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第11話 治癒の花

 試験終了の鐘が鳴った。


 低く、重く、森全体へ響き渡る。


 同時に。


 受験者達のプレートが淡く発光した。


『第二試験終了。生存者はその場で待機せよ』


 無機質な音声。


 ようやく終わった。


「……終わった、のか?」


 ガルドが大剣へ寄りかかる。


「多分」


 カナトも木へ背中を預けたまま、深く息を吐き出した。


 右眼が熱い。


 ズキズキと内側から痛む。


 酷使しすぎたせいで、視界の端が白く滲んでいた。


「ほんっと無茶苦茶ね、あなた」


 リゼアが肩で息をしながら、呆れたように言う。


「そういうリゼアこそ。最後の魔法は特に凄かった」


「私は強いもの。当然よ」


 当然のように胸を張る。


 ガルドが思わず吹き出した。


「出たよ暴君令嬢」


「……燃えたいの?」


「ごめんなさい」


 即謝罪。


 カナトは思わず笑ってしまった。


 ついさっきまで死闘を繰り広げていたとは思えない空気だった。


 その時。


 森の奥から複数の気配が近づいてくる。


 統率された足音。張り詰めた空気。


 銀色の外套を纏った、アルビオン教官部隊だった。


 先頭の男が、崩壊した戦場を見て立ち止まる。


「…………」


 深い沈黙。


 焼け落ちた木々。ドロドロに抉れた地面。


 そして、黒く崩れ落ちた魔人種の残骸。


「……誰がやった」


 低い声。


 全員の視線が、自然とリゼアへと向いた。


「何よ」


「いや、お前以外誰が地形変えるんだよ」


 ガルドの的確なツッコミ。


 だが、教官達の顔は険しいままで崩れなかった。


 一人が跪き、真剣な目つきで残骸を調べる。


「これは試験用魔物じゃない。本来この区域に存在するはずのない個体だ」


 空気が冷たく変わった。


「最悪、試験中断もあり得た」


 つまり、本当に死んでいてもおかしくなかった。


 ガルドが顔を引き攣らせる。


「いやマジで死ぬとこだったんだけど」


「よく生きてたわね」


 リゼアが淡々と言う。


「お前も大概だからな!?」


 だが、教官の一人は、別の人物を静かに見つめていた。


 カナト。


「君」


「……はい?」


「あの魔人種の特徴。あれを見抜いたのは君か」


 一瞬、その場の空気が静まる。


 ガルドが横目でカナトを見、リゼアも無言で佇んでいた。


「……なんとなく、魔力の流れが見えたので」


 少しだけ言葉を濁す。


 教官は数秒間、カナトの目をじっと見つめた。


「そうか」


 それ以上は追及しなかった。


 だが、その目は明らかに、カナトという存在を脳裏に“刻んだ”目だった。



 アルビオン中央棟。


 監視室。


 巨大な水晶盤に、第二試験の映像が映し出されている。


 黒い魔人種。再構築。核露出。


「……なるほど」


 静かな部屋に、穏やかで心地よい声が響いた。


 監視室の奥。


 一人の男が椅子へゆったりと腰掛けている。


 整った黒髪に、知的で柔和な雰囲気。


 衣服を端正に着こなし、周囲の教官達からも深く慕われているその佇まいは、まさに「誰からも信頼される高潔な学者」そのものだった。


 アルベリウス・ノクス。


 アルビオン研究部門統括。


「ヴォルト家の令嬢は相変わらず素晴らしいですが……」


 ノクスは眼鏡の奥の瞳を穏やかに細め、黒髪の少年――カナトの映像を見つめた。


「彼が『視て』いたものは、実に興味深い。あの魔人種の再構築の順番、そして魔力の継ぎ目……。普通の人間には決して捉えられない領域ですよ」


 周囲の教官達が、ノクスの言葉に驚いて顔を見合わせる。


「平民だそうですが、公爵閣下直々の推薦状を持っているとか」


「珍しいこともあるものです。よほど光るものがあったのでしょうね」


 ノクスは柔らかく笑った。


 その微笑みには、一片の陰りもない。


「ええ、実に見事だ。これほど若い身空で、それほど純粋に『世界を観測できる眼』を持っているとは。素晴らしい才能です」


 ノクスは教官の一人を振り返り、穏やかに告げる。


「彼に必要な環境や、研究部門が持つ技術の提供は、私からいくらでも手配しましょう。医療部門を志望しているのなら、その才能を存分に伸ばしてあげるべきだ」


「はっ、手配いたします。ノクス統括は相変わらず、若手の育成に熱心でいらっしゃる」


 教官の言葉に、ノクスは本当に優しそうな声音で、静かに首を振った。


「いいえ。未来ある若者がその可能性を広げ、限界を超えて成長していく姿を見守るのは、教育に携わる者として当然の『幸福』ですから」



 試験終了後。


 生存者達はアルビオン中央棟へと移送されていた。


