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第22話 蒼炎

 まだ日も昇り切らない時間。


 アルビオンの外周には薄く霧が立ち込めていた。


 空気は冷たい。


 肌寒さすら感じる。


 だが。


 カナトは既に起きていた。


 動きやすい服へ着替えると、寮の入口から外へ出る。


 軽く息を吐く。


 白い。


「……よし」


 そのまま走り出した。


 これは家にいた頃から続けている習慣だった。


 父――レグルスから何度も言われた言葉がある。


『身体は何をするにも資本だ』


 体力。


 柔軟性。


 瞬発力。


 剣術だけじゃない。


 医療でも同じだ。


 昨日みたいに、身体を張らなければならない場面は必ずある。


 むしろアルビオンでは、今まで以上に必要になる。


 だから止めるつもりはなかった。



 アルビオンは広い。


 本当に広い。


 部門毎の寮。


 研修棟。


 実技棟。


 研究施設。


 食堂。


 訓練区画。


 都市一つを、そのまま軍事機関へ変えたみたいだった。


 しかも、かなりの設備が許可さえ取れば自由に利用できるらしい。


 端末の地図を見ながら、カナトは施設外周を時計回りに走っていく。


 ついでに配置も覚える。


 地図だけでは分からない。


 実際に自分の眼で見て、空気を感じることで分かることもある。


 どこに何があるのか。


 人の流れ。


 距離感。


 気配。


 そして。


 訓練用アリーナ。


 同じ区画にある訓練場とは異なり、屋根付きのため悪天候でも訓練ができ、人気が高いらしい。


 興味もあったので使用の予約をしており、そこへカナトは向かっていた。


 剣の鍛錬をしたかった。


 父から教わった剣術。


 だが、それだけでは足りないとも思っている。


 アルビオンには魔導師がいる。


 戦術魔法がある。


 自分はまだ治癒魔法しかまともに扱えない。


 けれど。


 いつかもっと、多くを学ばなければならない。



 アリーナ入口。


 端末をかざす。


 淡い光。


 ロック解除。


「便利だなぁ……」


 そう思って足を踏み入れ、扉を開いたその瞬間。


「……っ」


 濃密な魔力を感じた。


 空気が震えている。


 熱すら帯びていた。


 こんな早朝に?


