第107話 初めてのスタンピード
一時間後。
第九班の三人は、装備を整えてアルビオン本部正門へ集まっていた。
カナトは腰の剣を軽く叩き、装備に緩みがないことを確認する。
リゼアは杖の入ったホルダーを腰に下げ、魔力回復薬の革袋へ手を添えた。
レオンは三人分の装備を一通り見回し、小さく頷く。
「問題なさそうだね」
「はい」
「いつでも行けます」
そこへ、重い足音が近付いてくる。
ギルフォードだった。
黒い外套を羽織り、背中には愛用の大剣。
その姿を見ただけで、周囲の空気が自然と引き締まる。
「揃ったな」
「「「はい!」」」
短く返事をすると、ギルフォードは全員を見渡した。
「これより、グランベル領へ向かう」
「現在、第七班が現地で状況を確認中だ」
「我々は後続として合流する」
それだけ告げると、ギルフォードは踵を返す。
「行くぞ」
「「「はい!」」」
◇
アルビオンを出発して数時間。
一行は街道を馬で駆けていた。
馬の蹄が乾いた土を叩く音だけが、一定のリズムを刻んでいる。
乗馬訓練は入隊後から定期的に行われていた。
平民は馬に乗る機会が少ない。
だが、カナトは実家が定食屋を営んでいたこともあり、食材の買い出しで馬に乗ることが何度かあった。
その経験もあり、訓練を重ねた今では長距離の移動にも慣れ始めていた。
しばらく進んだところで、レオンが隣を走るカナトへ声を掛ける。
「大丈夫そう?」
「はい、何とか」
カナトは笑って答えた。
「こんなに遠くまで行くのは、あまり経験ないですが」
「そうだよね」
レオンも穏やかに笑う。
「それに今回はスタンピードだからね。緊張するのも無理はないよ」
「スタンピードというと、魔物が大量にいるような状況なのでしょうか?」
カナトは魔物のスタンピードの経験がなかった。
「簡単に言うと、魔物の群れが一斉に押し寄せてくる現象だよ。津波みたいなものだね」
「それが今回はグランベル領に向かってしまったということですね。」
「そういうことになるね」
レオンは肩を竦める。
「まだ兆候っていう情報だから確実ではないけど」
前を走るリゼアも小さく口を開いた。
「できれば、兆候だけで終わってほしいわ」
「そうだね」
レオンも頷く。
「発生しないのが一番だ」
「でも、発生していたら……」
カナトが呟く。
「その時は止める」
答えたのはギルフォードだった。
前を向いたまま、一切振り返らない。
「そのために我々がいる」
短い言葉。
それだけだった。
けれど、不思議と胸の奥の不安が少しだけ和らぐ。
レオンもリゼアも何も言わない。
ただ、その背中を静かに見つめていた。
◇
街道を抜け、深い森へ入る。
木々の隙間から差し込む陽射しが、地面へまだら模様を作っていた。
カナトは馬の歩調に身体を預けながら、ゆっくりと魔力を巡らせる。
身体強化。
まだ完全には身に付いていない。
少し気を抜くだけで魔力の流れは乱れ、逆に力を入れすぎれば身体が強張ってしまう。
(難しい……)
馬に乗る時は、余計な力を入れない。
姿勢を保ち、呼吸を乱さない。
乗馬訓練で教わった基本を思い出しながら、馬の揺れに合わせて一定の呼吸を繰り返す。
ゆっくりと。
焦らず。
身体へ魔力を巡らせる。
まだぎこちない。
それでも五日前よりは、確かに長く維持できるようになっていた。
(レオンさんが言っていた通りなら……)
身体強化を維持できれば、長距離移動による疲労も軽減できる。
今はまだ、その域には届かない。
それでも少しずつ近付いている実感はあった。
この先の戦いで役に立つかは分からない。
だが、必ず必要になる。
そんな確信だけは、不思議と胸の中にあった。
◇
グランベル領へ向かう旅は三日に及んだ。
途中、野営を挟みながら街道を進む。
夜には焚き火を囲み、最低限食事と睡眠だけを済ませる。
任務中ということもあり、談笑する者はいない。
交代で見張りを行い、夜明けと共に再び馬を走らせた。
そして三日目の昼過ぎ。
森を抜けた先で、数人のアルビオン隊員が待機している姿が見えた。
その中の一人が、第九班へ気付き駆け寄ってくる。
「ギルフォード隊長!」
「状況は」
「第七班が周辺の警戒を続けています。まだ大規模な群れは確認されていませんが、魔物の数が徐々に増えています」
ギルフォードは静かに頷いた。
「第七班の隊長は」
「現地の騎士団と情報を整理しています」
「案内しろ」
「はっ!」
隊員はすぐに駆け出した。
第九班もその後に続く。
村までは、もう目と鼻の先だった。
カナトは胸元へ手を添える。
指先に触れたのは、母から受け継いだネックレスと皆で王都に出掛けた時に買ったお揃いの銀飾り。
自然と力が入る。
身体強化を覚え始めてまだ数日。
積み重ねてきた努力が、どこまで通用するかは分からない。
それでも。
目の前には、守るべき人たちがいる。
カナトは小さく息を吸い込み、ガルドたちが待つ村へと足を踏み入れた。




