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第25話 記録

 医療部門講義室。


 昨日の実技訓練とは違う静かな空気が流れていた。


 各席には端末が置かれている。


 新人達が着席した頃、クロエが教壇へ立った。


「全員揃ったわね」


 投影板へ文字が映し出される。


【記録】


 講義室がざわついた。


「……記録?」


 誰かが呟く。


 治癒術式や実技訓練を想像していたのだろう。


 反応は薄い。


 だがクロエは気にした様子もなかった。


「先に言っておくわ」


「医療部門において記録は命と同等よ」


 その一言で空気が引き締まる。


 投影板が切り替わる。


【A:Appeal】


【S:Status】


【T:Theory】


【R:Response】


「アルビオン医療部門では基本的にASTR形式を使用する」


 クロエは淡々と説明を続けた。


「Appeal。患者本人、あるいは周囲から得た訴え」


「Status。客観的状態」


「Theory。現時点での分析と推測」


「Response。実施した処置と結果」


 新人達が端末へ必死に入力している。


 だが。


「覚える必要はないわ」


 その言葉で何人かが顔を上げた。


 そして。


「今日嫌でも覚えるから」


 講義室が静まり返った。



 場所は実技室へ移った。


 患者人形が並んでいる。


「本日の演習は引き継ぎ訓練よ」


 クロエが告げる。


「二人一組で対応しなさい」


 カナトとアイリスは自然と同じ組になった。


 割り当てられた患者人形の前へ立つ。


 既に患者への一次対応は別の班が終了させている。


 胸部外傷。


 呼吸状態悪化。


 循環低下。


 現段階でも状態は決して良くない。


「まず記録を確認しましょう」


 アイリスが端末を開く。


 カナトも覗き込んだ。


 そして。


 二人とも固まる。


【循環安定術式実施】


【魔力回復薬投与】


【経過観察】


「……これだけ?」


 カナトが思わず呟く。


 アイリスも眉を寄せた。


「術式出力がありません」


「投与量も」


「実施時刻も」


「反応も」


 何もない。


 患者人形を見る。


 確かに循環安定術式らしき反応は残っている。


 だが。


「弱い……?」


 カナトが呟く。


 そしてすぐに首を振った。


「いや、違う」


「違う?」


「弱いのか分からない」


 アイリスもすぐに意味を理解した。


 確かに術式はかかっている。


 だが。


 元々低出力で実施されたのか。


 高出力だったものが効果切れを起こしているのか。


 あるいは処置直後で、まだ効果発現途中なのか。


 判断材料がない。


「魔力回復薬も同じです」


 アイリスが言う。


「投与済みなのは分かります」


「でも量が分かりません」


「少量投与なら追加できる」


「十分量なら危険です」


 カナトは患者人形を見つめた。


 呼吸は浅い。


 循環も不安定。


 だが。


 今すぐ致命的というほどではない。


「……どうしよう」


 思わず本音が漏れた。


 患者は目の前にいる。


 診察もできる。


 状態も確認できる。


 それなのに。


 前の術者が何をしたのか分からない。


 それだけで判断が難しくなる。


「前担当者へ確認できればいいんですけど……」


 アイリスが小さく呟く。


「うん」


 カナトも頷いた。


「可能なら端末で確認したい」


「でも今は演習だから無理だね」


 ならば自分達で判断するしかない。


 カナトは深く息を吐いた。


「攻めない方がいいと思う」


「私もそう思います」


 アイリスが頷く。


「情報が足りません」


「うん」


 高出力治癒は危険。


 追加投薬も危険。


 だから。


 低出力治癒。


 最低限の循環補助。


 そして経過観察。


 それ以上は行わなかった。



 演習終了。


 クロエが結果を確認していく。


「高出力循環術式追加」


「回復薬再投与」


「治癒強化」


 様々な回答が並ぶ。


 そして。


 カナト達の結果が表示された。


【低出力治癒】


【循環補助】


【経過観察】


【前担当者へ確認推奨】


 ざわ、と空気が揺れた。


 消極的に見えたのだろう。


 だが。


「正解よ」


 クロエは即答した。


 講義室が静まり返る。


「何故ですか?」


 誰かが尋ねた。


「情報不足だからよ」


 クロエ主任は淡々と言った。


「前担当者が何をしたか分からない」


「術式出力も」


「投薬量も」


「実施時刻も」


「反応も不明」


「その状態で強い処置を追加する方が危険」


 新人達が息を呑む。


「分からない時に無理をしない」


「それも医療よ」


 静かな声だった。


 だが重かった。


「記録不足は判断材料を奪う」


「だから記録を残す」


「次の術者が迷わないように」


 クロエの視線が全員を見渡した。


「今、あなた達が困ったことを忘れないことね」



 後半の演習。


 今度は自分達が処置担当だった。


 患者評価。


 治療。


 経過観察。


 そして引き継ぎ記録。


 カナトは端末を開いた。


 前半の演習が頭に残っている。


 何をしたのか分からない。


 いつやったのか分からない。


 どんな反応だったのか分からない。


 それだけで判断は大きく制限された。


「次の人が困らないように、だね」


「はい」


 アイリスも頷く。


 カナトは入力を始めた。


【A】


胸部痛を訴える


【S】


呼吸状態改善傾向


循環安定傾向


【T】


内部出血に伴う循環不全を疑う


【R】


13:42 循環安定術式実施(出力30%)


13:47 循環改善傾向を確認


13:50 低用量回復薬投与


13:55 副反応認めず


追加処置不要と判断


経過観察継続


 入力を終えたカナトは小さく息を吐いた。


「これなら大丈夫かな」


「前半よりずっと分かりやすいです」


 アイリスが画面を見ながら言う。


「少なくとも次の担当は迷いません」


 その言葉にカナトも頷いた。


 今日、自分達が困ったように。


 次の誰かを困らせないための記録。


 それが医療部門の言う引き継ぎなのだろう。



 夜。


 誰もいなくなった講義室。


 クロエは新人達の記録を確認していた。


 長文。


 情報過多。


 推測だらけ。


 様々な記録が並ぶ。


 その中で一つだけ視線が止まった。


 カナトのログだった。


 処置内容。


 実施時刻。


 反応。


 判断理由。


 次担当が確認すべき情報。


 必要な情報が整理されている。


 無駄がない。


 クロエ主任はしばらく画面を見つめた。


 そして静かに端末を閉じる。


「しっかり学べているようね」


 誰もいない教室で。


 その呟きだけが静かに消えていった。


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