 カナト自身、かなり早起きした自覚がある。


 だから驚いた。


 廊下を進み、中央区画への扉を開く。


 ぶわっ、と熱気が広がった。


 その中央。


 一人の少女が立っていた。


「……リゼア」


 彼女だった。


 戦術部門の黒い制服ではなく、動きやすい訓練着。


 長い髪は後ろで束ねられている。


 両手を胸の前へ掲げ、掌を向かい合わせていた。


 その間に浮かぶ、小さな炎。


 だが。


 小さいからこそ分かる。


 あまりにも異常な密度。


 受験の時、魔人種へ放った極大魔法。


 あれを圧縮したような魔力だった。


 集中力を使うのか、頬を汗が伝っている。


 その姿は、凛としていて。


 思わず見惚れるほど綺麗だった。


「…………」


 少しだけ、その様子を眺める。


 だが。


 邪魔をするべきじゃないと思った。


 カナトは静かに離れた位置へ移動する。


 剣を抜いた。


 上段。


 振り上げる。


 振り下ろす。


 ただ、それだけ。


 父から叩き込まれた基礎。


『型を舐めるな』


 レグルスはよく言っていた。


『戦闘中、人は全部を考えられない。だから身体に覚え込ませるんだ』


 無意識でも。


 理想通りの軌道を描けるように。


 振り上げる。


 振り下ろす。


 鈍色の剣が残像を引く。


 同じ軌道。


 同じ重心。


 同じ呼吸。


 何度も。


 何度も。


 何度も。



 どれだけ時間が経ったのだろう。


 気づけば汗が噴き出していた。


「……ふぅ」


 集中できていたらしい。


 剣を鞘へ戻す。


 その時。


 視線を感じた。


 顔を上げる。


 先程まで訓練していたリゼアが、こちらを見ていた。


「おはよう、リゼア」


 声をかけると、リゼアは僅かに目を逸らした。


「……ええ。朝から早いわね」


「リゼアも」


「当然よ」


 いつもの調子。


 でも、どこか少しだけ柔らかい。


「いつもこの時間に訓練してるの?」


「そうよ」


 リゼアは淡々と答える。


「私は誰よりも強くあらなければならないもの」


「ヴォルト家として?」


「……ええ」


 少しだけ沈黙。


「周囲は“名家”なんて簡単に言うけれど、だからこそ期待も重いのよ」


 リゼアが炎を見つめる。


「私は、それに報いたいだけ」


「リゼアも努力してるんだね」


「当然でしょ」


 即答だった。


 でも。


 カナトは少し安心する。


 圧倒的な才能を持つ彼女も、ちゃんと積み重ねている。


「さっきの炎、凄かった」


「……この前の受験、覚えてる?」


「もちろん」


「あの時、魔人種を焼き切れなかった」


 リゼアの瞳が細くなる。


「出力は足りていた。少なくとも私はそう思っていたわ」


「でも実際には仕留め切れなかった」


 悔しさが滲む。


「だから今、魔力の圧縮と制御を見直してるの」


「そっか……」


 炎。


 熱。


 高密度魔力。


 その瞬間。


 右眼が疼いた。


「っ……!」


 視界がぶれる。


 知らない景色。


 大きな机。


 白い壁。


 金属の器具。


 中央には円柱状の装置。


 下から上へ向かうほど細くなっている。


 複数の管。


 つまみ。


 そして。


 上部から吹き上がる炎。


 赤。


 いや。


 つまみを回した瞬間。


 炎の色が変わった。


 ――蒼。


 何故か分かる。


 あれは赤い炎より熱く、ずっと効率がいい。


 どうしてそんなことを知っているのか。


 自分では分からない。


「蒼い炎……」


「えっ?」


 リゼアがこちらを見る。


「あっ、ご、ごめん」


 カナトは慌てて誤魔化した。


 でも。


 次の言葉は、自分でも不思議なくらい自然に口から出た。


「……炎って、色が変わったりしない?」


「色?」


「うん。なんていうか……もっと蒼く、細くなる感じ」


 自分の言葉なのに、奇妙な感覚だった。


 まるで。


 誰か別の専門家が、自分の喉を通して話しているみたいだった。


 蒼い炎の構造が、何故か頭の中へ鮮明に浮かんでいる。


 僕は魔法なんて詳しくないのに。


 なんでこんな知識ばかり――。


「蒼?」


 リゼアが眉を寄せる。


 「魔法の詳しい理論は分からないけど……たぶん、赤い炎は熱が逃げすぎてるんだ」


 カナトは右眼を押さえた。


 「大雑把に大きく広げるんじゃなくて、内側から熱を圧縮する。……そうすれば、もっと熱くなるはず」


「内側から圧縮する?」


「うまく言えない。でも、赤い炎より、蒼い炎の方がずっと熱かった」


 リゼアの表情が変わる。


「……熱量変化?」


「たぶん。あと、炎の揺れも少なかった」


「…………」


 リゼアが炎を見る。


 思考している。


 恐らくカナトには分からない領域で。


「……魔力の拡散を減らす?」


「あ、それかも」


 リゼアの掌の炎が揺らぐ。


 赤い炎。


 だが先程より小さい。


 より密度を増していく。


 空気が震えた。


「っ……!」


 次の瞬間。


 炎の先端が、一瞬だけ蒼く染まった。


 アリーナの空気がビリッと震える。


 カナトは思わず目を見開いた。


 今までとは明らかに違う熱量。


 だが。


 直後、炎は霧散した。


「……難しいわね」


 リゼアが息を吐く。


 額から汗が流れていた。


 けれど。


 その口元は、少しだけ楽しそうだった。


「でも、面白いわ」


 そう言って、再び炎を灯す。


 カナトはその横顔を見ながら、小さく笑った。


 朝日が、ゆっくりとアリーナへ差し込み始めていた。



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