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魔眼治癒師の最適解  作者: 鍵音-kagine-


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第105話 身体強化

 王女殿下の視察から数日。


 第九班は、いつもの訓練場へ戻っていた。


 朝から降り注ぐ陽射しの下、アルビオンの隊員たちがそれぞれの訓練に励んでいる。


 剣戟の音。


 魔法の炸裂音。


 土を蹴る足音。


 そのどれもが、特別な任務ではない日常の音だった。


 その一角で、カナトとレオンが向かい合っていた。


 レオンの手には木剣。


 カナトも同じように木剣を構えている。


 少し離れた場所では、リゼアが杖を手にしたまま二人の様子を見ていた。


「いつでもいいよ」


「お願いします!」


 カナトの右眼が、じわりと熱を持つ。


 レオンの視線。


 肩の動き。


 足の置き方。


 そして、身体を巡る魔力の流れ。


 見える情報を拾いながら、カナトは地面を蹴った。


 一歩。


 二歩。


 間合いへ入る。


 正面から振り下ろした木剣を、レオンは危なげなく受け止めた。


「いい踏み込みだ」


 そう言いながら、レオンは剣を軽く流す。


 力で弾かれたわけではない。


 けれど、剣の向きがずらされ、カナトの体勢がわずかに崩れる。


 そこを逃してくれる相手ではなかった。


 カナトが踏み直すより早く、レオンの木剣が首元の寸前で止まる。


「そこまで」


「……参りました」


 カナトは木剣を下ろし、小さく息を吐いた。


 何度やっても届かない。


 動きは見えている。


 剣筋も、踏み込みも、次に来る攻撃も、以前よりずっと読めるようになった。


 けれど、身体が追いつかない。


 分かっているのに、間に合わない。


 見えているのに、届かない。


 その差が、今のカナトにとって一番大きな壁だった。


「前より剣筋は良くなってるよ」


 レオンは穏やかに笑いながら、木剣を肩に預ける。


「ただ、もう少し身体強化の出力を上げられるといいね」


「…身体強化?」


 カナトは、思わず首を傾げた。


 レオンの笑みが止まる。


「……え?」


 少し離れた場所で見ていたリゼアも、驚愕の表情でこちらを見た。


「え?」


 二人の視線が同時にカナトへ向く。


 カナトは訳が分からず、二人を見返した。


「……何?」


 妙な沈黙が流れる。


 訓練場の音だけが、遠くで響いていた。


「カナト」


 レオンが、恐る恐る口を開く。


「もしかして……身体強化を知らないの?」


「はい」


 カナトは素直に頷いた。


「初めて聞きました」


 再び沈黙。


 リゼアはゆっくりと額へ手を当て、大きくため息を吐いた。


「呆れた……」


「え?」


「あなた、よく私との決闘で生きてたわね……」


「そんなに?」


「そんなによ」


 即答だった。


「身体強化も知らないで私と戦ってたなんて、信じられないわ」


「そんなこと言われても……」


「開き直らないで」


 リゼアの視線が、少しだけ鋭くなる。


 怒っているというより、本気で呆れている顔だった。


 レオンはそのやり取りを見て、困ったように笑う。


「これは俺も驚いたよ」


「そんなに当たり前なんですか?」


「戦う者ならね」


 レオンは木剣を壁へ立て掛けた。


「身体強化は、魔力を身体へ巡らせて身体能力を底上げする技術なんだ。前衛なら、ほとんど全員が使っているよ」


「ただ、戦術部門では基本だけど、医療部門ではあまり優先されていないのかもしれないね」


 レオンの説明を聞きながら、カナトは小さく目を見開いた。

 

(そういうことだったのか……)

 

 父との模擬戦でも。

 

 ギルフォード隊長の戦いでも。

 

 リゼアやレオンと剣を交えた時も。

 

 身体を巡る魔力の流れは、ずっと見えていた。

 