 重厚な白亜の建物。


 どこまでも磨き上げられた廊下。


 高度な治癒魔術の光を纏いながら、忙しなく行き交う治癒師達。


 微かに漂う薬品と、清涼な魔力の匂い。


「おおっ……」


 ガルドがきょろきょろと周囲を見回す。


「ここ全部医療部門関連施設らしいぞ。国中の名医が集まってるって噂だ」


「そうなんだ、圧倒されるよね…」


「田舎者丸出しね」


「お前もさっき壁壊してただろ」


「田舎とは関係ないし、そもそも試験設備が脆いのが悪いわ」


「絶対違う」


 そんな軽口を叩きながらも、カナトは圧倒されていた。


 ここが、アルビオン。


 この国最高峰の医療機関。


 自分がずっと憧れた場所だ。


「次の方、こちらへどうぞ」


 包容力を感じさせる、柔らかな声が響いた。


 通された医務室。


 それだけで、張り詰めていた空気が少し和らぐ。


 カナトが顔を上げると、そこに一人の女性が立っていた。


 淡い青緑色の髪。


 柔らかな翠の瞳。


 白い治療衣を纏ったその姿は、どこか神秘的ですらある。


「やば……綺麗……」


「誰あの人……女神?」


 他の受験者達が思わず息を呑み、小さなざわめきが起こる。


 だが、女性は慣れているのか、特に気にした様子もなく微笑んだ。


「怪我、見せてもらえる?」


 穏やかな声。


 カナトは少し慌てて丸椅子に腰掛けた。


「は、はい」


「随分と無茶をしたのね」


 苦笑するように微笑みながら、彼女の手がカナトの腕にそっと触れる。


 次の瞬間。


 温かな、淡い光が溢れ出た。


「――っ」


 肌にこびりついていた魔人種の黒い瘴気が、白い霧のように蒸発していく。


 同時に熱が引き、痛みが消える。


 乱れていた魔力循環が、まるで最初から傷など存在しなかったかのように、完璧に整えられていく。


 だが、彼女の手がカナトの額に優しく触れた瞬間、ミズキの翠の瞳がわずかに見開かれた。


「……あら?」


 彼女はカナトの右眼を覗き込む。


「随分と、特殊な魔力の使い方をするのね。これ、脳と眼球にかなり無理な負荷がかかっているわよ? あまり無茶をしたら駄目だからね」


「っ……分かりますか」


「これでも治癒師だもの」


 ふふ、とミズキが柔らかく笑う。


 ただ表面の傷を塞ぐだけじゃない。


 右眼の酷使による肉体の歪みまで、彼女の魔力は一瞬で見抜いてみせた。


「……凄い」


 思わず声が漏れる。


「そう? 治すのが私の役目だから」


 その笑顔に、周囲の受験生達が再び固まった。


「俺もう落ちてもいいかもしれん……」


「アルビオン最高だな……」


 ガルドが呆れた顔をした。


「お前らチョロすぎだろ」


「そういうあなたも、顔が真っ赤よ?」


「気のせいです」


 即答だった。


 その横で、別ベッドに座るリゼアがつまらなそうに鼻を鳴らす。


「騒がしいわね」


「いやお前全然動じねぇな……」


「綺麗な人なのは事実だけど」


 さらっと認めた。


 すると、ミズキがくすりと笑いながらリゼアの元へ歩み寄る。


「ふふ。リゼアちゃん、すごく綺麗な子ね」


「な、なによっ、子供扱いしないで!」


 ミズキにふわりと頭を撫でられそうになり、リゼアは目に見えて狼狽し、ぷいっと赤くなった顔を逸らした。


 あの暴君令嬢が、完全に気圧されている。


「ふふ、ごめんなさいね。はい、これで全員大丈夫よ」


 一人一人に向ける視線は、どこまでも優しかった。



 治療が一段落した頃。


 ミズキは書類を抱え、医務室の出口へ向かっていた。


 その途中。


 ふと足を止めて振り返る。


「あなた」


 視線の先には、カナトがいた。


「……はい?」


 柔らかな翠の瞳が、カナトを真っ直ぐに見つめる。


「医療部門志望、よね?」


「え? あ、はい、そうです」


「そう」


 彼女はふわりと、ひときわ優しく微笑んだ。


「次の試験、期待してるわね」


 一瞬、カナトの心臓が大きく跳ねた。


 憧れ。


 尊敬。


 色んな感情が胸を満たす。


「……はい!」


 思わず、力強く返事をしていた。


 ミズキは少し嬉しそうに笑って、そのまま医務室を後にした。


 彼女の姿が見えなくなった途端、他の受験生達がひそひそ声を漏らし始める。


「誰なんだ、あの人……」


「知らねぇの? ミズキ・メルクリア。アルビオン医療院でもトップクラスの治癒師だぞ。“治癒の花”って呼ばれてる」


 カナトは、閉じられた扉をじっと見つめていた。


 胸の奥が、ずっと熱かった。


 ――こんな治癒師に、僕はなりたい。


 自然と、強く、そう願っていた。



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