第14話 旅立ち前
アルビオンの合格通知が届いた翌日。
店は朝から、いつも以上に賑わっていた。
「カナトくん、本当にアルビオンに受かったの!?」
「すげぇな坊主!」
「今日は祝い酒だ!」
常連達が次々と声を掛けてくる。
カナトは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「ありがとうございます」
木造の小さな料理屋。
決して大きな店ではない。
けれど、立ち込める湯気と料理の香り、人々の笑い声が絶えない温かな場所だった。
厨房では父――レグルスが豪快に鍋を振っている。
「カナト、そっちのスープ頼む」
「はい!」
慣れた手つきで器へスープを注ぐ。
アルビオンへの正式な入隊までは、あと一か月。
各地から集まる入隊者の移送や、王都での受け入れ準備には時間がかかるらしい。
リーデル王国直属機関であるアルビオンともなれば、護衛や手続きだけでも大仕事なのだと父から聞いていた。
だからその間、カナトはこれまでと変わらず店を手伝っていた。
「はい、お待たせしました」
料理を運ぶと、初老の男性客が腹をさすりながら苦笑した。
「最近どうも胃が重くてなぁ。歳かねぇ」
カナトは男性の顔をじっと見つめる。
「最近、夜遅くに揚げ物を食べてません?」
「……なんで分かった?」
「顔色と胃の辺りの魔力循環です。少し消化器が疲れてます」
「また始まったぞ、坊主先生」
「ははは!」
店内が笑いに包まれる。
だが、カナトは真面目なままだった。
「しばらく刺激物は控えてください。根菜を増やして、お酒も少しだけ減らした方がいいと思います」
「医者みたいなこと言うなぁ」
「未来の治癒師なので」
真顔で返す。
再び笑い声が広がり、カナトもつられて笑った。
こうして誰かの身体を気遣う時間は、嫌いではなかった。
その時だった。
視界の奥へ、一瞬だけ白い光景が差し込む。
無機質な天井。
冷たい光。
「っ……」
「カナト?」
父の声で意識が戻る。
「……大丈夫。少し目が疲れただけ」
笑って誤魔化す。
だが胸の奥には、説明のつかない違和感だけが残っていた。
店の温もりとは正反対の、冷たく静かな世界。
あれは一体、何なのだろう。
◇
夕方。
店を閉めたあと。
カナトは裏庭で木剣を構えていた。
「行くぞ」
父の低い声。
次の瞬間。
――ギィン!!
「っ!?」
凄まじい衝撃が腕を貫く。
カナトは数歩滑りながらも、どうにか踏み止まった。
重い。
いや、それ以上に。
隙がない。
魔眼で視ても、父の剣は異常だった。
筋肉の動き。
重心移動。
剣速。
どれ一つ取っても、常人とは比べものにならない。
それなのに、それぞれが独立しているわけではない。
すべてが噛み合い、一つの流れとなって父の剣を形作っていた。
まるで長年、死線だけを潜り続けてきた怪物。
その瞬間。
カナトの右眼が、一瞬だけ“未来”を捉えた。
自分の喉が斬り裂かれる光景。
ゾクリ、と背筋が凍る。
「――っ!!」
反射的に身体を逸らす。
直後。
父の木剣が、髪を数本だけ掠めて通過した。
「……ほぉ」
レグルスが片眉を上げる。
カナトは息を呑んだ。
今のは本当に危なかった。
もちろん、父は寸前で止めるつもりだったのだろう。
だが問題はそこではない。
魔眼で未来が視えてなお、避け切れないと思った。
それほどまでに、父の剣は速く、深かった。
「……まだまだだな」
レグルスが木剣を肩へ担ぐ。
カナトは乱れた呼吸を整えながら苦笑した。
「父さん相手だと、全然読めない」
「読まれる程度なら、Sランクなんざやってない」
さらりと言う。
だが、その言葉の重みをカナトは知っていた。
父は強い。
圧倒的に。
幼い頃から何度も剣を交えてきたからこそ分かる。
