第103話 王女の報告
夕刻。
王城へ戻ったフルールは、衣装を整える間もなく執務室へと向かっていた。
扉の前で一度深呼吸をし、静かにノックをする。
「失礼いたします」
「入りなさい」
落ち着いた声に応じて扉を開くと、執務机の向こうにはレオニス国王が座っていた。
その傍らには、静かな眼差しで控えるアルヴェイン公爵の姿もある。
「戻りました、お父様」
「うむ。今日はご苦労だった」
レオニス国王は優しく頷き、椅子を勧めた。
「では聞かせてもらおう。アルビオンの視察はどうであった?」
フルールは姿勢を正し、ゆっくりと口を開く。
「想像以上に多くの学びがございました」
「戦術部門では、日々の鍛錬と連携の重要性を。医療部門では、一人の命に真摯に向き合う責任を。研究部門では、未来を見据えた探究心を目の当たりにいたしました」
「そして、そのどれもが補給や事務局など、多くの方々に支えられて成り立っていることを実感いたしました」
レオニス国王は満足そうに目を細める。
「良い視察になったようだな」
「はい」
「特に、第九班の皆様には大変お世話になりました」
「ほう」
レオニス国王は身を乗り出す。
「彼らについて聞かせてもらえるか」
フルールは頷いた。
「レオン様は周囲への気配りを欠かさず、自然と人を安心させるお方でした」
「リゼア様は誠実で努力家です。常に高みを目指して鍛錬を続けておられることが伝わってまいりました」
そして、少しだけ言葉を選ぶように間を置く。
「カナト様は……とても不思議な方です」
アルヴェイン公爵が静かに視線を上げた。
フルールは続ける。
「控えめで、自ら前へ出ようとはなさいません」
「ですが、本当に必要な時には、一切迷わず行動されます」
市場での光景が脳裏によみがえる。
喉を押さえ、苦しむ幼い男の子。
慌てふためく母親。
そして、真っ先に状況を見抜いた一人の治癒師。
「幼いお子様が喉に食べ物を詰まらせた際も、周囲が何が起きたのか分からず戸惑う中、カナト様だけは迷われませんでした」
「水を飲ませようとしたお母様を制止し、適切な処置を施され、命を救われたのです」
執務室に静寂が落ちる。
やがてレオニス国王が静かに問いかけた。
「本人は何と言っていた?」
「『知っていたからです』と」
フルールは当時のやり取りを思い返す。
「『知識は持っているだけでは意味がありません。使って初めて価値があるんです』――そう、お話しくださいました」
アルヴェイン公爵の口元がわずかに緩む。
「なるほど」
その一言だけで、十分だった。
フルールは少し躊躇した後、もう一つ気になっていたことを口にした。
「お父様、一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
「申してみよ」
「市場で拝見した際、ほんの一瞬だけですが……カナト様の瞳が、不思議な輝きを帯びたように見えました」
「私の気のせいかもしれませんが、何か特別なお力なのでしょうか」
レオニス国王はすぐには答えず、静かに目を閉じた。
やがて、穏やかな声で口を開く。
「古い文献には、『魔眼』と呼ばれる特異な力について記されたものがある」
「生まれながらに宿す極めて希少な才能であり、その性質は持ち主ごとに異なるという」
「しかし、現存する資料は少なく、伝承の域を出ぬものも多い。真実を知る者はごくわずかだ」
フルールは静かに息を呑んだ。
「そのような力が、実在するのですね……」
「存在すると伝えられている、という方が正確だろう」
レオニス国王は柔らかく笑った。
「たとえ魔眼を持つ者がいたとしても、その力だけで人の価値が決まるわけではない」
そこで、これまで静かに聞いていたアルヴェイン公爵が口を開いた。
「フルール様。」
「仮にあの少年が特別な力を持っていたとしても、それだけで評価してはなりません」
「真に見るべきは、その力を何のために使うかです」
その言葉に、フルールは市場で見た光景を思い返す。
泣き叫ぶ母親。
必死に命を繋ごうとするカナト。
そして、助かった男の子の笑顔。
彼女は静かに頷いた。
「はい」
「私が心を打たれたのは、不思議なお力ではありません」
「使える知識も、使える力も、目の前の命を救うために迷わず使う――その在り方です」
レオニス国王とアルヴェイン公爵は顔を見合わせ、小さく頷き合った。
その夜、王城では一人の若き治癒師について静かな語らいが交わされていた。
しかし当の本人は、そのことを知る由もなく。
今日もまた、自らにできる最善を尽くそうと、変わらぬ歩みを続けていた。




