第13話 最後の問い
白い天井が見えた。
ぼやける視界。
右眼の奥が、まだ熱を持っている。
「……ここは」
「医務室よ」
柔らかな声が聞こえた。
カナトがゆっくり顔を向けると、椅子へ腰掛けたミズキ・メルクリアがこちらを見ていた。
淡い青緑色の髪。
柔らかな翠の瞳。
その穏やかな表情に、少しだけ安心する。
「君、第三試験後に倒れたの」
「……試験」
その言葉で、カナトは勢いよく身体を起こした。
「僕、まだ――」
「落ち着いて」
ミズキがそっと肩へ手を置く。
それだけで、乱れかけていた魔力循環が静かに整った。
「実技試験は終了。あなた以外の受験生は、もう最終試験も終えているわ」
「えっ」
血の気が引く。
「じゃあ、僕は……」
「大丈夫」
ミズキは小さく微笑んだ。
「あなたの最終試験は、これから」
カナトは思わず息を吐いた。
まだ終わっていない。
「歩ける?」
「……はい」
「右眼は?」
「少し痛いです」
「正直でよろしい」
ミズキがくすりと笑う。
そして、少しだけ真面目な声音になった。
「医療者は、自分を壊してはいけないわ。誰かを救う手が、動かなくなってしまうから」
「……はい」
「でも」
ミズキはカナトの目を静かに見つめた。
「あなたが救った命があるのも事実よ」
その言葉に、胸の奥が少し熱くなる。
「行ってらっしゃい」
ミズキは扉の方を示した。
「最後まで、あなたの答えを見せてきて」
◇
試験会場は静かだった。
机と椅子だけが並ぶ白い部屋。
剣もない。
薬品もない。
患者もいない。
「最終試験を開始します」
試験監が淡々と告げる。
「内容は筆記および面接です」
カナトは静かに席へ座った。
配られた用紙を開く。
図形問題。
状況整理。
人員配置。
判断力。
いわゆる学力試験ではない。
限られた情報から、最適解を導くための問題。
カナトは淡々と解答を書き進めていく。
そして。
最後のページ。
そこには、一つの設問があった。
---
あなたは治療班の責任者である。
魔導列車事故により、二方向で同時に重傷者が発生した。
一方には五名の負傷者。
もう一方には一名の重傷者。
現在の人員と魔力量では、どちらか一方にしか対応できず、どちらかは助からない。
あなたは、どちらを救うか。理由を述べよ。
---
カナトは、しばらくその文章を見つめた。
五人か。
一人か。
命の数を天秤にかけ、どちらかを切り捨てろと問うている。
だが。
カナトの目に迷いはなかった。
インクを浸した筆を握り締め、白紙の解答欄へ力強く文字を書き始める。
――僕は、そんな治癒師にはなりたくない。
ガリガリと音を立てながら、最後まで自分の『答え』を書き殴った。
◇
面接室は静かだった。
重厚な机。
向かいに座る二人。
一人は、紫がかった髪を端正に整え、眼鏡をかけた穏やかな男性。
その柔和な笑みからは、周囲を安心させる知性と品格が滲み出ている。
アルベリウス・ノクス。
アルビオン研究部門統括。
そしてもう一人。
艶のある茶髪をきっちりと整えた女性。
琥珀色の瞳が真っ直ぐカナトを見つめている。
セリナ・アークライト。
「カナト君ですね」
アルベリウスが柔らかく微笑む。
「はい」
「体調は?」
「問題ありません」
その答えに、セリナの眉が僅かに動いた。
「昏倒後です。“問題ありません”という回答は正確ではありません」
「……すみません。痛みは残っていますが、歩行と会話は可能です」
「いいでしょう」
冷静な声だった。
だが、不思議と威圧だけではない。
“正しくあろう”としている人間の声音だった。
面接はいくつかの質問から始まった。
なぜ医療部門を志望するのか。
剣術をどこで学んだのか。
先ほどの毒血治療について。
カナトは答えられる範囲で、一つずつ答えていく。
「毒血の処置については、自分でも完全には説明できません。ただ、あの時は……そうすれば助かると分かりました」
「分かった、ですか」
セリナが静かに問う。
「はい」
アルベリウスは楽しそうに目を細めた。
「実に興味深いですね」
柔らかな声音。
なのに。
どこか底知れないものを感じた。
「では、最後の設問について確認しましょう」
セリナがカナトの回答用紙を手に取る。
琥珀色の瞳が、そこへ書かれた文章を静かに追った。
「あなたは、どちらか一方を選ぶ問いに対して、こう回答しています」
セリナが淡々と読み上げる。
「『どちらか一方を選ぶ前提を、まず疑う。現場到着までの時間、人員、搬送経路、応急処置の可否、魔道具の有無を確認する。まず五名側には命に関わる止血と呼吸確保を優先し、処置可能な者へ簡易対応を指示。一名側には生命維持に必要な最小限の処置を行う。両方を救うための手順を最後まで探す』」
面接室の空気が、僅かに張り詰めた。
「そして最後には、『最初からどちらかを諦める治癒師にはなりたくない』と」
セリナが用紙を机へ置く。
その視線が、真っ直ぐカナトを射抜いた。
「現場では、それが不可能な場合があります」
静かな声。
だが、その言葉には現実の重みがあった。
「時間も、人員も、魔力量も、常に足りるとは限らない。迷っている間に全員が死ぬこともある」
「はい」
「その上で、まだ両方を救うと言いますか?」
室内が静まり返る。
カナトは拳を握った。
「……僕は」
少しだけ声が震える。
それでも、目は逸らさなかった。
「最後まで諦めたくありません」
セリナの瞳が、僅かに細まる。
「それは理想論です」
「そうかもしれません」
「責任者に必要なのは、時に切り捨てる覚悟です」
「分かっています」
「ではなぜ?」
カナトは息を吸った。
脳裏に浮かぶ。
毒に侵された患者。
リゼアの炎。
ガルドの剣。
ミズキの手。
アルビオンの白い廊下。
「僕一人では無理でも」
カナトは静かに言った。
「ここには、僕一人では届かない場所へ届かせられる人達がいます」
セリナが、ほんの僅かに息を呑む。
「アルビオンなら、最後まで諦めないための方法を探せると思いました」
真っ直ぐ二人を見る。
「だから僕は、ここに入りたい」
沈黙。
長い沈黙だった。
やがて。
アルベリウスが、にこりと微笑む。
「素晴らしい」
その声は、心から感心しているように聞こえた。
「あなたがどんな未来にたどり着くのか、私は興味が尽きません」
セリナは何も言わなかった。
ただ静かに、カナトの回答用紙を見つめていた。
「面接は以上です」
アルベリウスが穏やかに告げる。
「結果は後日、正式に通知されます」
◇
一週間後。
カナトは自宅の前に立っていた。
手には、一通の封筒。
白い封筒。
金色の紋章。
アルビオン。
父親は黙って見ていた。
母親は祈るように手を握っている。
カナトは、ゆっくり封を開けた。
そこに書かれていたのは。
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合格。
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母親が口元を押さえる。
父親が小さく頷いた。
カナトは、しばらくその文字を見つめていた。
胸の奥が熱い。
怖さもある。
不安もある。
けれど。
それ以上に。
進みたいと思った。
「……行ってきます」
カナトは静かに、そう呟いた。




