第108話 迫る脅威
王都から馬で三日の位置にあるグランベル領。
豊かな自然に囲まれたこの地は、東の未開領域に近く、定期的に魔物被害が発生していた。
魔物への対処も、領民にとっては日常の延長にある。
だが、今回は違う。
村へ足を踏み入れた瞬間、その違和感は誰の目にも明らかだった。
荷車へ慌ただしく荷物を積み込む村人。
家畜を柵へ移す農夫。
泣きじゃくる子どもを抱き寄せる母親。
武器を手に周囲を警戒するグランベル領の騎士たち。
誰もが声を荒らげているわけではない。
それでも、村全体を包む緊張感が空気を重くしていた。
「思った以上だね……」
レオンが静かに呟く。
「まだ始まってもいないのに」
リゼアも周囲を見渡した。
村の中に魔物の姿はない。
それなのに、村人たちは今にも襲撃が始まることを知っているかのような表情をしている。
「ギルフォード隊長!」
村の入口で待機していた隊員が駆け寄ってきた。
「第七班の皆さんはこちらです!」
ギルフォードは短く頷き、そのまま歩き出す。
第九班も後に続いた。
◇
村の中心部。
即席の指揮所として使われている建物へ入ると、奥にいた男が振り返った。
「来たか」
第七班隊長、アーネスト・クロウだった。
黒を基調とした戦術部門の装備は、いくつもの傷と土埃にまみれている。
その隣には、ガルドとアイリスの姿もあった。
ガルドも実戦用の装備を身に着け、疲労の色を隠せていない。
一方、白い医療部門の制服を着たアイリスは、治療道具を手早く整理していた。
二人とも長く動き続けていたのだろう。
特にガルドの目の下には、薄い隈が浮かんでいる。
「ガルド」
カナトが声を掛ける。
ガルドはいつものように笑おうとした。
だが、その笑みはすぐに消えた。
「ああ。悪いな、こんな形で来てもらうことになって」
「状況は?」
ギルフォードが短く尋ねる。
アーネストの表情が引き締まる。
「魔物の数が増え続けている」
「今はまだ散発的だが、昨日より明らかに多い」
「群れを倒しても、別の場所から次が現れる」
机へ地図を広げる。
村の東側には特に多くの赤い印が付き、北と南にも徐々に印が広がっていた。
「最初は東だけだった」
「だが、今は北と南にも反応が出始めている」
「やはり未開領域側から押し寄せてきているのか」
レオンが静かに呟く。
アーネストは頷いた。
「まだ本隊は見えない」
「だからこそ気味が悪い」
その時だった。
「失礼します」
一人の青年が部屋へ入ってきた。
緑色のローブ。その袖口には、研究部門を示す紫色の縁取りが施されている。
第七班研究部門、ルーク・エヴァンス。
ルークは短杖へ指を添えると、静かに目を閉じた。
淡い風が部屋の中を抜けていく。
「東北東方向」
「魔力反応、二十六」
目を開く。
「十分前より四つ増えています」
報告を終えると、新たな反応地点を地図へ書き加えた。
ガルドが眉を寄せる。
「また増えたか……」
「増加する速度も上がっています」
ルークは淡々と答えた。
感情を表へ出さない。
だからこそ、その報告の重さだけが際立っていた。
アイリスは包帯を畳みながらガルドへ視線を向ける。
「ガルドさん、少しは休んでください」
「まだ大丈夫だ」
「その『大丈夫』は信用できません」
アイリスは小さくため息をつく。
「倒れたら元も子もないでしょう」
「……悪い」
短く答えながらも、ガルドは地図から目を離さない。
カナトはその横顔を見つめた。
友人として知っている。
ガルドは、自分より誰かを優先する人間だ。
ここは彼が生まれ育った領地。
守りたい人も、知っている人も多い。
だからこそ今も、自分の疲労など考えていないのだろう。
「報告は以上です」
ルークが口を閉じる。
部屋が静まり返った。
その沈黙を破ったのは、アーネストだった。
「第七班は引き続き東側の警戒を続ける」
ガルドたちが頷く。
「第十二班は南側を担当している。ルーク、引き続き連携を頼む」
「分かりました」
ルークは静かに頷いた。
続いてギルフォードが第九班へ視線を向ける。
「第九班は北側を受け持つ」
「本隊が現れた場合は、状況を見て迎撃する」
三人を順に見渡す。
「無理はするな」
「必ず連携しろ」
「「「はい!」」」
「スタンピードが確定したため、緊急用の魔道具で本部に増援を要請している」
「到着まで何としても耐え抜くんだ」
全員が決意を胸に秘めて頷く。
その時だった。
建物の外から鐘の音が鳴り響く。
カン――。
カン――。
カン――。
村中へ響き渡る警鐘。
全員の表情が変わる。
一人の騎士が扉を勢いよく開け、息を切らしながら飛び込んできた。
「北側警戒班より報告!」
「魔物の群れを確認! 先頭だけで約五十!」
「後続も確認! さらに続いています!」
部屋の空気が一変する。
ギルフォードは静かに背中の大剣へ手を掛けた。
「第九班」
「行くぞ」
「「「はい!」」」
カナトも腰の剣へ手を添える。
身体強化を覚え始めて、まだ数日。
実戦で使ったことは一度もない。
それでも。
ここから先は、訓練ではない。
初めてのスタンピード。
その幕が、ついに上がろうとしていた。




