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第19話 実技訓練

 医療部門実技室。


 そこは、カナトが想像していた訓練室とは大きく違っていた。


 広い。


 だが、それ以上に異様だった。


 白い床。


 整然と並ぶ治療台。


 壁際には無数の魔導具。


 薬剤棚。


 大型術式盤。


 そして微かに漂う血と薬品の匂い。


 ここが本物の医療現場に限りなく近い場所なのだと、誰もが理解できた。


「うわ……」


 誰かが顔を引き攣らせる。


 クロエは感情のない声で告げた。


「ここでは実戦形式で訓練を行います」


 ぱん、と手を叩く。


 奥の扉が開いた。


 運び込まれる複数の人型。


「……人?」


「違う」


 アイリスが小さく呟く。


 カナトも目を細めた。


 皮膚。


 血流。


 呼吸。


 魔力循環。


 まるで本物の患者だった。


 だが違う。


「実戦用医療訓練魔導人形です」


 クロエが説明する。


「損傷再現。血流再現。魔力循環再現。生体反応模倣機能を搭載しています」


 新人達がざわつく。


「患者人形と呼ばれることが多いですね」


 クロエは淡々と続けた。


「下手な新人隊員より優秀ですよ」


 さらっと恐ろしいことを言った。


「これより二人一組で対処訓練を行います」


 その瞬間。


 周囲が一斉に動いた。


「よろしく!」


「組まないか!?」


「回復魔法得意なんだ!」


 必死だった。


 だが。


「カナト」


「ん?」


「組む?」


 アイリスが当然のように隣へ来た。


 あまりにも自然だった。


「うん」


 即決だった。



 割り当てられた患者は、恐らく上腕骨の骨折。


 上腕部には内出血による紫斑が広がり、不自然な腫脹も認められる。


 患者人形は腕を庇うように保持しており、関節可動域も著しく制限されていた。


 さらに魔力循環不全付き。


「開始」


 クロエの合図。


 周囲が一斉に動き始める。


「ヒール!」


「骨折だ!」


「魔力反応落ちてるぞ!」


 高出力治癒。


 高速詠唱。


 他の新人隊員達も優秀だった。


「……僕たちも頑張らないとね」


 カナトが小さく呟く。


「うん」


 アイリスも頷いた。


 二人はまず患者の全身状態を確認した。


 意識レベル


 出血の有無


 損傷部位。


 魔力循環。


 カナトの右眼が内部を視る。


「全身の魔力循環が落ちてる。意識も浅い」


「骨折より先に循環安定」


 アイリスが即座に薬剤を選別する。


 迷いがない。


 カナトが小さく驚く。


 やっぱり優秀だ。


「昇魔剤、薄めで」


「濃度二割?」


「うん。それ以上は負荷が大きい」


「了解」


 周囲が高出力治癒で無理やり押し込む中。


 二人だけ違った。


 全身状態。


 優先順位。


 患者負担。


 派手さはない。


 だが確実だった。


 アイリスが低出力治癒を丁寧に重ねる。


 カナトは魔力循環を誘導する。


 すると。


 不安定だった魔力が、一気に安定し始めた。


「……早い」


 アイリスが僅かに目を見開く。


「誘導が綺麗」


「そっちも」


 自然に噛み合う。


 まるで何年も一緒に治療してきたような感覚だった。


 循環が安定したのを確認し、カナトが患者の腕へ視線を落とす。


 骨片。


 神経。


 血管。


 全てが右眼へ映る。


「骨片がずれてる」


「整復する」


「お願い」


 アイリスが慎重に骨片の位置を合わせていく。


 カナトは神経と血管の位置を確認し続けた。


「もう少し内側」


「ここ?」


「うん」


 ずれていた骨が、本来あるべき位置へ収まる。


 固定。


 治癒魔法使用。


 神経損傷確認。


 血流確認。


 魔力循環確認。


 最後に後遺症予測まで実施する。


 二人が治療を終えた頃。


 クロエは少し離れた場所から、その一連の流れを見ていた。


 循環安定。


 整復。


 固定。


 治癒。


 確認。


 派手さはない。


 だが無駄もなかった。


 クロエが静かに口を開く。


「治すだけなら誰でもできます」


 室内が静まる。


「治癒魔法を流し込むだけなら、魔力量の多い者が有利です」


 新人達が耳を傾ける。


「ですが医療は違う」


 クロエの視線が全員を見渡した。


「患者の状態を見極めること」


「優先順位を判断すること」


「負荷を管理すること」


「治療後まで見据えること」


 重い言葉だった。


「それが医療です」



 その時だった。


 実技室奥。


 一体の患者人形が、不自然に震え始めた。


 ガタッ。


 ガタガタガタッ。


「……?」


 近くにいた新人が振り返る。


 次の瞬間。