 踏み込む瞬間に足へ集まり、剣を振る時には肩から腕へ流れる。


 その流れまで含めて相手の動きを読んでいたからこそ、先の一手が分かった。


 だが、それが何を意味するのかまでは知らなかった。


 筋肉の動き。


 視線。


 呼吸。


 そして魔力の流れ。

 

 その全てを合わせて相手の行動を予測していた。

 

 今になってようやく、その魔力の流れこそが身体強化だったのだと理解した。


「あれも……」


 思わず声が漏れる。


「ギルフォード隊長も……身体強化を使ってたってことですか?」


 レオンは少しだけ考えてから、静かに頷いた。


「そういうことになるね」


「もちろん、あれは普通じゃないけど」


 リゼアが肩をすくめる。


「基準にしたら駄目よ。参考にならないから」


「……なるほど」


 カナトは苦笑した。


 ずっと不思議だった。


 どうして父はあれほど速かったのか。


 どうしてギルフォードは、巨大な魔物を相手に真正面から渡り合えたのか。


 剣技だけでは説明できない。


 魔法を使っているようにも見えなかった。


 その答えが、今ようやく繋がった気がした。


「でも、待って」


 リゼアがふと眉を寄せる。


「それなら、一つおかしいわ」


「え?」


「あなた、私との決闘で炎弾を防いでいたわよね?」


「うん、二発だけだけど」


「てっきり身体強化で耐えたと思っていたけど、使ってないならどうやったのよ」


 カナトは少しだけ考えた。


 決闘の光景を思い返す。


 迫る炎。


 剣では防げないはずの魔法。


 けれど、あのときカナトの眼には見えていた。


 炎そのものではない。


 炎の奥。


 魔力が集まり、形を保っている場所。


「あれは……核みたいな、魔力が集まっている場所が見えたんだ」


「核?」


「うん。そこを崩すイメージで剣を振ったら、炎弾が消えた」


 リゼアとレオンは、同時に顔を見合わせた。


 ほんの少しの沈黙。


 先に口を開いたのはリゼアだった。


「……何それ」


 レオンも静かに目を細める。


「魔法を斬ったってこと?」


「斬ったつもりはないです」


 カナトは困ったように首を振る。


「見えた場所に合わせて剣を振っただけで……」


「それを普通は斬ったって言うのよ」


 リゼアは呆れたように言った。


「身体強化を知らないのに、魔法の核は見えているって、順番がおかしいわ」


「僕に言われても……」


 カナトは小さく肩を落とした。


 自分でも、どう説明すればいいのか分からない。


 見えた。


 だから、そこへ剣を振った。


 ただ、それだけだった。


 レオンは少し考え込むように顎へ手を当てた。


「でも、それなら身体強化の訓練には向いているかもしれないね」


「向いてるんですか?」


「身体強化も魔力を扱う技術だからね。見えるなら、俺たちを観察するだけでも感覚は掴めると思うよ」


 カナトはレオンを見る。


 身体の中を巡る魔力。


 自分にはまだ分からない技術。


 けれど、見えるなら。


 観察できるなら。


 理解するための手がかりにはなるかもしれない。


「やってみたいです」


 自然と、そう言っていた。


 レオンは穏やかに頷く。


「じゃあ、まずは見るところから始めようか」


 リゼアも杖を軽く持ち直した。


「仕方ないわね。見せるだけなら付き合うわ」


「ありがとう」

 

「早く覚えなさいよ。毎回基礎から教えるのは面倒だから」


「それ、結局付き合ってくれるってことだよね」


「…うるさいわね」


 リゼアが少しだけ目を逸らす。


 レオンはその様子を見て、静かに笑っていた。


 訓練場の空気は、先ほどより少しだけ軽くなっていた。


 けれど、カナトの胸の中には新しい課題がはっきりと生まれていた。


 身体強化。


 戦う者なら誰もが使う、基礎の技術。


 今まで自分が知らなかったもの。


 そして、自分に足りなかったもの。


 カナトは木剣を握り直し、二人の前に立った。


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