第17話 医療部門
「改めまして。私はアイリス・フィール」
灰青色の髪。
感情を表に出さない瞳。
無表情に近い少女。
第三試験以来となるアイリスだった。
「久しぶり、アイリス。元気だった?」
アイリスは小さく頷いた。
「私は元気、でも……」
「カナトは試験の後、倒れてたけど」
「うっ……」
いきなり痛いところを突かれる。
「もう平気?」
「大丈夫……多分」
「多分なんだ」
淡々と返される。
けれど、その言葉には僅かな安堵が混じっているようにも感じた。
「講義室、この辺?」
「隣」
「近いね」
本当に隣の講義室だった。
二人は自然と並んで歩き始める。
◇
指定された講義室へ入る。
既に十数人ほどの新人が集まっていた。
誰も大声では話さない。
静かな空間。
その代わり、互いを観察するような視線だけが飛び交っている。
「……あ」
誰かが小さく声を漏らした。
「第三試験の奴だ」
「魔法じゃない治療してたよな」
「何だったんだ、あれ……」
小さな囁きが広がる。
カナトは少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。
その時だった。
「静粛に」
凛とした声が講義室へ響く。
一人の女性が入室してきた。
白衣。
眼鏡。
隙のない立ち姿。
三十代前半ほどの女性は教壇へ立つと、講義室全体を見渡した。
「私は医療部門教育班主任、クロエ・ラングレーです」
静かだが、よく通る声。
「まず最初に、一つ訂正しておきます」
講義室の空気が張り詰める。
「ここは、治癒魔法を学ぶ学校ではありません」
その一言だけで、全員の意識が引き寄せられた。
「アルビオン医療部門は、生き残らせるための部隊です」
クロエは続ける。
「君達が立つのは戦場。魔人種災害。大規模崩落現場。時には、味方同士が殺し合った後の現場です」
誰も口を開かない。
「患者は待ってくれません」
一拍置く。
「泣いても、喚いても、死ぬ時は死にます」
重い現実。
だが、その場にいる誰もが目を逸らせなかった。
「それでもなお、助ける方法を探し続ける者だけが、この部門へ残れます」
鋭い視線が、一人ひとりを射抜く。
「才能だけでは足りません。覚悟だけでも足りません。知識、技術、判断力、その全てを磨き続けてください」
クロエは机へ厚い紙束を置いた。
「では、最初の課題です」
資料が配られていく。
受け取った瞬間、思わず重さに目を見開く。
「患者五十名分の症例分析。提出期限は本日中です」
一瞬、講義室が静まり返る。
「…………え?」
誰かが間の抜けた声を漏らした。
「なお、本日夕方には実技訓練があります」
講義室中が凍り付く。
「座学と実技は並行して進みます。時間が足りない、眠い、疲れた。その程度の理由で現場は止まりません」
淡々と告げる。
「以上です。始めてください」
その言葉と同時に、講義室中で一斉に資料をめくる音が響いた。
◇
開始から三十分。
講義室の空気は一変していた。
紙をめくる音。
ペンを走らせる音。
時折聞こえる、小さなため息。
「まだ十件も終わらない……」
「これ今日中って、本気か……」
「症例が多すぎる……」
焦りの声があちこちから漏れる。
だが、その中で。
「……面白い」
カナトは自然と呟いていた。
症例。
検査結果。
魔力循環。
使用薬剤。
単なる暗記ではない。
どうしてその治療を選んだのか。
その理由を考えさせる問題ばかりだった。
「面白い?」
隣から声が掛かる。
アイリスだった。
既に資料へ細かな書き込みを続けている。
「うん。この問題、答えを覚えるんじゃない」
カナトは資料を指差す。
「治療の考え方を学ばせようとしてる」
アイリスは資料を見つめたまま頷いた。
「……確かに」
二人は自然と資料へ目を落とす。
一枚目。
二枚目。
三枚目。
読み進めるうちに、ある症例で二人の手が止まった。
「この患者」
カナトが小さく呟く。
「高出力治癒を最初に使ってる」
アイリスも頷く。
「魔力循環が乱れてる」
「だから効率が悪い」
カナトは資料へ指を置いた。
「先に循環を安定させてから低出力治癒を重ねれば、患者への負担は減ると思う」
アイリスは数秒考え込む。
「……うん」
静かに頷いた。
「その方が治癒効率も上がる」
二人の意見は自然と一致していた。
どちらも、治すことより先に患者への負担を考えていた。
アイリスが小さく息を吐く。
「……やっぱり変」
「え?」
「普通、そこまで考えない」
カナトは苦笑する。
「そうなのかな」
「そう」
短い返事。
だが、その表情はほんの少しだけ柔らかかった。
その時だった。
「面白い視点ですね」
穏やかな声が講義室へ響く。
ぴたり、と音が止まる。
紙をめくる音も。
ペンを走らせる音も。
全てが消えた。
二人が同時に振り返る。
講義室の後方。
柔らかな笑みを浮かべたアルベリウス・ノクスが、静かに立っていた。




