杖を握り直した。


(どうして、あんなに自然なの)


 魔法なら分かる。


 努力できる。


 訓練もできる。


 だが、人との距離感だけは違った。


 気付けば周囲が信頼している。


 それがレオン・クロードという男だった。


 胸の奥に、小さな焦りが残る。



 午後。


 風が少し変わった。


 橋の下を流れる川が静かに揺れる。


 カナトはふと顔を上げた。


 違和感があった。


 何かがおかしい。


 だが、うまく説明できない。


 さっきまで聞こえていた鳥の鳴き声が消えている。


 橋の上では変わらず工事が続いていた。


 作業員達は誰も気付いていない。


 カナトは森へ視線を向ける。


 その瞬間。


 右眼の奥が僅かに熱を帯びた。


 視界の端。


 木々の隙間に何かが映る。


 魔力の流れ。


 いや、違う。


 もっと曖昧な。


 まるで水面へ小石を落とした時のような揺らぎ。


 森の奥で空気そのものが波打っているように見えた。


(……何だ?)


 思わず目を細める。


 だが次の瞬間には消えていた。


 見間違いだったのか。


 そう思った時だった。


 少し離れた場所にいたギルフォードが足を止める。


 灰色の瞳が森を見据える。


 レオンも会話を止めた。


 リゼアが杖を握り直す。


 空気が変わる。


 橋の上を吹き抜ける風が妙に冷たく感じた。


 森の奥。


 木々の隙間で何かが動く。


 ギルフォードが短く告げた。


「来るぞ」


 その一言で。


 現場の空気が一変した。


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