第106話 積み重ね
身体強化の訓練を始めてから、五日が過ぎた。
第九班は通常任務の合間を縫いながら、毎日訓練場へ足を運んでいた。
朝は医療部門の手伝い。
昼は基礎体力と剣術。
そして空いた時間には、身体強化の練習。
最初は魔力を巡らせることすらできなかったカナトも、今では少しずつ感覚を掴み始めていた。
「もう一回お願いします」
「いいよ」
レオンは木剣を構える。
カナトも深く息を吸い、右眼へ意識を向けた。
レオンの身体を巡る魔力。
足元から腰へ。
腰から肩へ。
剣を振る瞬間に合わせ、魔力が自然と全身を巡っていく。
五日前には見えなかったものが、今は少しずつ理解できるようになっていた。
(押し込むんじゃない……流す)
カナトはゆっくりと自分の身体へ魔力を巡らせる。
まだぎこちない。
けれど以前のように途中で止まることはなくなっていた。
「行きます!」
地面を蹴る。
踏み込みが、わずかに軽い。
木剣を振る。
レオンが受け流す。
だが今回は、そのまま体勢を崩さなかった。
すぐに二撃目へ繋げる。
「おっ」
レオンが少しだけ目を見開く。
木剣同士が打ち合う音が訓練場へ響く。
三合。
四合。
これまでなら二太刀目で崩されていた。
しかし今日は違う。
レオンが木剣を払う。
カナトは踏みとどまり、その勢いを利用して身体を回転させた。
あと一歩。
あと少し。
届く。
そう思った瞬間だった。
レオンの身体が半歩だけ後ろへ流れる。
届かない。
次の瞬間には木剣が肩口で止まっていた。
「そこまで」
「はぁ……」
肩で息をしながらも、カナトは思わず笑みを浮かべる。
「今のは惜しかったね」
「はい。でも……」
カナトは木剣を見つめる。
「前より身体が動きました」
「うん」
レオンも笑う。
「身体強化が少し形になってきたね」
少し離れた場所で見ていたリゼアも近付いてきた。
「五日前とは別人ね」
リゼアは腕を組む。
「まだ魔力の流れはぎこちないけど、踏み込みで身体が浮かなくなったわ」
「やっぱりそうなんだ」
「ええ。以前は剣を振るたびに身体が流れてたもの」
その言葉にカナトは苦笑する。
自分でも分かっていた。
剣筋を読めても、身体が言うことを聞かない。
それが一番の課題だった。
「普通なら、ここまで形になるのはもう少し先なんだけどね」
レオンが感心したように言う。
「やっぱり眼がいいおかげでしょうか」
「その可能性は高いと思うよ」
レオンは頷いた。
「身体強化は感覚を掴むまで時間がかかる。でもカナトは、俺たちの魔力の流れを見て、そのまま自分へ落とし込める」
「見えてるだけなんですけどね」
「それが普通じゃないのよ」
リゼアが呆れたように言った。
「普通は見えないんだから」
カナトは苦笑するしかなかった。
自分にとっては当たり前になりつつある魔眼も、周囲から見ればただ「眼がいい」としか映っていない。
でも。
見えるだけでは意味がない。
身体が動かなければ、戦えない。
「もう一本お願いします」
「まだやるの?」
リゼアが少し驚いたように聞く。
「せっかく掴めそうだから」
「……そう」
レオンはそんな二人を見て、穏やかに笑った。
「そのやる気を汲んであげたいところだけど、今日はここまでにしようか」
木剣を下ろし、軽く肩を回す。
「焦らなくても大丈夫。五日でここまでできる人は滅多にいないよ」
「…はい」
カナトは木剣を片付けながら、小さく頷いた。
確かに身体は疲れていた。
これ以上無理に取り組んでも効果は薄いだろう。
それでも不思議と気持ちは軽い。
少し前まで届かなかった一歩が、今日は確かに届いていた。
少しずつでも前へ進めている。
その実感があった。
◇
訓練を終えた三人は、第九班の隊室へ戻った。
扉を開けると、そこには一人の隊員が待っていた。
「第九班の皆さんですね」
「はい」
「ギルフォード隊長がお呼びです。至急、隊長室までお願いします」
三人は顔を見合わせる。
レオンが小さく頷いた。
「分かった。すぐ向かうよ」
隊員は一礼すると、その場を後にした。
「急な呼び出しね」
リゼアが小さく呟く。
「何かあったのかな」
「行けば分かるよ」
レオンを先頭に、三人は隊長室へ向かった。
扉を数回叩く。
「失礼します」
「入れ」
低く落ち着いた声が返ってくる。
三人が部屋へ入ると、ギルフォードは机に置かれた資料から視線を上げた。
「揃ったな」
「はい」
短く返事をするレオン。
ギルフォードは三人を見渡すと、淡々と告げた。
「任務だ」
その一言だけで、部屋の空気が変わる。
「先ほど、第七班が出動した」
カナトは思わず顔を上げた。
「ガルドが……?」
「ああ」
ギルフォードは短く頷く。
「ガルド隊員の出身であるグランベル領で、スタンピード発生の兆候が確認された」
スタンピード。
その言葉に、リゼアとレオンの表情が引き締まる。
「第七班は現地確認を兼ねて先行している」
「第九班、第十二班は出動準備だ」
「準備が整い次第、第二陣として現地へ向かう」
レオンが静かに口を開く。
「現時点では、まだ兆候という段階なのですね」
「そうだ」
「だが、備えは万全にしておけ」
ギルフォードの視線が三人へ向く。
「初めての者もいる」
その言葉に、カナトは背筋を伸ばした。
「気を引き締めろ」
「「「はい!」」」
短い返事が隊長室へ響く。
「各自、一時間後に正門へ集合」
「以上だ」
三人は敬礼すると、静かに隊長室を後にした。
隊室へ戻る廊下を歩きながら、誰も口を開かなかった。
先ほどまでの訓練の空気は、もうどこにもない。
初めて向かう、大規模魔物災害。
積み重ねてきた力が、試される時が来ようとしていた。




