第22話 蒼炎
まだ日も昇り切らない時間。
アルビオンの外周には薄く霧が立ち込めていた。
空気は冷たい。
肌寒さすら感じる。
だが。
カナトは既に起きていた。
動きやすい服へ着替えると、寮の入口から外へ出る。
軽く息を吐く。
白い。
「……よし」
そのまま走り出した。
これは家にいた頃から続けている習慣だった。
父――レグルスから何度も言われた言葉がある。
『身体は何をするにも資本だ』
体力。
柔軟性。
瞬発力。
剣術だけじゃない。
医療でも同じだ。
昨日みたいに、身体を張らなければならない場面は必ずある。
むしろアルビオンでは、今まで以上に必要になる。
だから止めるつもりはなかった。
◇
アルビオンは広い。
本当に広い。
部門毎の寮。
研修棟。
実技棟。
研究施設。
食堂。
訓練区画。
都市一つを、そのまま軍事機関へ変えたみたいだった。
しかも、かなりの設備が許可さえ取れば自由に利用できるらしい。
端末の地図を見ながら、カナトは施設外周を時計回りに走っていく。
ついでに配置も覚える。
地図だけでは分からない。
実際に自分の眼で見て、空気を感じることで分かることもある。
どこに何があるのか。
人の流れ。
距離感。
気配。
そして。
訓練用アリーナ。
同じ区画にある訓練場とは異なり、屋根付きのため悪天候でも訓練ができ、人気が高いらしい。
興味もあったので使用の予約をしており、そこへカナトは向かっていた。
剣の鍛錬をしたかった。
父から教わった剣術。
だが、それだけでは足りないとも思っている。
アルビオンには魔導師がいる。
戦術魔法がある。
自分はまだ治癒魔法しかまともに扱えない。
けれど。
いつかもっと、多くを学ばなければならない。
◇
アリーナ入口。
端末をかざす。
淡い光。
ロック解除。
「便利だなぁ……」
そう思って足を踏み入れ、扉を開いたその瞬間。
「……っ」
濃密な魔力を感じた。
空気が震えている。
熱すら帯びていた。
こんな早朝に?
カナト自身、かなり早起きした自覚がある。
だから驚いた。
廊下を進み、中央区画への扉を開く。
ぶわっ、と熱気が広がった。
その中央。
一人の少女が立っていた。
「……リゼア」
彼女だった。
戦術部門の黒い制服ではなく、動きやすい訓練着。
長い髪は後ろで束ねられている。
両手を胸の前へ掲げ、掌を向かい合わせていた。
その間に浮かぶ、小さな炎。
だが。
小さいからこそ分かる。
あまりにも異常な密度。
受験の時、魔人種へ放った極大魔法。
あれを圧縮したような魔力だった。
集中力を使うのか、頬を汗が伝っている。
その姿は、凛としていて。
思わず見惚れるほど綺麗だった。
「…………」
少しだけ、その様子を眺める。
だが。
邪魔をするべきじゃないと思った。
カナトは静かに離れた位置へ移動する。
剣を抜いた。
上段。
振り上げる。
振り下ろす。
ただ、それだけ。
父から叩き込まれた基礎。
『型を舐めるな』
レグルスはよく言っていた。
『戦闘中、人は全部を考えられない。だから身体に覚え込ませるんだ』
無意識でも。
理想通りの軌道を描けるように。
振り上げる。
振り下ろす。
鈍色の剣が残像を引く。
同じ軌道。
同じ重心。
同じ呼吸。
何度も。
何度も。
何度も。
◇
どれだけ時間が経ったのだろう。
気づけば汗が噴き出していた。
「……ふぅ」
集中できていたらしい。
剣を鞘へ戻す。
その時。
視線を感じた。
顔を上げる。
先程まで訓練していたリゼアが、こちらを見ていた。
「おはよう、リゼア」
声をかけると、リゼアは僅かに目を逸らした。
「……ええ。朝から早いわね」
「リゼアも」
「当然よ」
いつもの調子。
でも、どこか少しだけ柔らかい。
「いつもこの時間に訓練してるの?」
「そうよ」
リゼアは淡々と答える。
「私は誰よりも強くあらなければならないもの」
「ヴォルト家として?」
「……ええ」
少しだけ沈黙。
「周囲は“名家”なんて簡単に言うけれど、だからこそ期待も重いのよ」
リゼアが炎を見つめる。
「私は、それに報いたいだけ」
「リゼアも努力してるんだね」
「当然でしょ」
即答だった。
でも。
カナトは少し安心する。
圧倒的な才能を持つ彼女も、ちゃんと積み重ねている。
「さっきの炎、凄かった」
「……この前の受験、覚えてる?」
「もちろん」
「あの時、魔人種を焼き切れなかった」
リゼアの瞳が細くなる。
「出力は足りていた。少なくとも私はそう思っていたわ」
「でも実際には仕留め切れなかった」
悔しさが滲む。
「だから今、魔力の圧縮と制御を見直してるの」
「そっか……」
炎。
熱。
高密度魔力。
その瞬間。
右眼が疼いた。
「っ……!」
視界がぶれる。
知らない景色。
大きな机。
白い壁。
金属の器具。
中央には円柱状の装置。
下から上へ向かうほど細くなっている。
複数の管。
つまみ。
そして。
上部から吹き上がる炎。
赤。
いや。
つまみを回した瞬間。
炎の色が変わった。
――蒼。
何故か分かる。
あれは赤い炎より熱く、ずっと効率がいい。
どうしてそんなことを知っているのか。
自分では分からない。
「蒼い炎……」
「えっ?」
リゼアがこちらを見る。
「あっ、ご、ごめん」
カナトは慌てて誤魔化した。
でも。
次の言葉は、自分でも不思議なくらい自然に口から出た。
「……炎って、色が変わったりしない?」
「色?」
「うん。なんていうか……もっと蒼く、細くなる感じ」
自分の言葉なのに、奇妙な感覚だった。
まるで。
誰か別の専門家が、自分の喉を通して話しているみたいだった。
蒼い炎の構造が、何故か頭の中へ鮮明に浮かんでいる。
僕は魔法なんて詳しくないのに。
なんでこんな知識ばかり――。
「蒼?」
リゼアが眉を寄せる。
「魔法の詳しい理論は分からないけど……たぶん、赤い炎は熱が逃げすぎてるんだ」
カナトは右眼を押さえた。
「大雑把に大きく広げるんじゃなくて、内側から熱を圧縮する。……そうすれば、もっと熱くなるはず」
「内側から圧縮する?」
「うまく言えない。でも、赤い炎より、蒼い炎の方がずっと熱かった」
リゼアの表情が変わる。
「……熱量変化?」
「たぶん。あと、炎の揺れも少なかった」
「…………」
リゼアが炎を見る。
思考している。
恐らくカナトには分からない領域で。
「……魔力の拡散を減らす?」
「あ、それかも」
リゼアの掌の炎が揺らぐ。
赤い炎。
だが先程より小さい。
より密度を増していく。
空気が震えた。
「っ……!」
次の瞬間。
炎の先端が、一瞬だけ蒼く染まった。
アリーナの空気がビリッと震える。
カナトは思わず目を見開いた。
今までとは明らかに違う熱量。
だが。
直後、炎は霧散した。
「……難しいわね」
リゼアが息を吐く。
額から汗が流れていた。
けれど。
その口元は、少しだけ楽しそうだった。
「でも、面白いわ」
そう言って、再び炎を灯す。
カナトはその横顔を見ながら、小さく笑った。
朝日が、ゆっくりとアリーナへ差し込み始めていた。