この人は、本当に化け物だったのだと。
「……昔、何があったの?」
ふと、カナトは尋ねていた。
レグルスが目を細める。
「なんだ、急に」
「父さん、普通の料理人じゃないでしょ」
「今更かよ」
呆れたように笑う。
その時。
「それなら、私から話しましょうか」
柔らかな声が聞こえた。
振り返ると、母――エリシアが立っていた。
◇
夜。
三人で食卓を囲む。
普段より少しだけ静かな空気だった。
「お母さん、元貴族なの」
エリシアは紅茶を口にしながら、あっさりと言った。
カナトは目を瞬かせる。
「やっぱり」
「察していたの?」
「言葉遣いとか、教養とか」
エリシアは少し困ったように笑った。
「隠していたつもりだったのだけど」
「全然隠れてなかったぞ」
レグルスが即答する。
「あなたは黙っていてください」
「はい」
父が素直に黙る。
カナトは思わず吹き出した。
「父さんとは、任務で出会ったの」
「任務?」
「当時の私は、貴族側の医療支援部隊にいたの。そこへ護衛として派遣されてきたのが、この人」
エリシアがレグルスを見る。
「その頃から、本当に強かったわ。剣技に関しては右に出る者がいないと言われていたもの」
静かな声。
その言葉には確かな実感が込められていた。
「Sランク冒険者。その中でも頂点に立つ人だったわ」
カナトは改めて父を見る。
強いとは思っていた。
だが、そこまでの存在だったとは想像していなかった。
「でも問題も多かったぞ、お母さんはな」
レグルスが笑う。
「貴族なのに全然偉そうじゃないし、怪我人を放っておけないって、すぐ前線へ出ようとするし」
「あなたが無茶ばかりするからでしょう」
「ははっ」
二人は自然と顔を見合わせる。
長い時間を共に歩いてきた者だけが持つ空気だった。
「……そこから仲良くなったの?」
「まぁな」
レグルスが肩を竦める。
「でも当然、周囲は大反対だった」
平民の冒険者。
貴族社会から見れば、釣り合うはずのない相手。
「だから私達、ほとんど駆け落ちみたいなものだったのよ」
エリシアが苦笑する。
「母さんが!?」
「意外?」
「かなり」
「失礼ね」
そう言いながらも、その目はどこか楽しそうだった。
「そのあとも色々あったわ。でも、この人は功績だけは積み続けたから」
エリシアはレグルスを見つめる。
「最終的には王から称号を与えられて、貴族側も無視できなくなったの」
「認めたってより、渋々停戦しただけだがな」
「今でも冷戦状態だけどね」
カナトは静かに二人を見つめた。
強くて。
不器用で。
それでも互いを心から想い合っている。
だから今、この家がある。
「……父さん、それで冒険者を辞めたの?」
「ああ」
レグルスは少しだけ遠くを見る。
「ずっと思ってたんだよ。帰って来られる場所を作りたいってな」
戦場では、人が死ぬ。
仲間も。
敵も。
だからこそ。
「腹を空かせた奴が、笑って帰れる店をやりたかった」
その言葉に、カナトは少しだけ自分が父に似ている気がした。
父は料理で。
自分は医術で。
誰かがまた前を向ける場所を作りたい。
そんな想いだけは、きっと同じだった。
◇
深夜。
自室。
月明かりが静かに差し込んでいる。
カナトは寝台へ腰掛け、右眼を手で覆った。
最近、あの異変は少しずつ頻度を増している。
見たこともない銀色の機械。
透明な管。
未知の薬剤。
白く無機質な天井。
断片的な光景だけが、頭の奥へノイズのように流れ込んでくる。
「……僕は、一体何なんだろう」
ぽつりと呟く。
父も母も知らない知識。
この世界には存在しないはずの医療。
答えは、まだどこにもない。
けれど。
アルビオンには、自分より遥かに多くの知識を持つ人達がいる。
あの場所なら、この違和感の正体へ少しだけ近づけるかもしれない。




