第102話 使うべき力
市場に響き渡っていた泣き声は、やがて安堵の空気へと変わっていった。
男の子は母親に強く抱きしめられながら、しゃくり上げるように泣いている。
その力強い声を聞き、周囲で見守っていた人々もようやく胸をなで下ろした。
「ありがとうございます……!」
母親は涙を流しながら何度も頭を下げる。
「本当に、この子を助けてくださって……」
カナトは静かに首を横へ振った。
「無事でよかったです」
「ただ、今後は小さなお子さんが食べながら走らないよう気を付けてあげてください」
「木の実や小さなお菓子などを噛み砕かずに飲み込んでしまうと、喉に詰まり命に関わることがあります」
母親は男の子を抱き寄せたまま、強く頷いた。
「はい……必ず気を付けます」
そのやり取りを見届けると、ギルフォードは護衛たちへ淡々と指示を出した。
「周囲の警戒を継続しろ。混乱が収まったら視察を再開する」
「はっ」
護衛たちは素早く持ち場へ戻り、市場も少しずつ元の賑わいを取り戻していく。
◇
その様子を静かに見つめていたフルールが、そっとカナトの隣へ歩み寄った。
「カナト様」
「先ほどは、どうしてあれほど迷わず動けたのですか?」
その問いに、カナトは少しだけ空を見上げた。
「知っていたからです」
「喉に物が詰まった時、どういう症状が出るのか。どう対処すればいいのか」
「幸い、僕はそれを知っていました」
フルールは男の子が喉を押さえていた姿を思い返す。
「私は何が起きたのか分かりませんでした」
「お水を飲ませた方がいいのでは、とさえ思ってしまいました」
「……私もです」
隣で聞いていたリゼアが小さく呟く。
レオンも苦笑交じりに肩をすくめた。
「正直、私も状況を理解するまで少し時間がかかったでしょうね」
カナトは三人を見回し、穏やかに微笑んだ。
「知らなければ、そう考えて当然です」
「知識は、人を責めるためのものではありません」
「次に同じような場面に遭遇した時、誰かを助けられるようにあるものです」
その言葉に、フルールは静かに頷いた。
蜂蜜の件で教わった時も、カナトは同じように話していた。
間違いを責めるのではなく、次に活かすために知る。
それが彼の考え方なのだ。
◇
「それでも、不思議です」
フルールは素直な疑問を口にした。
「皆が戸惑う中で、カナト様だけは一切迷いがありませんでした」
「まるで、答えを知っていたかのように見えました」
一瞬だけ、カナトの表情が和らぐ。
だが、すぐにいつもの穏やかな笑みに戻った。
「僕は運がいいんです」
「人より少し、多く学ぶ機会に恵まれてきました」
「そして、使える知識があるなら、使わない理由はありません」
「目の前で助けを必要としている人がいるなら、なおさらです」
その返答に嘘はない。
胸の奥に宿る魔眼もまた、カナトに与えられた力の一つ。
彼にとって大切なのは、その由来ではなく、どう使うかだった。
助けられる命があるなら助けたい。
ただ、それだけである。
◇
再び歩き始めた一行の横を、先ほどの男の子が母親と手を繋いで通り過ぎた。
男の子はカナトへ向かって大きく手を振る。
「おにいちゃん、ありがとう!」
屈託のない笑顔だった。
カナトも笑顔で手を振り返す。
その光景を見つめながら、フルールは胸の内で静かに思う。
(知識とは、書物の中に眠るだけのものではない)
(人を救うために使われてこそ、本当の価値を持つのですね)
フルールはその学びを静かに胸に刻んだ。