 患者人形の全身を巡る魔力回路が真紅に染まった。


「異常反応!?」


「なんだこれ!?」


 壁際の計測盤へ数値が表示される。


 循環率一二〇%。


 一五〇%。


 二〇〇%。


 あり得ない速度で上昇していく。


 クロエの表情が変わった。


「全員離れなさい!」


 新人達が慌てて後退する。


「訓練用の異常症例!?」


 誰かが叫ぶ。


「違います!」


 補助教官が計測盤を確認しながら声を上げた。


「制御値を超えています!」


 空気が変わる。


 本来は教育用に設定された異常症例。


 だが今は違う。


 本当に暴走している。


 そして。


 カナトの右眼が激しく脈打った。


 ドクン。


 視界が揺れる。


 見える。


 患者人形内部。


 複雑な魔力循環。


 無数の魔力路。


 制御核。


 その全てが脈打っている。


 だが。


「……違う」


 カナトは呟いた。


 全体じゃない。


 一箇所だけ。


 異常な速度で魔力を増幅し続けている経路がある。



 白い天井。


 眩しい光。


 規則的な電子音。


 画面上を走る波形。


『異常伝導路を確認』


『アブレーション準備』


『焼灼開始』


 知らない言葉。


 知らない景色。


 だが。


 理解できた。


 心臓全体が悪いわけじゃない。


 正常な回路も存在する。


 問題なのは一部だけ。


 狂った信号を送り続ける異常伝導路。


 だから。


 全体を止める必要はない。


 原因だけを断てばいい。



「そうか……!」


 カナトが顔を上げた。


「循環全体じゃない」


 クロエが鋭く振り返る。


「カナトさん、何が見えているの!?」


「一部だけ」


 カナトが指を向ける。


「あそこだけ魔力を増幅させている」


 アイリスが患者人形へ視線を向ける。


「……一部だけ?」


 数秒。

 

 魔力循環を追うように観察する。


「…これは」


 アイリスの瞳が細まった。


「異常循環路」


「うん!」


 制御核近く。


 一本だけ暴走している魔力経路。


「切断は駄目だ」


 カナトが言う。


「正常循環まで巻き込んで、最悪の場合爆発する」


 右眼が捉える。


 複雑に絡み合う魔力路。


 だから。


「原因だけ止める」


 アイリスが即座に理解した。


「それなら、私が正常循環を保護する」


「お願い」


 青白い術式が展開される。


 正常な循環路だけを固定。


 暴走経路が浮かび上がる。


「今!」


 カナトが前へ出る。


 右眼が焼ける。


 治癒魔法ではない。


 母から教わった基礎中の基礎。


 治癒術の精度を高めるための魔力制御訓練。


 魔力を細く。


 正確に。


 一点へ送り込む技術。


 今必要なのは、それだった。


「――止まれ!」


 魔力を針のように圧縮する。


 異常経路を狙い。


 暴走する流れだけを断ち切るように魔力を流し込む。


 バチッ。


 小さな火花。


 次の瞬間。


 暴走していた経路が沈黙した。


 真紅だった魔力が急速に色を失う。


 循環率。


 一八〇。


 一四〇。


 一〇五。


 九八。


 正常域。


 患者人形の震えが止まった。


 静寂。



 誰も動けなかった。


「……止まった」


 新人の一人が呆然と呟く。


 患者人形は完全に安定している。


 クロエが計測盤を確認する。


 循環正常。


 制御正常。


 異常経路停止。


 局所損傷軽微。


 ようやく小さく息を吐いた。


「……何をしたの?」


 低い声。


 カナトは右眼を押さえる。


 まだ熱い。


 知らない記憶。


 知らない知識。


 だが。


「分かりません」


 本当に分からなかった。


「ただ」


 患者人形を見る。


「全体が悪いようには見えなかったんです」


 クロエが目を細める。


「だから原因だけを止めればいいと思いました」


 室内が静まり返る。


 新人達には理解できない。


 だが。


「合理的」


 アイリスだけが頷いた。


 そして。


「……すごい」


 小さく呟く。


 カナトは思わず目を瞬かせた。


 アイリスは何事もなかったように視線を逸らした。



 実技室二階。


 薄暗い観察室。


 アルベリウス・ノクスはガラス越しに訓練を見下ろしていた。


「異常循環路の遮断、ですか」


 静かな声。


 穏やかな笑み。


 だが、その瞳には強い興味が宿っていた。


「最近までは呪いや原因不明の魔力障害とされていた症例に近いですね」


 眼鏡を押し上げる。


 視線は黒髪の少年へ向いていた。


「なるほど」


 小さく笑う。


「やはり君は実に興味深い」


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